↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十章 天下西進編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
181/255

第百八十一話 毛利の条件



 安国寺恵瓊が再び播磨を訪れたのは、それから二日後のことだった。


 前回と同じく、信孝、景継、官兵衛が席につく。


 だが今回は、挨拶が終わっても茶を楽しむような時間はなかった。


「毛利からの返答をお持ちしました」


 恵瓊が言った。


「聞こう」


 信孝が促す。


「まず、官兵衛殿より出された半年という期限について。毛利は受け入れてもよいと申しております」


 信孝の家臣たちが僅かにざわめいた。


 半年。


 その間、毛利は播磨にある城や勢力へ、信孝の支配を妨げるような働きかけをしない。


 一方、信孝と景継の側も、毛利領へ軍事行動を起こさない。


 前回の会談で官兵衛が提示した案だった。


「ただし」


 恵瓊が続けた。


「こちらからも条件がございます」


「それを聞くために待っていた」


「では」


 恵瓊の視線が信孝から景継へ移った。


「半年の間、播磨より西へ兵を進めないこと」


「毛利領へ、ではなく?」


 景継が聞き返す。


「播磨より西へ、でございます」


 官兵衛がすぐに口を挟んだ。


「それでは話が違いますな」


「そうでしょうか」


「ええ」


 官兵衛は地図を引き寄せた。


「前回の話では、毛利領への軍事行動を控えるというものでございました。それを播磨から西へ一歩も出るなと変えられては、意味が違う」


「毛利としては、そこを明確にしておきたいのでございます」


「なぜです?」


 官兵衛が尋ねる。


 恵瓊は少しも慌てなかった。


「今の播磨が、どこまでで収まるのか分からぬからですよ」


 景継は黙って聞いていた。


「信孝様が播磨を治める。それだけであれば、毛利が口を挟む理由はございません」


 恵瓊の指が地図の上を動く。


「しかし、その後ろには林道様がおられる」


「また私ですか」


「当然でしょう」


 恵瓊は景継を真っ直ぐ見た。


「林道様が中央でどれほどのものを得られたか。毛利も調べております」


 近江。


 山城。


 摂津。


 大坂周辺。


 淡路。


 そして今、勝家の死によって柴田家まで景継の下へ入ろうとしている。


「その林道様が信孝様を助け、播磨へ来られた」


 恵瓊が言った。


「毛利としては考えざるを得ません。播磨が目的なのか。それとも播磨は、さらに西へ進むための足場なのか」


 信孝が口を開いた。


「景継は俺の播磨を奪いに来たわけではない」


「それは承知しております」


「ならば――」


「信孝様」


 景継が止めた。


 信孝がこちらを見る。


「恵瓊殿の話は、もっともです」


「景継」


「立場が逆なら、私も同じことを考えます」


 景継は恵瓊へ向き直った。


「ですが、その条件は受けられません」


「理由を伺っても?」


「半年後のことではありません。半年の間に何が起こるか分からないからです」


「例えば?」


「毛利の領外で争いが起きた場合。こちらと縁のある者から助けを求められた場合。あるいは、こちらに害をなす者が播磨の外へ逃げた場合」


 景継は地図を指した。


「そのたびに、毛利との約束があるから何もできない、では困ります」


「では毛利は、林道様がいつ西へ兵を進めるか分からぬまま待てと?」


「そうは言っていません」


 景継は少し考えた。


「毛利と戦うための兵は出さない」


「……ほう」


「半年の間、毛利家および毛利家に属する勢力を、こちらから攻めない。それなら約束できます」


 恵瓊が官兵衛を見る。


「官兵衛殿は?」


「私も、その辺りが妥当かと」


「お二人で話を合わせておられたわけではありますまいな」


「今、初めて聞きましたよ」


 官兵衛はそう答えた。


 恵瓊はしばらく地図を見ていた。


「もう一つございます」


「どうぞ」


「播磨の西にある者たちが、自ら毛利を頼ってきた場合です」


 今度は信孝の顔が険しくなった。


「受け入れるつもりか」


「その可能性まで捨てろと言われては困りますな」


「それでは、俺に従わぬ者が毛利へ逃げ込めば終わりではないか」


「ゆえに、決めておく必要がございます」


 恵瓊は言った。


「すでに信孝様へ従うと明言した者を、毛利が寝返らせることはしない」


「まだ返事をしていない者は?」


「それは信孝様の臣ではございませんでしょう」


「清須で播磨は俺に決まった」


「城の主まで清須で決めたわけではございますまい」


 信孝が言葉を失う。


 家臣の一人が立ち上がりかけた。


「控えよ」


 信孝自身が止めた。


