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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第九章 天下再導編

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第百六十六話 第二次清須会議


 清洲城の門をくぐった景継は、馬上から城を見上げた。


 信長と信忠が死に、織田家の行く末を決めるために諸将が集まった場所。


 あの時とは、状況も立場も大きく変わっている。


 ――また、ここですか。


 景継はそれだけを思い、馬を降りた。


 今回、清洲へ集まったのは林道景継、徳川家康、柴田勝家、織田信雄、織田信孝、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興。


 さらに上杉景勝の名代として直江兼続、北条からは板部岡江雪斎が姿を見せていた。


 景継の後ろには黒田官兵衛もいる。


 正式な主従というには、まだ二人の関係は奇妙だった。


 景継は官兵衛を利用する。

 官兵衛も景継を利用する。


 ただ、旧羽柴領と旧羽柴家臣について、この男以上に詳しい者がいないことだけは確かだった。


「遠路、ご苦労でした」


 景継が江雪斎へ声をかける。


「氏政様より、よく話を聞いて参れと申しつけられております」


「それは怖いですね」


「林道様がおっしゃいますか」


 江雪斎はわずかに笑い、頭を下げた。


 やがて一同が広間へ入り、それぞれの席につく。


 中央には大きな地図が広げられていた。


 旧羽柴方の城、街道、領地。


 さらに周辺諸国との境まで細かく書き込まれている。


 景継の命を受け、三成たちが整理したものだった。


 最初に口を開いたのは長秀である。


「皆、揃いましたな」


「ああ」


 勝家が地図を見下ろした。


「始めよう。秀吉が死んだ以上、宙に浮いた土地をいつまでも放っておくわけにはいかん」


「その通りです」


 景継が答える。


「ただし、ここで村一つ、城一つまで決めるつもりはありません。まず大枠を決めましょう。細かな境については、その後で詰めればよい」


「それがよかろう」


 家康が頷いた。


 信雄も信孝も異論はない。


 景継は地図へ手を伸ばした。


「まず、徳川様への恩賞から決めたいと思います」


 家康が静かに景継を見る。


「徳川様には長久手で大きな働きがありました。その後も信雄様と共に羽柴方を攻め、秀吉様の兵を縛っていただいた。当然、相応の恩賞が必要です」


「旧羽柴領をもらうつもりはないぞ」


「遠すぎますからね」


「先日の話と同じか」


「はい」


 景継の指が尾張へ移った。


「三河や遠江を基盤とする徳川家に、遠く離れた土地を与えても治めにくいだけです。そこで、信雄様から尾張東南部の一部を徳川様へ譲っていただきたい」


 信雄が眉を寄せる。


「やはり、そこか」


「はい」


「尾張は織田の土地だぞ」


「承知しております。ですから、その分は別の土地で補います」


 景継の指が畿内へ移った。


「河内。それに和泉の旧羽柴方所領を中心に、信雄様へ加える」


「尾張の一部を渡す代わりに、か」


「はい。尾張の大部分は信雄様のままです。伊勢、伊賀についても変えません」


 信雄はしばらく地図を見つめた。


「家康殿」


「何でしょう」


「尾張東南部と言っても、どこまで渡すかは別の話だ」


「無論です。そこは後ほど双方で話し合いましょう」


「ならばよい」


 信雄が頷く。


 家康も異論を唱えなかった。


 景継の指が北へ動いた。


「次に上杉です」


 直江兼続が姿勢を正す。


「上杉様にも今回、大きく動いていただきました。しかし越後から離れた畿内の土地を渡しても、恩賞がかえって負担になりかねません」


「もっともにございます」


「そこで、越中東部の一部を上杉へ移したいと考えています」


「待て」


 勝家が口を挟んだ。


「越中には成政がおる」


「存じています」


「佐々から取り上げるということか」


「一方的には取り上げません」


 景継の指が丹波と但馬へ移る。


「越中で上杉へ譲った分は、旧羽柴方所領から柴田方へ補います。佐々殿にも、その中から相応の知行を与えていただきたい」


 勝家が地図を見る。


「つまり、越中東部の一部を上杉へ渡す代わりに、こちらは丹波、但馬へ伸びる」


「はい。柴田様にはこれまでの越前、加賀方面を基盤としていただき、丹波と但馬の旧羽柴方所領を加える形がよいかと」


 直江兼続が口を開く。


「越後に接する越中であれば、上杉としてもありがたい話にございます。ただ、どこまでを上杉領とするかについては、景勝様へ持ち帰らせていただきたい」


「もちろんです」


 勝家も頷いた。


