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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第九章 天下再導編

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第百六十一話 戦の後



 羽柴秀吉が討たれた翌朝。


 夜が明けても、戦場には昨日の戦の跡が色濃く残っていた。


 折れた槍。


 泥に沈んだ旗。


 放置された具足。


 そして、動かなくなった兵たち。


 その間を、林道家の兵が行き交っている。


「急げ! まだ息がある!」


「こっちにもいるぞ!」


「敵味方は後だ! 先に運べ!」


 昨日まで殺し合っていた者たちが、今は同じ場所へ運ばれていた。


 景継が戦の直後に出した命令だった。


 戦は終わった。


 ならば、これ以上死なせる必要はない。


 羽柴方の兵も、武器を捨てた者については殺すことを禁じた。


 捕らえた者の扱いも同じだった。


 秀吉が死んだからといって、その下にいた者まで皆殺しにするつもりはない。


 景継は本陣で、朝から報告を受け続けていた。


「降伏した羽柴兵の収容、進んでおります」


「食事は?」


「こちらの兵と同じものを」


「それで構いません」


「ただ、数が多く……」


「一益殿に頼んでください。昨日まで秀吉様の兵糧だったものも、使えるものは使いましょう」


「はっ」


 兵が下がる。


 すぐに別の者が入ってきた。


「殿。羽柴方の負傷兵の中に、身分の高い者が複数おります」


「治療を」


「捕虜としてでしょうか」


「まず怪我人としてです」


 景継は書状から顔を上げた。


「話を聞くのは、生きてからでいいでしょう」


「承知しました」


 その者も下がる。


 入れ替わるように弥兵衛が入ってきた。


「殿」


「今度は何です?」


「勝家様より使者が参っております」


「もうですか」


「秀吉様が持っていた領地について、早急に話したいとのこと」


「でしょうね」


 景継は小さく息を吐いた。


 秀吉が死んだ。


 だが、羽柴家が昨日まで支配していた土地まで消えたわけではない。


 城がある。


 家臣がいる。


 兵がいる。


 民がいる。


 そのすべてが、一夜にして宙に浮いた。


「信孝様からも使者が来ております」


「やはり」


「信雄様からも」


「早いですね」


「皆、気になっているのでしょう」


「誰が何を取るのか、ですか」


「はい」


 弥兵衛が頷く。


 景継は机の上に広げられた地図を見た。


 秀吉を倒すまでなら、敵は一人だった。


 だが、倒した後は違う。


 昨日まで同じ秀吉を敵としていた者同士でも、欲しいものは同じとは限らない。


「長秀殿、一益殿、恒興殿にも来ていただいてください」


「すぐに?」


「ええ。放っておく方が危険です」


 弥兵衛が頷いた。


「それと、羽柴方の城にも使者を出しますか?」


「出します」


「降伏を求めると」


「それだけでは足りません」


 景継は少し考えてから言った。


「秀吉様が亡くなったことを伝える。そのうえで、こちらに敵対する意思がない者については、すぐに兵を向けないと伝えてください」


 弥兵衛が景継を見る。


「領地も安堵すると?」


「そこまでは約束できません」


「では?」


「話し合う機会を与える、です」


 景継は続けた。


「昨日まで秀吉様に仕えていたというだけで、すべてを取り上げれば、誰も降りられなくなる」


「なるほど」


「ですが、今の混乱に乗じて兵を集めたり、近隣の領地を奪ったりする者まで許すつもりはありません」


「その場合は?」


「敵として扱います」


 弥兵衛が頷く。


「分かりやすいですな」


「今は分かりやすい方がいいでしょう」


 誰が勝ったのか分からない。


 誰に従えばよいのか分からない。


 自分の領地が明日どうなるのか分からない。


 そんな状態が長く続けば、人は自分を守るために兵を集める。


 そして一人が兵を集めれば、隣も兵を集める。


 秀吉を倒した直後から、新しい戦が始まりかねない。


 それだけは避けたかった。


「戦を終わらせます」


 景継が言った。