 恵瓊の言い方は腹立たしい。


 だが、ここで怒鳴っても話は進まない。


「官兵衛」


 信孝が呼ぶ。


「どう思う」


 官兵衛はすぐには答えなかった。


「このままでは、毛利に都合がよすぎます」


「やはりそうか」


「ですが、恵瓊殿のおっしゃることにも理はございます」


「どちらなのだ」


「ですから、境を作ります」


 官兵衛が地図へ手を置いた。


「今日までに、信孝様の使者を受け入れている城。すでに信孝様へ従う旨を伝えている者。これらについては毛利が一切手を出さない」


「それは構いませぬ」


 恵瓊が答える。


「そして現在、返答を保留している者については――」


 官兵衛が一度言葉を止めた。


「十日」


「十日?」


「十日の間、毛利は接触しないでいただきたい」


 恵瓊の眉が動く。


「その間に信孝様が話をつける、と?」


「はい」


「随分と自信がおありで」


「播磨ですので」


 短い答えだった。


 恵瓊は官兵衛を見つめた。


「十日を過ぎても決まらなければ?」


「その時は改めて話しましょう」


「毛利が接触してもよい、と約束するわけではない?」


「もちろんです」


「抜け目がない」


「お互い様でございましょう」


 恵瓊は腕を組んだ。


 信孝は景継を見る。


「十日でいけると思うか」


「やるしかないでしょう」


「簡単に言う」


「簡単ではありません」


 景継は官兵衛を見る。


「だから官兵衛殿にも働いていただきます」


 官兵衛が小さく息を吐いた。


「結局、そうなりますか」


「故郷ですから」


「便利な言葉を覚えられましたな」


 恵瓊が二人のやり取りを見ていた。


 そして、ふと口を開く。


「林道様」


「はい」


「官兵衛殿を、ずいぶんと信用しておられるのですな」


 官兵衛の視線が恵瓊へ向いた。


 景継は少し考えてから答えた。


「仕事を任せています」


「信用とは違う?」


「官兵衛殿は、できると判断したことならやってくださいます。それで十分です」


 恵瓊は一度だけ官兵衛を見た。


「なるほど」


 それ以上、この話を続けることはなかった。


「では十日については、私から毛利へ伝えましょう」


「お願いします」


「ただし、もう一つ」


 信孝が顔をしかめる。


「まだあるのか」


「最後でございます」


 恵瓊は今度こそ真剣な表情になった。


「毛利は、播磨を巡って林道家や織田家と戦を始めることを望んではおりません」


「それは先ほど聞いた」


「その証として」


 恵瓊は懐から一通の書状を取り出した。


「毛利家より、林道様へ正式な会談を申し入れたい」


 景継の目が止まった。


「私と?」


「はい」


「信孝様ではなく?」


「播磨については、信孝様とお話しいたします」


 恵瓊が答える。


「それとは別の話でございます」


 信孝が眉を寄せる。


「何を話す」


「これからの西国について」


 室内が静かになった。


 恵瓊は景継を見据えている。


「林道様がどこまで西へ来られるのか」


「……」


「毛利がどこまで東を見なければならぬのか」


 恵瓊の声が低くなる。


「一度、互いの考えを確かめておいた方がよい」


 景継は書状を受け取った。


 差出人を確認する。


 毛利家から正式に出されたものだった。


「誰と会うのです?」


「それは、こちらで整えます」


「場所は?」


「国境近くでいかがでしょう」


「分かりました」


「受けられるので?」


「話をするだけでしょう」


「話だけで済めばよろしいのですが」


 恵瓊の言葉に、信孝が反応した。


「どういう意味だ」


「深い意味はございません」


「お前の『深い意味はない』は信用できんな」


「これは困りました」


 恵瓊は笑った。


 だが景継は、手元の書状から目を離さなかった。


 毛利との会談。


 まだ戦ではない。


 むしろ戦を避けるための話になるかもしれない。


 だが、これまでとは意味が違う。


 播磨の処理についてではない。


 毛利が見ようとしているのは、林道景継そのものだった。


     ◇


 会談が終わった後。


 景継と官兵衛は二人で地図を見ていた。


「どう思います?」


 景継が尋ねる。


「探りに来ておりますな」


「私もそう思います」


「毛利としても、今すぐ東へ出たいわけではないのでしょう」


 官兵衛が中国地方へ視線を向ける。


「ですが、秀吉様が亡くなったことで状況が変わった。東に誰が立つのか分からなくなった」


「そこへ私が播磨へ来た」


「はい」


 官兵衛は地図上の播磨を指した。


「毛利から見れば、林道様がここで止まるのか、そのまま西へ来るのか。それによって今後が大きく変わります」