「こちらも成政と話す必要がある。大枠については異論ない」


「では、その方向で」


 柴田方は従来の越前、加賀方面に加え、丹波、但馬方面へ勢力を伸ばす。


 佐々成政らを含めれば、戦後も最大級の勢力となるだろう。


 景継はそれを削ろうとはしなかった。


 勝家が働いた。


 ならば報いる。


 それだけのことだった。


「次に、信孝様」


「俺か」


 景継の指が西へ動く。


「播磨の旧羽柴方所領を、信孝様へ」


「播磨を?」


「はい」


「俺には美濃がある。かなり離れるぞ」


「承知しています」


「先ほど飛び地は治めにくいと言っていたではないか」


「ですから、徳川様や上杉様ほど綺麗な形ではありません。ただ、播磨は秀吉様が長く足場としてきた土地です」


 景継は播磨を指した。


「羽柴家がなくなったからといって、誰にでも任せられる場所ではありません。織田の名を持ち、相応の兵を動かせる方が治めた方がよい」


「俺なら抑えられると?」


「そう考えています」


 信孝は地図を見つめた。


 美濃を持ちながら、西にも大きな足場を得る。


 離れているという難点はある。


 それでも、得られるものは大きい。


「……分かった。受けよう」


「随分とあっさりお決めになりましたな」


 勝家が横から口を挟んだ。


 信孝が勝家を見る。


「丹波と但馬を受ける勝家に言われたくはない」


「それだけ信孝様にとって、播磨が魅力的だったということでございましょう」


「当然だ。これほどの土地を差し出されて、いつまでも渋っている理由もない」


 信孝はもう一度、地図へ視線を落とした。


「ただし、治めるのは簡単ではなさそうだな」


「そこは私も手を貸します」


 景継が答える。


 その後ろで、官兵衛がわずかに目を細めた。


 旧羽柴家臣や播磨の事情を考えれば、官兵衛の力も必要になる。


 それを分かった上での配置だった。


 そして――。


「林道殿」


 家康が口を開いた。


「はい」


「皆の取り分は分かった」


 家康の視線が地図の中央へ落ちる。


「お主はどうする」


 広間が静かになった。


 勝家も、信雄も、信孝も景継を見る。


 秀吉を討ち取ったのは林道軍。


 今回の戦で最大の功を挙げた者が誰かと問われれば、景継の名を外すことはできない。


「近江です」


 景継が答えた。


「今ある林道領に加え、近江の旧羽柴方所領をいただきます」


 指を西へ動かす。


「そして山城の旧羽柴方所領」


 さらに摂津へ。


「摂津については、池田殿をはじめ既存の領主の土地には手をつけません。旧羽柴方所領と大坂周辺の要地をいただきたい」


 恒興が頷く。


「それならば異存はない」


「ありがとうございます」


 最後に景継の指が海へ伸びた。


「それと、淡路の旧羽柴方所領を」


「それだけか?」


 勝家が聞いた。


「十分でしょう」


「……お前なら、もっと取ると思っておったが」


「必要ありません」


「秀吉を討った最大の功は、お前にある。それでもか」


「ええ」


 景継は地図へ視線を落とした。


「今回分けることができるのは、秀吉様が亡くなったことで処遇を決め直す必要が生じた土地です。それ以上まで手を伸ばせば、論功行賞ではなく新たな戦になります」


 勝家が腕を組んだ。


「なるほどな」


「それに、領地は広ければよいというものではありません」


 景継は近江から山城、摂津、淡路へと視線を移した。


「私は、必要な場所をいただきます」


 その言葉を聞き、勝家が改めて地図を見た。


 しばらく何も言わない。


 やがて太い指が、近江から西へ動いた。


「……石高ではなく、場所を取ったか」


 景継は答えなかった。


「近江を押さえれば京へ出られる。山城から摂津へ入り、大坂へ出る。その先には海がある」


 信孝も地図へ目を落とした。


「なるほど。林道家だけ、領地の意味が違うな」


「石高だけなら、柴田殿の方が上でしょう」


 長秀が静かに言った。


「ですが、天下の中央を押さえているのは景継殿になる」


 誰もすぐには言葉を返さなかった。


 柴田方は百二十万石を超えるほどの勢力。


 信雄も尾張、伊勢、伊賀を基盤として河内、和泉方面を加え、百余万石規模。


 信孝は美濃に播磨を加え、九十万から百万石ほど。


 林道家もまた、九十万から百万石ほど。


 数字だけなら、景継が一人抜け出したわけではない。


 むしろ勝家の方が大きい。


 だが、近江、山城、摂津、大坂、淡路。


 並べてみれば、その意味は明らかだった。


 京へ続く道。


 大坂へ続く道。


 琵琶湖。


 そして海。


 天下の中央を、人と物が流れる道ごと押さえる。


 家康は何も言わなかった。


 ただ、地図を見つめる目だけが先ほどまでとは違っている。


 景継が何を欲し、何を捨てたのか。