「秀吉様を討っただけでは、まだ終わっていません」


「……はい」


「ここからが、勝った側の仕事です」



          ◇



 昼過ぎ。


 景継の本陣に柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興が集まった。


 昨日まで戦場だった場所で、早くも次の話が始まる。


 勝家が地図を見る。


「秀吉の首を取った翌日に、もう領地の話か」


「翌日だからこそです」


 長秀が答えた。


「数日放っておけば、各地で勝手に城を取る者が出る」


「分かっておる」


 勝家が鼻を鳴らした。


 そして景継を見る。


「で、お主はどうする」


「何をです?」


「とぼけるな」


 勝家の太い指が地図へ落ちた。


「秀吉が持っていたものだ」


 景継は黙って地図を見る。


「お主が秀吉を討った」


 勝家が続ける。


「一番の功が誰にあるかと言われれば、誰もお主を無視できん」


「勝家様が後ろを塞いでくださらなければ、秀吉様を討てたか分かりませんよ」


「そういう話をしておるのではない」


 勝家が睨む。


「欲しくないとは言わせんぞ」


 景継は少しだけ笑った。


「言いません」


 勝家の眉が上がった。


「取れるものは取ります」


「ほう」


「私は天下を取りたいと言ったでしょう」


「ああ」


「なら、ここで何も取らない方がおかしい」


 一益が小さく笑った。


「随分とはっきり言うようになったな」


「最初から隠していませんよ」


「それもそうか」


 ただし、と景継は続けた。


「全部を林道家が取るつもりもありません」


 勝家が腕を組む。


「なぜだ」


「取れないからです」


「お主なら言いそうなことだ」


 長秀が地図を見ながら尋ねる。


「具体的には?」


「まず、誰が実際にどこを押さえているのかを確認します」


 景継が地図の上を指でなぞった。


「そのうえで、今の林道領と繋がる場所。街道。兵を動かすために必要な要地。そこは譲れません」


「領地を広げるより、繋げるか」


「飛び地ばかり増やしても守れませんから」


 恒興が頷いた。


「信雄様や信孝様はどうする」


「話し合います」


「三法師様は?」


「もちろん、無視できません」


 織田家そのものを消して、景継がすべてを奪う。


 そんなことをすれば、秀吉を倒すために動いた者たちの多くが、今度は景継を警戒する。


 何より景継自身、そんな形で天下を取るつもりはなかった。


 勝家が景継を見る。


「わしの領地は返してもらうぞ」


「もちろんです」


「秀吉に奪われた分もだ」


「それは話し合いましょう」


「なぜだ!」


「全部返した結果、別の方と争いになったら困るでしょう」


「誰と争うというのだ!」


「ですから、それを調べてからです」


「お主は本当に――」


「まあまあ」


 長秀が二人の間に入った。


「昨日まで秀吉殿と殺し合っていたのです。今日から我ら同士で始めてどうするのです」


「始めておらん!」


「声だけ聞けば始まっております」


 一益が笑う。


 勝家が一益を睨んだ。


 景継も僅かに笑ったが、すぐ地図へ視線を戻した。


「まずは、羽柴方の各地の動きを止めます」


「うむ」


「その後、信雄様、信孝様も交えて話す」


「上杉と北条は?」


 一益の問いに、景継は少し考えた。


「そちらにも使者を出します。秀吉様が亡くなった以上、これ以上戦を広げる必要はないと」


「従うか?」


「決めるのはあちらです」


 勝家が景継を見る。


「止められぬ可能性もあるぞ」


「その時は、その時です」


「また面倒なことを」


「天下なんて、面倒なことばかりでしょう」


「取ってもおらんくせに言うな」


「だから今から取るんですよ」


 一瞬。


 場が静かになった。


 勝家が景継を見る。


 長秀も、一益も、恒興も。


 景継は地図を見たままだった。


 秀吉を倒す。


 それは目的の一つであって、終わりではない。


 景継が欲しいのは、その先だ。


「……そうだったな」


 勝家が呟く。


「お主は最初から、そのつもりだった」


「ええ」


 景継が顔を上げる。


「天下を取ります」


 以前にも口にした言葉。


 だが秀吉が生きていた時と今では、その重さが違う。


