↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第十章 天下西進編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
180/258

第百八十話 播磨を治める者



 翌朝。


 景継たちは、信孝の居城を出た。


 向かうのは、官兵衛が最初に指した城である。


 信孝からの使者に対し、恭順するとも拒むとも答えず、曖昧な返事を続けている。


 兵を集めている様子はない。


 城門を閉ざしているわけでもない。


 それでも信孝からの命には従わない。


 官兵衛は、そこに目をつけていた。


「なぜ、この城からなのだ」


 馬上で信孝が尋ねた。


 今回は景継と官兵衛だけではなく、信孝自身も同行している。


「周囲との縁が広いのでございます」


 官兵衛が答えた。


「あの城の主が信孝様を受け入れれば、近隣にも影響が出ます」


「逆なら?」


「当然、逆にも働きます」


「だから最初に行くのか」


「それもございますが、もう一つ」


 官兵衛が前方を見る。


「あそこは、兵で脅すより話した方が早い」


「会う前から分かるのか?」


「少なくとも、戦うつもりなら、とうに備えを始めております」


 街道沿いに見える田畑には、人の姿がある。


 農作業を止め、こちらを遠巻きに眺める者もいた。


 信孝の一行だと分かっているのか。


 それとも、ただ武装した集団を警戒しているだけなのか。


 景継は周囲を見渡した。


「荒れてはいませんね」


「はい」


 官兵衛が答える。


「戦を望んでいる土地には見えませぬ」


 やがて城が見えてきた。


 城門は開いている。


 その前では、数人の武士が待っていた。


 信孝の姿を確認すると、一人が前へ進み出て深く頭を下げる。


「織田信孝様とお見受けいたします」


「そうだ」


「我が主がお待ちしております」


 信孝が官兵衛を見る。


 官兵衛は僅かに頷いた。


 少なくとも、門前で追い返すつもりはないらしい。


 一行は城へ入った。


     ◇


 対面の席。


 城主は、信孝を前にしてもすぐには頭を下げなかった。


 礼は尽くす。


 だが、臣下としての言葉は口にしない。


「何度も使者を寄越されたことは承知しております」


「ならば、なぜ返事をしない」


 信孝が尋ねた。


「申し訳ございません」


「謝罪を聞きに来たのではない」


 信孝は相手を見据える。


「理由を聞きに来た」


 城主は黙った。


 景継は口を挟まない。


 官兵衛も同じだった。


 ここは信孝の領地になる場所だ。


 最初に話すべきなのは信孝だった。


「俺が気に入らぬのなら、そう言えばよい」


「そのようなことは」


「ならば何だ」


 なおも答えない。


 信孝の家臣たちに苛立ちが見え始めた時、官兵衛が静かに口を開いた。


「何を待っておられるのです?」


 城主の目が動いた。


 官兵衛はそれを見逃さない。


「信孝様に従いたくないのではない。今、従うと決めるのが怖いのでしょう」


「……官兵衛殿」


「お久しゅうございます」


 二人は以前から面識があるらしい。


 城主が小さく息を吐いた。


「相変わらず、嫌なところを突かれる」


「それが仕事でございますので」


「黒田殿」


 城主はしばらく俯いた後、信孝へ向き直った。


「秀吉様が亡くなられて、まだそれほど経っておりませぬ」


「ああ」


「その後、清須で播磨は信孝様へ渡ると決まった」


「そうだ」


「そして間もなく、柴田様まで亡くなられた」


 信孝の表情が僅かに曇った。


「……それがどうした」


「大きな方々が、あまりにも続けて消えております」


 城主は言った。


「昨日まで正しいと思っていたことが、翌日には変わる。誰の命に従えば家が残るのか、それすら分からなくなっております」


 信孝は黙って聞いていた。


「信孝様に従った直後、また何かが起きたらどうなるのか。毛利が東へ出てくればどうするのか。あるいは中央で、再び大きな争いが起これば……」


「だから待っていたのか」


「はい」


「誰が勝つかを」


 城主は否定しなかった。


 信孝の家臣の一人が身を乗り出しかける。


 だが信孝が手で制した。


「正直だな」


「ここまで来られて、なお誤魔化す方が無礼かと」


「そうか」


 信孝は腕を組んだ。


「では、聞こう」


 城主が顔を上げる。


「俺が負けると思うか?」