 おそらく家康は、すでに理解している。


 景継も説明するつもりはなかった。


 分かる者には、地図を見れば分かる。


「では」


 長秀が一同を見渡した。


「大枠としては、この形を基に詰めていくことでよろしいか」


「俺は構わん」


 勝家が答える。


「ただし、成政への補償は確実にしてもらうぞ」


「もちろんです」


 信雄も頷く。


「尾張東南部については家康殿と改めて話す。それ以外は異論ない」


「私もそれで」


 家康が応じる。


 信孝も続いた。


「播磨については受ける。ただ、旧羽柴方の者をまとめるには手を借りたい」


「そのために官兵衛殿がいます」


 景継が後ろを見る。


 官兵衛が小さく頭を下げた。


「早速、使われることになりそうでございますな」


「働いていただいた分は、黒田家にも返しますよ」


「それならば、せいぜい高く働いたことにしていただきましょう」


 景継は返事をせず、地図へ視線を戻した。


 大きな枠組みは見えた。


 これで全てが終わったわけではない。


 丹羽、滝川、池田ら今回の戦で働いた者への加増。


 旧羽柴家臣の処遇。


 城や村ごとの細かな境。


 決めるべきことはいくらでも残っている。


 それでも、天下の形は少しずつ変わり始めていた。


 秀吉という巨大な存在が消えた場所へ、別の勢力が入り込んでいく。


 その時だった。


「一つ、よろしいでしょうか」


 板部岡江雪斎が口を開いた。


 広間の視線が北条の使者へ集まる。


「どうぞ」


 景継が答えた。


「皆様への恩賞については、よく分かりました」


 江雪斎は落ち着いた声で続ける。


「では、北条への恩賞について、改めてお聞かせ願いたい」


 景継の指が関東へ移った。


「西上野、南上野については、北条がすでに強く支配している地域の領有を、ここにいる諸家が正式に認める形で考えています」


「沼田は?」


「北条の権利を一定程度認めます。ただし、最終的な帰属については先送りします」


「吾妻は?」


「現状を維持するのがよいでしょう」


 江雪斎は黙った。


 直江兼続も何も言わない。


 上野をめぐる問題には、北条だけではなく上杉、徳川、真田も関わっている。


 ここで一方に全てを与えれば、秀吉との戦が終わったばかりだというのに、新たな争いの種を蒔くことになる。


 やがて江雪斎が口を開いた。


「つまり、西上野と南上野について北条の領有を認め、沼田については一定の権利を認めながら決着を先送りする」


「はい」


「それが、今回の北条への恩賞であると?」


「それだけではありません。今後の関東についても――」


「足りぬな」


 低い声が、広間に響いた。


 景継の言葉が止まった。


 江雪斎ではない。


「誰だ」


 勝家が眉を寄せる。


 広間にいた者たちの視線が、一斉に北条の一行へ向いた。


「西上野と南上野を認める。沼田については先送り。それで北条の働きに報いたつもりか」


 一人の男が、ゆっくりと前へ出た。


「何者だ」


 信孝が鋭く問う。


 男は答えない。


 代わりに江雪斎が、その男へ深く頭を下げた。


「……殿」


 広間の空気が変わった。


「殿……?」


 信雄が男を見る。


 男は江雪斎の横まで進むと、景継を真正面から見据えた。


「久しいな、景継」


 その声を聞いた瞬間、景継の目がわずかに見開かれた。


「……氏政様」


「北条氏政!?」


 信雄が声を上げた。


 勝家も長秀も驚きを隠さない。


 家康だけは声を上げず、氏政と景継を交互に見ている。


 北条氏政。


 関東に巨大な勢力を築く北条家の当主が、自ら清洲まで来ていた。


「なぜ御自ら……」


 家康が静かに問う。


 氏政は家康を一瞥した後、再び景継へ視線を戻した。


「見ておきたかったのだ」


「何をです?」


「秀吉を倒した後、お前が何をするのかをな」


 景継は黙って氏政を見返した。


 氏政が一歩前へ出る。


「景継。一つ聞こう」


「何でしょう」


「我ら北条が動かなければ――秀吉はどうなっていた?」


 広間が静まり返った。


 氏政は景継から目を逸らさない。


 上杉が北から動いた。


 北条が東から動いた。


 その二つが同時に起きたことで、秀吉は兵も道も時間も奪われ、立て直す余地を失った。


 そして、その形を作ろうとしていた者が誰なのか。


 氏政は知っている。


 秀吉がまだ生きていた頃、小田原で景継自身の口から聞いていたのだから。


 だが、それをこの場で知る者はほとんどいない。


 氏政が低い声で続けた。


「景継」


 家康の視線が、ゆっくりと二人へ向く。


「北条が今回働いた価値を――お前の口から聞かせてもらおうか」

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