 誰も笑わなかった。



          ◇



 それから数日。


 景継のもとへ、各地から返答が届き始めた。


 すぐに降ると答えた城。


 条件を聞きたいと返してきた者。


 秀吉の死を信じず、確認を求める者。


 返事そのものを寄越さない者。


 対応は分けた。


 降伏を申し出た者には使者を送る。


 交渉を求める者とは話す。


 沈黙しながら兵を集める者には、こちらも兵を向ける。


 大きな戦にはならなかった。


 秀吉が死んだという事実は、それほど重かった。


 羽柴家の名のもとに戦い続けようとしても、その中心にいた男はもういない。


 一つの城が門を開くと、次の城も続いた。


 景継はそのすべてを林道家の直轄地にはしなかった。


 元の領主を残す場所もある。


 代官を置く場所もある。


 林道家が直接押さえる場所もある。


 そして、街道と要地については優先して確保した。


 同時に、勝家、信雄、信孝との話し合いも始まった。


 まだ最終的な領地配分には至っていない。


 それでも、戦後の形は少しずつ見え始めていた。


「殿」


 夕刻。


 弥兵衛が大量の書状を抱えて入ってきた。


「今日の分です」


「まだあるんですか」


「秀吉様がいなくなった途端、皆が殿に話を持ってくるようになりましたな」


「嬉しくありませんね」


「天下を取るのでしょう?」


「取りたいとは言いましたが、書状を読みたいとは言っていません」


「同じようなものです」


「全然違いますよ」


 景継は一通を取った。


 降伏の申し出。


 次も同じ。


 その次は領地安堵の嘆願だった。


 景継が読み進めていると、弥兵衛が思い出したように言った。


「そういえば、一つ報告が」


「今度は何です?」


「羽柴方の将についてです」


 景継の手が止まる。


「秀吉様の近くにいた者ですか」


「はい」


「誰でしょう」


 弥兵衛は答えた。


「黒田官兵衛」


 景継が顔を上げた。


「……生きていましたか」


「やはり、ご存じでしたか」


「討ち死にしたという報告がありませんでしたから」


「秀吉様の命で戦場を離れたようです。敗残兵をまとめながら退き、その後も混乱を抑えていたとのこと」


「なるほど」


 景継は書状を置いた。


 あの戦。


 最後まで秀吉の傍らで戦の形を作り続けていた男。


 こちらの動きにも気づきかけていた。


 秀吉を追い詰める過程で、何度も景継の策へ手を入れてきた。


 もし秀吉の隣に官兵衛がいなければ、あの戦はもっと早く終わっていたかもしれない。


 逆に。


 あと少し何かが違っていれば、こちらが崩されていた可能性もある。


「今、どこに?」


「残った羽柴兵の一部と共におります。ただし、戦を続ける様子はないそうです」


「こちらへ来る意思は?」


「使者を出したところ、抵抗はしないと」


「それだけですか」


「もう一つ」


 弥兵衛が答える。


「林道景継殿が望むなら、お会いする、と」


 景継は黙った。


「危険では?」


「でしょうね」


「ならば――」


「会いましょう」


 弥兵衛が景継を見る。


「よろしいので?」


「ええ」


 景継は立ち上がった。


「秀吉様が最後に生かした男です」


 戦場で秀吉は、官兵衛を逃がした。


 自分と共に死なせるのではなく、その先へ残した。


 ならば。


 景継も、その男が何を考えているのか確かめなければならない。


「こちらへ呼びますか?」


 景継は少し考えた。


「いえ」


「では?」


「私から行きます」


「殿が?」


「官兵衛殿に、聞きたいことがありますから」


「何をです」


 景継はすぐには答えなかった。


 秀吉を失った今。


 黒田官兵衛は何を望むのか。


 仇を討つのか。


 羽柴家を残そうとするのか。


 それとも――別の道を選ぶのか。


 そして景継自身も、あの男について決めなければならないことがある。


「会ってから決めます」


 景継はそう言って、もう一度官兵衛の名が記された報告へ目を落とした。


 羽柴秀吉との戦は終わった。


 だが、その秀吉が最後に戦場から逃がした男との話はまだ終わっていなかった。




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