「……分かりませぬ」


「毛利が攻めてきたら?」


「それも分かりませぬ」


「景継と家康が戦えば、どちらが勝つ?」


 今度こそ城主が困った顔をした。


「私には、とても」


「俺にも分からん」


 信孝が言った。


 城主が目を見開く。


「先のことなど、俺にも分からん」


 信孝は続けた。


「だが、お前たちが答えを出すまで、播磨を放っておくわけにはいかない」


 声を荒らげたわけではない。


「田畑は毎年実る。年貢も集めねばならん。道が壊れれば直さねばならん。領地争いが起これば、誰かが裁かねばならん」


 城主が信孝を見る。


「俺が播磨を任された以上、それをやる」


「……信孝様」


「俺が天下で最後に勝つかどうかなど知らん」


 信孝は言い切った。


「だが、今ここを治めるのは俺だ」


 景継は信孝の横顔を見た。


 昨日までの信孝なら、もう少し違う言葉を使ったかもしれない。


 自分が織田信長の子であること。


 清須で播磨を与えられたこと。


 従うのが当然であること。


 それを前へ出していた可能性がある。


 だが今は違った。


「すぐに俺を信じろとは言わん」


 信孝が続ける。


「代わりに、俺が何をするか見ていろ」


 城主の表情が変わる。


「その上で、なお俺では家を守れぬと思うなら――その時は、改めて俺の前でそう言え」


 長い沈黙が流れた。


 やがて城主は両手をついた。


「一つ、お願いがございます」


「言え」


「今年の年貢について、お考え直しいただきたい」


 信孝が眉を寄せた。


「年貢?」


「昨年から兵の往来が続き、村々の負担が増えております。秀吉様のために出した兵糧も少なくございません」


 城主は顔を上げる。


「新たな主を迎えた途端、さらに取り立てが増えるのではないか。それを恐れている者が多いのでございます」


 信孝が景継を見る。


 景継は答えず、官兵衛へ視線を移した。


 官兵衛が尋ねる。


「帳面はございますか」


「ございます」


「見せていただきたい」


 城主が家臣へ命じる。


 しばらくして帳面が運び込まれた。


 官兵衛はそれを開き、目を走らせる。


「……なるほど」


「どうだ?」


 信孝が聞く。


「話を聞く価値はありそうです」


 官兵衛は数か所を指した。


「ここ。それから、こちら。兵糧の供出が続いております。道の普請にも人が取られている」


「減らせというのか?」


「今年だけでも負担を軽くすれば、受け取られ方は大きく変わりましょう」


 信孝は考えた。


「だが、俺にも兵を養う金が要る」


「もちろんです」


 そこで景継が初めて口を開いた。


「すべて免じる必要はありません」


 信孝が振り向く。


「どこまでなら取れるのか。それを現地で調べればよいでしょう」


「簡単に言うな」


「簡単ではありませんよ」


「なら誰がやる」


 景継は官兵衛を見た。


 官兵衛が僅かに眉を上げる。


「私でございますか」


「播磨に詳しいのでしょう?」


「便利に使われておりますな」


「そのために来ていただきました」


 官兵衛は帳面を閉じた。


「では、数日いただきましょう。村も見ます」


「頼む」


 信孝が即座に答えた。


 そして城主へ向き直る。


「調べさせる」


「はっ」


「本当に苦しいのであれば、今年は軽くする」


 城主が頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただし」


 信孝の声が少し強くなる。


「その代わり、俺の命には従ってもらう」


 城主はしばらく動かなかった。


 やがて深く頭を下げる。


 今度は、先ほどまでとは違った。


「……承知いたしました」


 信孝の家臣たちの間に、小さなどよめきが走った。


 最初の一つが動いた。


     ◇


 城を出た後。


 信孝は馬を進めながら、しばらく黙っていた。


「景継」


「はい」


「あれでよかったのか」


「私に聞くのですか?」


「お前ならどうした」


 景継は少し考えた。


「似たようなことをしたと思います」


「本当か?」


「ええ」


「ならよい」


 信孝は前を向いた。


 官兵衛が横から口を挟む。


「まだ一つ目でございますぞ」


「分かっている」


「それに年貢を軽くするのであれば、他の城も同じことを言い出します」


「それも分かっている」


「本当に?」


「官兵衛」


「はい」


「お前、俺を馬鹿だと思っているだろう」


