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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第九章 天下再導編

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第百七十三話「託すために」


 柴田勝家からの使者が景継のもとへ到着したのは、それから間もなくのことだった。


「勝家様が?」


「はい。できるだけ早くお越しいただきたいと」


 使者の言葉に、景継はわずかに眉を寄せた。


 勝家から呼び出されること自体は珍しくない。


 だが、いつもなら用件の一つくらいは書いて寄越す男だった。


「何かありましたか?」


「それが……」


 使者が言葉を濁す。


 景継はその様子を見逃さなかった。


「勝家様の身に何か?」


「先日、評定の最中にお倒れになりました」


「倒れた?」


 景継の声が低くなる。


「今は起きておられます。医師も、すぐに命に関わるものではないと申しております」


「そうですか」


 景継は短く答えた。


 だが、すぐに弥兵衛を見る。


「支度を」


「はっ」


「今日中に出ます」


 使者が驚いた。


「本日でございますか?」


「勝家様が急げとおっしゃったのでしょう?」


「……はい」


「ならば急ぎます」


 景継は立ち上がった。



 ◇



 出立の支度をしていると、楓がやって来た。


「越前へ行かれると聞きました」


「ええ」


「勝家様がお倒れになったとか」


「耳が早いですね」


「景継様が急に越前へ向かわれると聞けば、何かあったと思います」


 景継は少し黙った。


「すぐに命に関わる状態ではないそうです」


「そうですか」


「本人も起きているそうですから、それほど心配する必要はないと思います」


 楓は景継を見つめた。


「……何です?」


「ご自分に言い聞かせておられるように聞こえました」


 景継は返事をしなかった。


 楓もそれ以上は追及しない。


「お気をつけて」


「ありがとうございます」


「それと」


「はい?」


「勝家様のお顔を、よく見てきてください」


 景継が少し不思議そうな顔をする。


「顔を?」


「はい」


「なぜです?」


「今は、それでよいと思います」


 景継には意味が分からなかった。


 だが楓の表情を見て、聞き返すのをやめた。


「分かりました」


 そう答えて、景継は越前へ向かった。



 ◇



 景継が勝家の城へ到着すると、利家が出迎えた。


「景継殿」


「利家殿」


「早かったな」


「急げと言われましたので」


「そうか」


 利家の表情は硬かった。


 景継はすぐに尋ねる。


「勝家様は?」


「部屋におられる」


「容体は?」


「今すぐどうこうというものではない」


 使者から聞いたものと同じ答えだった。


「ですが?」


 利家が景継を見る。


「……分かるか」


「その顔をされていれば」


 利家は小さく息を吐いた。


「医師からは、以前のような無理はできぬと言われた」


「病なのですか?」


「病もある。だが、それだけではないそうだ」


 利家が少し声を落とす。


「六十を越えた身体で、何十年も戦場を駆け回ってきた。その積み重ねだと」


 景継は黙った。


「最近は疲れが抜けなかったらしい。馬に乗っていても身体がついてこぬことがあったと、本人も認めた」


「勝家様が?」


「ああ」


「自分から?」


「俺も驚いた」


 景継の表情が曇った。


 勝家という男は、多少の傷や疲れで弱音を吐くような人物ではない。


 その勝家自身が身体の衰えを認めた。


 それだけで、景継には十分だった。


「会えますか?」


「ああ」


 利家が歩き出す。


「ただし、一つだけ言っておく」


「何でしょう」


「見た目ほど弱ってはいない」


「それは安心しました」


「口はな」


 景継が利家を見る。


「そこは変わっていませんか」


「まったく変わらん」


「なら大丈夫そうですね」


「俺も最初はそう思った」


 利家の顔は笑っていなかった。



 ◇



「遅い」


