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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第九章 天下再導編

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第百六十四話 戦の次に得るもの



 羽柴秀吉の死から、日が過ぎていく。


 戦場に散っていた兵はそれぞれの領地へ戻り始め、各地では戦後の処理が急速に進んでいた。


 だが、景継に休む暇はなかった。


 むしろ戦っていた時より忙しいほどだった。


「こちらの三城については、城主が降伏を申し出ております」


 弥兵衛が地図を指す。


「条件は?」


「所領の一部安堵。それと、家臣の助命を求めております」


「受けましょう」


「よろしいので?」


「ええ。こちらに従い、今後敵対しないのであれば」


 景継が次の書状へ目を移す。


「ただし、城はそのままにはしません。必要な場所はこちらから人を入れます」


「承知しました」


 秀吉が死んだからといって、旧羽柴勢力のすべてが一夜で景継のものになったわけではない。


 城を持つ者。


 領地を持つ者。


 秀吉個人への忠義で従っていた者。


 羽柴家が強かったから従っていた者。


 それぞれ事情が違う。


 だから景継は、一つずつ処理していた。


 従う者には条件を示す。


 拒む者には兵を向ける準備をする。


 だが、できる限り戦わない。


 今欲しいのは焼けた土地ではなく、すぐに使える土地だった。


「殿」


「何です?」


「三成殿が、また来ております」


「また?」


「またです」


 弥兵衛の顔が少し疲れている。


「今度は何でしょう」


「年貢の取りまとめ方について、今のやり方では無駄が多いと」


「では、聞きましょう」


「昨日も聞きました」


「今日も聞けばいいでしょう」


「殿は聞くだけだからよいのです」


「弥兵衛」


「何です」


「頑張ってください」


「他人事だと思って……」


 その声が終わらないうちに、石田三成が入ってきた。


 手には何冊もの帳面が抱えられている。


「林道様」


「三成殿。今度は何を見つけました?」


「まず、こちらをご覧ください」


「まず?」


 景継が帳面を受け取る。


 三成は地図の上に別の紙を広げた。


「新しく林道家の管理下へ入る村々ですが、これまでの取り立て方をそのまま残すべきではございません」


「なぜです?」


「領主ごとに基準が違いすぎます。それに、戦の影響を受けた村と受けていない村が同じ扱いになっている」


 三成の指が紙の上を動く。


「ここは今年の収穫が落ちております。今までと同じだけ取れば、来年はさらに落ちます」


「では減らす?」


「一時的には」


「収入が減りますね」


「今年だけを見れば」


 三成は即答した。


「ですが、村が立ち直れば翌年以降は戻ります。ここで無理に取れば、逃げる者が出る。田畑も荒れる。その方が損です」


 景継の目が僅かに変わった。


「……いいですね」


 三成が口を止める。


「何がでしょう」


「その考え方です」


「当然のことを申し上げただけですが」


「その当然をやってくださる方が必要だったのです」


 三成は少し困ったような顔をした。


 横では弥兵衛が深く息を吐いている。


「殿」


「何です?」


「三成殿を褒めるのは構いませんが、そのたびに仕事が増えている気がします」


「気のせいでしょう」


「気のせいではありません」


 三成が真顔で割って入った。


「実際に増えます」


「三成殿まで……」


 弥兵衛が肩を落とした。


 景継は笑いながら、もう一度帳面へ目を落とした。


 官兵衛の評価は正しかった。


 三成は戦場で槍を振るう男ではない。


 だが、増えた領地を力に変えることに関しては、すでに役に立ち始めている。


 そして、それは三成だけではなかった。



          ◇



「こちらの二家ですが、同時に呼ばぬ方がよろしいでしょう」


 大谷吉継が二通の書状を並べた。


「仲が悪い?」


「先代の頃から境を巡って争っております。片方を先に呼べば、もう片方は自分が不利になると疑います」


「では、どうします?」


「別々に条件を伝えたうえで、最後だけ同じ席へ」


「なるほど」


「その時、林道様にはどちらにも同じことを仰っていただきたい」


