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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第九章 天下再導編

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第百七十一話「戻る場所」



 楓との祝言から数日が過ぎた。


 祝いのために訪れていた者たちも少しずつ帰路につき、林道家もようやく普段の空気を取り戻し始めていた。


 もっとも、景継に休んでいる暇はない。


 新たに得た領地の統治。


 旧羽柴家臣の処遇。


 北条との連絡。


 さらに各地から届く書状。


 景継が一つずつ目を通していると、弥兵衛が部屋へ入ってきた。


「殿」


「どうしました?」


「お会いしたいという方が来られております」


「どなたです?」


「前田利家殿です」


 景継の手が止まった。


「……利家殿が?」


「はい」


「分かりました。お通ししてください」


「はっ」


 弥兵衛が出ていく。


 景継は手にしていた書状を置いた。


 前田利家。


 秀吉とも勝家とも深い縁を持った男。


 北ノ庄の戦いの後も、景継のもとへ入ることはなかった。


 秀吉との縁も完全には切らず、かといって勝家と再び敵対することも望まなかった。


 その利家が、秀吉亡き今、自ら訪ねてきた。


 やがて襖が開く。


「お久しゅうございます」


「利家殿」


 景継が迎える。


 利家は向かいへ座った。


「祝言を挙げられたそうですな」


「ありがとうございます」


「北条の姫君と聞きました」


「ええ」


「……随分と遠いところまで縁を結ばれたものだ」


 利家はわずかに笑った。


 だが、その表情はすぐに消えた。


「今日は、その祝いを言いに来たわけではない」


「でしょうね」


 景継は急かさなかった。


 利家が自分から話し始めるまで待つ。


 しばらくして、利家が口を開いた。


「秀吉が死んだ」


「はい」


「いや……」


 利家は目を伏せた。


「秀吉様が、死んだ」


 景継は何も言わなかった。


「お前が討った」


「はい」


「恨んでいるかと聞かれれば……自分でも分からん」


 利家の声は静かだった。


「戦だった。秀吉様はお前を討とうとし、お前は秀吉様を討った。それくらいは分かっている」


「……はい」


「だからといって、何も感じぬわけではない」


「当然でしょう」


 利家が景継を見る。


「随分と簡単に言うのだな」


「私が利家殿の立場なら、同じだと思います」


「お前が?」


「親しい方を討った相手と、すぐに笑って話せるほど器用ではありませんので」


 利家は少しだけ表情を緩めた。


「そうか」


 再び沈黙が落ちる。


 やがて利家は大きく息を吐いた。


「秀吉様がいなくなって、考えた」


 景継は黙って聞く。


「俺はこれから、どこへ行くのかとな」


 利家の声が低くなる。


「秀吉様のところへ行くこともできん。お前に仕えるつもりもない」


「それで構いません」


「だろうな」


 利家が苦笑した。


「お前ならそう言うと思っていた」


「では、どちらへ?」


 景継が尋ねる。


 利家はすぐには答えなかった。


「……勝家様だ」


 景継の目がわずかに動いた。


「勝家様のところへ戻りたい、と?」


「戻れるならな」


「なるほど」


 利家は拳を膝の上で握った。


「だが、俺は一度あの方から離れた」


 賤ヶ岳へ至る争い。


 秀吉と勝家。


 二人の間で、利家もまた難しい立場に置かれた。


「今さら勝家様の前へ出て、『戻って参りました』で済む話ではない」


「だから私のところへ?」


「ああ」


 利家が真っ直ぐ景継を見る。


「頼みがある」


「聞きましょう」


「勝家様との間を取り持ってくれ」


 景継はしばらく利家を見ていた。


「私でよろしいのですか?」


「今の勝家様に、俺の話を持っていける者で、俺が頼める相手はそう多くない」


「それはそうでしょうね」


「それに――」


 利家が少しだけ笑う。


「お前なら、勝家様に怒鳴られることにも慣れているだろう」


「そこを理由にされるのは納得できませんね」


「違うのか?」


「……否定はしません」


 利家が久しぶりに笑った。


 景継もわずかに笑う。


「分かりました」


 景継が答えた。


「勝家様に話してみます」


「恩に着る」


「ただし」


 利家の表情が戻る。


「私ができるのは、利家殿が勝家様と話せる場を作るところまでです」


「ああ」


「勝家様が何と答えるかは、勝家様がお決めになることです」


「それでいい」


 利家は迷わなかった。


「俺が自分で話す」


「分かりました」


 景継は頷いた。



 ◇



 数日後。


 景継は勝家のもとを訪れていた。


「利家が?」


 勝家の声が低く響いた。


「はい」


「俺のところへ戻りたいと?」


「そう申しております」


 勝家は腕を組んだ。


 喜ぶでもなく、怒るでもない。


 ただ難しい顔をしていた。


「今さら何をしに戻る」


「それは利家殿本人からお聞きください」


「お前は聞いたのだろう」


「聞きました」


「なら言え」


「嫌です」


 勝家の眉が動く。