「そのようなことは」


「今、一瞬間があったぞ」


「気のせいでございましょう」


 信孝が官兵衛を睨む。


 だが、その表情には昨日までの張り詰めたものが少し消えていた。


 景継は二人のやり取りを聞きながら、後ろを振り返った。


 城はすでに遠くなりつつある。


 一つ。


 まだ一つに過ぎない。


 だが、兵を使わずに信孝の命を受ける城が増えた。


 次は別のやり方が必要になるだろう。


 すべてが同じ理由で止まっているわけではない。


 官兵衛が地図で示した二つ目の城は、今日とは事情が違う。


 こちらが動かないと見て、要求を膨らませているという。


「次へ行きましょう」


 景継が言った。


 信孝が頷いた。


     ◇


 それから数日。


 播磨の空気は、少しずつ変わり始めた。


 信孝自身が城々を回った。


 官兵衛は各地の帳面を調べ、村へ入り、古くからの縁を使って話を聞いた。


 要求に理由があれば応じる。


 単に足元を見ているだけなら退かない。


 ある城には税の猶予を認めた。


 別の城には、信孝の兵を近くまで進めた上で使者を送った。


 さらに別の場所では、領地を巡る争いを信孝自身が裁いた。


 数日のうちに、返事を止めていた城から次々と使者が来るようになった。


 まだ播磨全体が落ち着いたわけではない。


 それでも、信孝の名で物事が動き始めている。


 そんなある日の夕刻。


 官兵衛が景継の部屋を訪れた。


「林道様」


「どうしました?」


「少し、気になる話がございます」


 景継が書状から顔を上げる。


「毛利ですか?」


「いいえ」


 官兵衛は首を振った。


「毛利からの返答はまだでございます」


「では?」


「西の城を回っていた者から聞いた話です」


 官兵衛は地図を広げた。


 指したのは播磨の西ではない。


 南だった。


「海?」


「はい」


 その指が海を越える。


 淡路。


 そして、そのさらに向こう。


「四国でございます」


 景継の目が止まった。


 数日前。


 恵瓊が言った言葉を思い出す。


『西も南も、皆が次の動きを考えております』


「何があったのです?」


「長宗我部が、さらに動いております」


「長宗我部……」


「元親にございます」


 景継は四国の地図へ視線を落とした。


 土佐を本拠とし、四国で急速に勢力を広げている男。


 景継自身も、その名を知らぬわけではない。


 だがこれまでは、中央の争いがあまりにも激しかった。


 秀吉。


 家康。


 勝家。


 信雄。


 信孝。


 その間にも、四国では別の戦が進んでいた。


「どこまで?」


「まだ詳しいところまでは」


 官兵衛が答える。


「ただ、こちらが思っていた以上に、四国の形が変わるのは早いかもしれませぬ」


 景継の視線が淡路で止まった。


 淡路には、林道家が得た旧羽柴方の所領がある。


 つまり四国の変化は、遠い土地の話ではない。


「調べてください」


「すでに人を出しております」


「早いですね」


「恵瓊殿があれだけ意味ありげに南の話をされましたので」


 景継が地図を見つめる。


 播磨へ来て、まだそれほど経っていない。


 毛利から使者が来た。


 四国では長宗我部が動いている。


 そして東へ目を戻せば、家康も信雄もいる。


 一つを片づければ次へ進める。


 そんな乱世ではないらしい。


 景継が地図の上で指を動かした。


 播磨。


 淡路。


 四国。


 そして中国。


「……忙しくなりそうですね」


「今さらでございましょう」


 官兵衛が答えた。


 その時。


 廊下から声がした。


「申し上げます」


「どうぞ」


 入ってきた家臣が一通の書状を差し出した。


「毛利より、使者が戻ってまいりました」


 官兵衛が景継を見る。


「恵瓊殿ですか?」


「はい」


 景継は書状を受け取った。


 そこには、再び会談を求める旨が記されていた。


 そして――


 今度は毛利から、正式な条件を提示するという。


 景継は書状を閉じた。


「信孝様にもお伝えしてください」


「はっ」


 家臣が去る。


 景継はもう一度、地図へ目を落とした。


 播磨は動き始めた。


 毛利も動く。


 四国も動いている。


 西へ向けた景継の視界には、すでに一つの国だけでは収まらない景色が広がり始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。