「何と?」


「過去の争いを理由に所領を動かすつもりはない、と」


 景継が吉継を見る。


「それだけで?」


「それだけだから意味があります。余計な条件を付ければ、裏があると思われます」


「分かりました」


 少し離れた場所では、片桐且元が降伏した旧羽柴方の者たちから事情を聞いている。


 城。


 村。


 街道。


 蔵。


 誰が何を管理していたのか。


 どこに兵糧が残っているのか。


 どの家とどの家に遺恨があるのか。


 戦場では見えないものが、次々と整理されていった。


「官兵衛殿」


 景継が隣に座る男へ声をかける。


「何でしょう」


「良い方々ですね」


「だから申し上げたでしょう」


「もっと早く欲しかったです」


「秀吉様の家臣を、いつから奪うおつもりだったのです」


「さすがにそれは怒られますね」


「当たり前です」


 官兵衛は呆れたように答えた。


 だが、その目は三成たちの働きを追っている。


 秀吉が育て、使ってきた者たちだった。


 それが今、景継の下で働き始めている。


 何も思わないはずがない。


 景継も、それには触れなかった。


「それで」


 官兵衛が話を変えた。


「いつまで、このようなことを続けるおつもりです?」


「このようなこと?」


「旧羽柴領の整理です」


「終わるまででしょう」


「それでは遅い」


 景継が官兵衛を見る。


「理由を聞きましょう」


「秀吉様が亡くなった今、迷っているのは旧羽柴家臣だけではございません」


 官兵衛が地図を引き寄せた。


「周囲の者たちも、次に誰が大きくなるのかを見ております」


「私か、家康様か」


「それだけではありません」


 官兵衛の指が地図を動く。


「勝家様は健在。上杉も北条も大勢力。信雄様、信孝様もおります」


「ええ」


「そして、秀吉様がいなくなったことで空いた場所も多い」


 景継は地図を見る。


「早く形を作れと?」


「はい」


「官兵衛殿なら、どうします?」


 官兵衛は少しだけ笑った。


「早速使われますか」


「そのために近くにいていただいているので」


「では申し上げましょう」


 官兵衛の指が近江から周辺へ動く。


「何もかも取ろうとなさらぬことです」


「ほう」


「欲張れば、今まで林道様に協力していた者まで警戒します」


 景継は黙って聞く。


「勝家様には勝家様の領地がある。信孝様にも立場がある。信雄様も同じ。秀吉様が亡くなった途端、林道様がすべてを飲み込もうとすれば――」


「次は私が秀吉様のように見える」


「その通りです」


「では、必要なところだけ取る」


「ただし」


 官兵衛が景継を見る。


「取るなら、遠慮してはなりませぬ」


 景継が笑った。


「どちらです?」


「必要なものを見極めろと申し上げております」


「なるほど」


「道を押さえる土地。複数の領地をつなぐ場所。兵糧を集められる場所。今後、林道家が大軍を動かすために必要になる土地」


「石高だけでは選ばない」


「ええ」


 景継はしばらく地図を見た。


 やがて、いくつかの場所へ印を付けていく。


「ここ。それから、ここ」


 官兵衛も見る。


「こちらも欲しいですね」


「理由は?」


「ここを他家に押さえられると、林道家の領地が分かれます」


「同感です」


 二人の指が地図の上を動く。


 弥兵衛がその様子を見ながら、少し嫌そうな顔をした。


「何です?」


 景継が気づく。


「いえ」


「言ってください」


「殿一人でも大変だったのに、官兵衛殿まで加わったと思いまして」


「良いことでしょう」


「私の仕事が増えます」


「三成殿もいますよ」


「三成殿は仕事を減らすのではなく、新しい仕事を見つけてきます」


 官兵衛が小さく笑った。


「良い家臣を得られましたな」


「官兵衛殿のおかげです」


「ならば私にも見返りをいただかねば」


 景継の目が官兵衛へ向く。


「黒田家ですか」


「ええ」


「忘れていませんよ」


「それなら結構」


 互いに利用する。


 その約束は、すでに動き始めていた。


 景継は官兵衛の頭を使い、林道家を大きくする。


 官兵衛はその働きを使って、黒田家の立場を大きくする。


 どちらも相手に隠してはいない。



          ◇



 さらに半月ほどが過ぎた。


 戦後の混乱は、少しずつ収まり始めていた。


 降る城が増えた。