「何?」


「利家殿が勝家様に直接話すべきことです」


「……お前な」


「私の言葉を挟んだら意味が変わります」


 勝家は景継を睨んだ。


 景継も黙っている。


 しばらくして勝家が鼻を鳴らした。


「昔から、妙なところで頑固な奴だ」


「勝家様ほどではありません」


「余計な一言を足すな」


 景継は口を閉じた。


「それで?」


「はい?」


「利家はどこだ」


「外で待っていただいております」


「最初から連れてきたのか」


「ええ」


「俺が会わんと言ったらどうするつもりだった」


「利家殿と一緒に帰ります」


「……まったく」


 勝家が息を吐いた。


「呼べ」


「よろしいのですか?」


「話くらいは聞く」


「分かりました」


 景継が立ち上がる。


 しばらくして、利家が入ってきた。


 勝家と利家。


 二人の視線がぶつかる。


「……勝家様」


「利家」


 景継は二人を見た。


「では、私は――」


「待て」


 勝家に止められる。


「お前もいろ」


「よろしいので?」


「お前が連れてきたのだろう」


「それはそうですが」


「なら最後まで付き合え」


 景継は仕方なく座り直した。


 利家も座る。


 しばらく誰も話さなかった。


 先に口を開いたのは利家だった。


「勝家様」


「何だ」


「申し訳ございませんでした」


 利家が深く頭を下げた。


 勝家は黙っている。


「何について謝っている」


「すべてにございます」


「それでは分からん」


 利家が顔を上げた。


「勝家様と秀吉様の間で、私は最後まで迷いました」


「知っておる」


「どちらにも恩があった。どちらとも戦いたくなかった。だから……どちらにも中途半端になった」


 勝家は何も言わない。


「自分なりに考えて選んだつもりでした。ですが今思えば、結局は覚悟を決めきれなかっただけなのかもしれませぬ」


「それで?」


「秀吉様は、もうおりません」


 利家の声が少し詰まる。


「だから勝家様のところへ戻る、というのでは虫がよすぎることも分かっております」


「その通りだ」


 勝家は即答した。


 景継は口を挟まない。


「だが」


 勝家が続ける。


「お前は、俺に許してほしくて来たのか」


 利家が首を振った。


「いいえ」


「なら何だ」


「働かせていただきたい」


 勝家の目が細くなる。


「俺の下で?」


「はい」


「なぜだ」


 利家は少し考えた。


「戻る場所を考えた時、勝家様の顔が浮かびました」


「……」


「それだけにございます」


 勝家は利家を見つめた。


 長い沈黙だった。


 やがて勝家が景継を見る。


「景継」


「はい」


「お前はどう思う」


「私に聞くのですか?」


「聞いておる」


 景継は利家を見る。


 そして勝家へ視線を戻した。


「使えばよろしいかと」


 利家が僅かに目を見開いた。


「利家殿ほどの方が働きたいと言っているのです。使わない理由はありません」


「簡単に言うな」


「難しく考えたところで、利家殿の過去は変わりません」


 勝家が黙る。


「勝家様が許せないことまで、許す必要はないでしょう」


「……」


「ですが、許すことと、共に働くことは別です」


 勝家はしばらく景継を睨んでいた。


 やがて利家へ視線を戻す。


「利家」


「はっ」


「昔と同じだと思うな」


「承知しております」


「俺はお前に気を遣わん」


「はい」


「働けぬと思えば、すぐに外す」


「はい」


 利家が頭を下げる。


 勝家はその姿を見て、大きく息を吐いた。


「……ならば働け」


 利家の肩がわずかに震えた。


「勝家様」


「二度も言わせるな」


「……はっ!」


 利家は深く頭を下げた。


「前田又左衛門利家、もう一度、勝家様の下で働かせていただきます」


「好きにしろ」


 勝家はそう言って顔を背けた。


 景継には、その横顔がほんの少しだけ緩んだように見えた。


 だが何も言わなかった。



 ◇



 帰り際。


 景継が城を出ようとすると、後ろから声がした。


「景継」


 振り返ると、勝家が立っていた。


「どうされました?」


「利家のことだ」


「はい」


「余計なことをしたな」


 景継は少し考える。


「怒っておられます?」


「誰がそう言った」


「では、よかったのですか?」


「それも言っておらん」


「難しいですね」


「黙れ」


 景継は小さく笑った。


 勝家がその顔を見て、鼻を鳴らす。


「……だが」


「はい」


「礼は言っておく」


 景継は少し驚いた。


「珍しいですね」


「取り消すぞ」


「では、ありがたく受け取っておきます」


 勝家は背を向けた。


「景継」


「はい」


「また来い」


「もちろんです」


「今度は酒でも持ってこい」


「分かりました」


 景継はそう答え、勝家の背中を見送った。


 前田利家が、柴田勝家のもとへ戻った。


 それは天下を揺らすほど大きな出来事ではない。


 だが、秀吉の死によって一度行き場を失った者たちが、それぞれ新しい場所を選び始めている。


 その一つが、静かに決まった日だった。



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