 部屋へ入った瞬間だった。


 景継は足を止めた。


 勝家が座っている。


 確かに、見たところ以前と大きく変わらない。


「急いできたのですが」


「俺が呼んでから何日経ったと思っておる」


「距離というものがあります」


「馬を飛ばせ」


「途中で私が倒れます」


「お前はまだ若いだろう」


「勝家様よりは」


「余計なことを言うな」


 景継は少し安心した。


 いつもの勝家だった。


 だが近くへ座った時、その考えは少し変わった。


 顔色が以前より悪い。


 そして何より、景継が入ってきた時にも勝家は立ち上がらなかった。


 以前なら、何かにつけて自ら動いていた男だ。


「何だ」


 勝家が景継を見る。


「いえ」


「言いたいことがあるなら言え」


「お元気そうで安心しました」


「嘘をつけ」


「……分かりますか」


「俺の顔を見てから、お前の目が変わった」


 勝家が鼻を鳴らす。


「心配するな。まだ死なん」


「そうしていただけると助かります」


「お前に言われるまでもない」


 勝家は横に置かれていた書状を手に取った。


「それより、今日は話がある」


「そのために呼ばれたのでしょう」


「ああ」


 勝家が利家を見る。


「利家。お前もいろ」


「はっ」


 利家が座る。


 景継は二人の顔を見た。


「随分と改まっていますね」


「茶化すな」


「茶化してはいません」


「なら黙って聞け」


「はい」


 勝家はしばらく何も言わなかった。


 やがて一枚の地図を広げる。


 越前、加賀。


 そして今回の戦の後に柴田方へ加わった丹波、但馬方面。


 景継は地図へ目を落とした。


「今の柴田は大きくなった」


「そうですね」


「大きくなりすぎたとも言える」


 景継が顔を上げる。


 勝家から出るとは思わなかった言葉だった。


「俺が生きておる間はよい」


 勝家は淡々と続ける。


「俺が命じれば、少なくとも今は動く。佐々もおる。利家も戻った。古くからの者も、新しく従った者もいる」


「はい」


「だが、俺が死んだらどうなる」


 景継は答えなかった。


「答えてみろ」


「私がですか?」


「お前以外に誰がおる」


 景継は地図を見る。


 柴田家は強大だった。


 だからこそ危うい。


 勝家という大きな柱が存在するから、一つの勢力としてまとまっている。


 だが、その柱が消えた時。


「……割れる可能性があります」


「そうだ」


 勝家は迷わず認めた。


「佐々には佐々の考えがある。利家にもある。新たに得た土地には、昨日まで羽柴に従っていた者までいる」


 利家が黙って聞いている。


「俺の後を継ぐ者に、今のすべてをそのまま背負わせるのは無理だ」


「勝家様」


 利家が口を開いた。


「俺は事実を言っておる」


「……はい」


 勝家は景継へ視線を戻した。


「だから考えておきたい」


「今からですか?」


「今だからだ」


 その言葉は強かった。


「死ぬ間際になってから考えて何になる。頭が動き、口が利けるうちに決める」


 景継は勝家を見た。


 この男らしいと思った。


 死を恐れていないわけではないだろう。


 それでも、自分が死んだ後に何が起きるのかを見ないふりはしない。


「景継」


「はい」


「お前なら、どうする」


「柴田家をですか?」


「ああ」


 景継はすぐには答えなかった。


「後継を定め、領地を整理します」


「それだけか」


「今の柴田家の領地を、そのまま一人へ渡すのは危険です」


 勝家の目が細くなる。


「続けろ」


「家を継ぐことと、今の勢力すべてをそのまま継ぐことは別です」


 利家が景継を見る。


「越前を中心に柴田家の核を残す。そのうえで、離れた土地については、それぞれ信頼できる者に任せる必要があります」


「佐々や利家か」


「それも一つでしょう」


「それでまとまると思うか」


 景継は地図を見た。


「……それだけでは難しいでしょうね」


「だろうな」


 勝家は腕を組もうとして、途中で小さく顔をしかめた。


 景継はそれに気づいた。


 だが何も言わなかった。


「景継」


「はい」


「俺はな」


 勝家が地図へ目を落とす。