 林道家へ仕えることを選ぶ者も増えた。


 抵抗を続ける者はいたが、秀吉という中心を失った今、それぞれが孤立している。


 景継はすべてを攻めなかった。


 条件を示し、待ち、それでも拒む場所にだけ兵を向けた。


 平野長泰が、その役目で早速働いた。


「開門したぞ!」


 城門が開く。


 林道軍がなだれ込む――ことはなかった。


「止まれ!」


 長泰が兵を止める。


 城内から、武器を置いた兵たちが出てくる。


 城主は最後まで迷っていたが、外曲輪を破られたところで降伏を決めた。


「降った者には手を出すな!」


 長泰の声が響く。


「蔵も勝手に開けるな! 林道様から、必要な物以外は触るなと言われている!」


 兵たちが応じる。


 戦う時は前へ出る。


 だが、戦いが終われば止める。


 景継が長泰に求めたのは、それだった。


 数日後、その報告を聞いた景継は満足そうに頷いた。


「長泰殿も良いですね」


「でしょう」


 官兵衛が答える。


「では、清正殿と正則殿も――」


「まだです」


「分かっていますよ」


「本当に?」


「官兵衛殿まで私を信用していませんね」


「最初から互いに信用していないでしょう」


「そうでした」


 二人の会話を聞いていた弥兵衛が、何とも言えない顔をする。


 その時だった。


「殿」


 一人の家臣が入ってくる。


「徳川より使者が参っております」


 景継と官兵衛の表情が同時に変わった。


「家康様から?」


「はい」


「内容は」


「林道様と直接、お話がしたいとのことにございます」


 景継は少し黙った。


 秀吉との戦が始まる前。


 家康は景継のもとを訪れ、一つの約束を求めた。


『ただ――我らの邪魔をしないでいただきたい』


 景継は答えた。


『徳川様の邪魔はいたしません』


 確かに邪魔はしなかった。


 家康は自ら長久手で勝った。


 信雄と共に羽柴方の拠点を攻めた。


 その間に景継は、勝家を動かし、一益を動かし、上杉と北条を動かし――最後には秀吉自身を討った。


 官兵衛が景継を見る。


「心当たりがおありで?」


「ありますね」


「良い話ですかな」


「どうでしょう」


「徳川様は、林道様が秀吉様を討ったことを喜んでおられると思いますか」


「少なくとも、手放しでは喜んでいないでしょうね」


 秀吉が消えた。


 その結果、最も大きくなろうとしているのは誰か。


 家康がそれを見誤るはずがない。


「会われますか」


 官兵衛が尋ねる。


「もちろん」


 景継は即答した。


「断る理由がありません」


「では、私も同席を?」


「いいえ」


 官兵衛の眉が僅かに動いた。


「なぜです?」


「家康様が会いたいと言っているのは私です」


「それだけで?」


「それに」


 景継は少し笑った。


「官兵衛殿まで隣にいたら、家康様が余計に警戒するでしょう」


「すでに警戒されていると思いますが」


「だから増やさなくていいのです」


「なるほど」


 官兵衛は素直に引いた。


 景継は家臣へ向き直る。


「使者には、お会いすると伝えてください。場所と日取りは相談しましょう」


「はっ」


 家臣が退出する。


 景継は地図へ目を戻した。


 羽柴秀吉はいない。


 だが、それで天下が決まったわけではない。


 むしろ秀吉が消えたことで、今まで同じ敵を見ていた者たちが、互いを見るようになる。


 官兵衛が静かに尋ねた。


「林道様」


「何でしょう」


「徳川様とは、これからも手を組めると?」


 景継はすぐには答えなかった。


 地図の東へ目を向ける。


「組める間は」


「その後は?」


「その時に考えます」


「……左様ですか」


 官兵衛の口元が僅かに上がった。


「何です?」


「いえ」


「言ってください」


「林道様が私を近くに置いた理由が、少し分かっただけです」


「監視するためですよ」


「それだけではありますまい」


 景継は答えなかった。


 官兵衛も、それ以上は聞かなかった。


 秀吉を討つために並んでいた者たち。


 その共通の敵は、もういない。


 次に誰が誰と手を結び、誰が誰を警戒するのか。


 天下の形は、再び動こうとしていた。


 そして、その最初の相手として――徳川家康が景継との会談を求めてきた。

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