「止まると言えば安心してくれますかね」


「信じないでしょうな」


「でしょうね」


 景継は苦笑した。


「官兵衛殿」


「はい」


「毛利は強いですか?」


 官兵衛はすぐには答えなかった。


「強うございます」


「秀吉様より?」


「比べるものが違います」


 官兵衛は地図の中国地方へ指を滑らせた。


「秀吉様は、ご自身が巨大な力の中心でございました」


 次に、いくつもの地点へ指を置く。


「毛利は違います」


「何が?」


「一人を倒して終わる家ではございません」


 景継の目が地図へ向く。


「領地があり、城があり、海がある。長く毛利と結びついてきた者たちもおります」


「なるほど」


「正面から力だけで押せば、長い戦になるでしょう」


「戦うと決まったわけではありませんよ」


「もちろんです」


 官兵衛はそう答えた。


 だが、二人とも地図から目を離さなかった。


 播磨の向こうには、中国地方が広がっている。


 景継はしばらくそれを見た後、視線を南へ移した。


「それと、四国の件は?」


「調べが進んでおります」


「長宗我部元親」


「はい」


 官兵衛の表情が少し変わる。


「こちらも、思っていた以上に早く考えねばならぬかもしれません」


「何か分かりましたか?」


「元親は四国を一つにまとめる勢いで動いております」


 景継の指が淡路へ置かれた。


 林道家の領地。


 その先には四国。


「毛利と話をしている間に、南から何か起きる可能性もある」


「ございます」


「では、そちらも止めないでください」


「承知いたしました」


 景継は地図を閉じた。


「まず十日ですね」


「はい」


「播磨を終わらせましょう」


     ◇


 そこからの動きは速かった。


 官兵衛は播磨各地へ人を走らせた。


 信孝自身も再び城々を回る。


 すでに従った城については、約束した通り統治を進めた。


 負担を軽くすると決めた村では、実際に取り立てを改めた。


 争いの裁きを求められれば、信孝が決断を下した。


 口だけではない。


 それが伝わるにつれ、様子を見ていた者たちの態度が変わっていく。


 三日目。


 一つの城が信孝への恭順を伝えた。


 五日目。


 さらに二つ。


 七日目には、これまで使者すら城内へ入れなかった者から、話し合いを求める使いが来た。


 だが――


 八日目。


 官兵衛のもとへ一つの知らせが届いた。


 書状を読んだ官兵衛の顔から、僅かに表情が消える。


「どうした?」


 信孝が尋ねた。


「一つ、残りました」


「どこだ」


 官兵衛が地図の西側を指した。


「ここでございます」


「まだ返事をしないのか」


「それだけではございません」


 官兵衛が書状を置く。


「兵を集め始めました」


 信孝の目つきが変わった。


「毛利か?」


「分かりませぬ」


「恵瓊は十日の間、手を出さぬと言ったぞ」


「正式に約束がまとまったわけではございません。それに、毛利が動かした証もない」


「なら、なぜ急に」


 官兵衛は少し考えた。


「我らが他の城を次々とこちらへ引き入れたからでしょう」


 景継が口を開く。


「待っていれば状況が変わると思っていた。しかし、逆に周囲が信孝様へ従い始めた」


「追い詰めたということか」


「おそらく」


 景継は地図を見る。


 ここまで兵を使わずに進めてきた。


 だが、最後まで同じ方法が通じるとは限らない。


「兵はどれほど?」


「まだ多くはございません」


「城門は?」


「閉じております」


「こちらの使者は?」


「追い返されました」


 信孝が立ち上がった。


「ならば、行くぞ」


 官兵衛が信孝を見る。


「攻められますか?」


「まだ決めていない」


 信孝は答えた。


「だが、俺の使者を追い返して兵を集めたのだ。今度は俺が直接行く」


 景継も立ち上がる。


「私も行きましょう」


「景継」


「ここまで一緒にやったのです。最後だけ見ないわけにもいきません」


 官兵衛が二人を見る。


「では、兵を整えます」


「どれほど必要だ?」


「多すぎてはいけません」


 官兵衛が答えた。


「ですが、今度は少なすぎてもいけない」


 景継が頷く。


「話し合うために、戦えるだけの兵を連れていく」


「はい」


 信孝は地図上の城を見つめた。


 播磨の平定は、あと一歩。


 そしてその向こうでは、毛利が景継との会談を待っている。


 景継は腰を上げた。


 これまで言葉で動かなかった最後の一城。


 そこをどう治めるか。


 それが、播磨に新たな主が立ったことを示す最後の試しとなろうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。