「柴田の名を残したい」


 景継は黙って聞く。


「領地をすべて残せとは言わん。今の勢力をそのまま残せとも言わん。そんなものは、俺が死んだ後に争いの種になるだけだ」


「……」


「だが柴田家そのものまで消える必要はない」


「そうですね」


「俺が何十年も戦って残した家だ」


 勝家の太い指が、地図の越前を押さえた。


「俺の代で終わらせる気はない」


 利家が静かに頭を下げた。


「勝家様」


「まだ何も決めておらん」


 勝家はそう言ったが、その声にはすでに何かを決めつつある響きがあった。


 景継もそれを感じていた。


「それで私を呼んだのですか?」


「ああ」


「私に何をさせるおつもりです?」


「今日はまだ頼まん」


 景継が少し眉を寄せる。


「まだ?」


「俺にも考える時間くらい寄越せ」


「それなら、なぜこれほど急いで私を?」


「お前の考えを聞きたかった」


「私の?」


「柴田の土地を欲しがるかどうかもな」


 景継の表情が止まった。


 利家も勝家を見る。


「勝家様」


「黙っておれ」


 勝家は景継から目を逸らさない。


「今の柴田は大きい。俺が死ねば、欲しがる者はいくらでも出る」


「私もその一人だと思われましたか?」


「違うのか?」


 景継は答えなかった。


 欲しくないと言えば嘘になる。


 越前も加賀も、丹波も但馬も価値がある。


 兵も、人も、道もある。


 天下を争うなら、大きな力になる。


 そんなことは考えるまでもない。


 だが――。


「欲しいか欲しくないかで言えば、欲しいですよ」


 利家が僅かに目を見開く。


 勝家は動かなかった。


「正直だな」


「勝家様に嘘をついても仕方ありませんから」


「なら、俺が死ねば奪うか?」


「いいえ」


 今度は即答した。


「なぜだ」


「勝家様から奪わないと決めているからです」


 勝家が景継を見る。


「生きていようが、亡くなられようが同じです。柴田家が持つものを、勝家様がいなくなった途端に私が奪えば、それまで勝家様と築いてきたものまで壊れます」


「天下を狙うには甘い考えかもしれんぞ」


「かもしれませんね」


 景継はそれ以上言わなかった。


 勝家も追及しなかった。


 代わりに、ほんの僅かに口元を緩めた。


「……そうか」


 それだけだった。



 ◇



 話が終わり、景継が部屋を出ようとした時だった。


「景継」


「はい」


 振り返る。


 勝家は座ったまま、景継を見ていた。


「近いうちに、もう一度来てもらう」


「分かりました」


「次は――」


 勝家が一度言葉を止める。


「頼み事をする」


 景継の目が僅かに細くなった。


「今日ではないのですか?」


「まだだ」


「分かりました」


「その時は断るな」


「内容も聞かずに約束はできません」


「相変わらず可愛げのない奴だ」


「勝家様にだけは言われたくありません」


「さっさと帰れ」


「はい」


 景継は頭を下げ、部屋を出た。



 城の外へ向かう途中、利家が追いついてきた。


「景継殿」


「利家殿」


 二人は並んで歩く。


「勝家様が何を頼もうとしているか、分かるか?」


 景継は少し考えた。


「おそらくは」


「……俺もだ」


 二人とも、それ以上は口にしなかった。


 城門の前で景継は一度振り返った。


 大きな城だった。


 柴田勝家が何十年もの戦の果てに築いたものが、その向こうにある。


 領地だけではない。


 家臣も、兵も、家も、名も。


 そして、それを築いた本人が今、自分のいなくなった後を考え始めている。


 楓に言われた言葉を、景継は思い出した。


 ――勝家様のお顔を、よく見てきてください。


 その意味が、今になって少し分かった気がした。


「利家殿」


「何だ」


「勝家様をお願いします」


「ああ」


 利家は短く答えた。


「任せておけ」


 景継は頷き、馬へ向かった。


 まだ勝家は生きている。


 まだ話せる。


 まだ会うことができる。


 だから景継は、その時が来るまで、別れの言葉を考えないことにした。




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