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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第八章 覇道躍進編

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第百五十九話 決着



 林道軍の総攻撃が始まった。


「前へ!」


 太鼓が鳴り響く。


 それまで羽柴軍の攻撃を受け止め続けていた兵たちが、今度は自らの意思で前へ踏み出した。


 狙う場所は一つ。


 羽柴本陣。


 景継の命令は全軍へ伝わっていた。


 左右へ逃げる敵を追う必要はない。


 崩れた隊を潰すために兵を割く必要もない。


 ただ秀吉の旗へ向かう。


 この戦を、ここで終わらせるために。


「林道勢、来ます!」


 羽柴本陣に声が飛ぶ。


 秀吉はその場を動かなかった。


 官兵衛はすでに、残せる兵をまとめるため後方へ向かっている。


 本陣に残っている将たちが秀吉を見る。


「秀吉様! 本陣をお下げください!」


「下げん」


「しかし!」


「ここで旗を下げれば、兵が崩れる」


 秀吉は刀を抜いた。


「旗も下げるな」


「はっ!」


 羽柴の旗が風を受ける。


 その向こうから林道軍が迫ってくる。


 秀吉は目を細めた。


「景継……」


 これまで何度も、あの男の動きを見てきた。


 自分から前へ出るより、人を見る。


 すぐに戦うより、機を待つ。


 だが、ただ待っていたわけではない。


 勝家と結び、信孝と結び、一益を動かし、遠く上杉や北条にまで手を伸ばした。


 そして自分が勝家へ兵を集めた瞬間、それまで別々の場所にいた者たちが一斉に動き始めた。


 官兵衛の言葉が蘇る。


 ――我らは、囲われていたのでございます。


 だが最後に自分を討ちに来たのは、上杉でも北条でも勝家でもなかった。


 景継自身だった。


「最後は、自分で来るか」


 秀吉の口元が上がった。


「なら、相手をしてやる」


 刀を前へ向ける。


「ここを抜かせるな!」


「おおっ!」


 残った羽柴兵が声を上げた。



          ◇



 林道軍の先陣が、羽柴本陣を守る兵と激突した。


 槍と槍がぶつかり、鉄砲の音が戦場を震わせる。


 一人が倒れれば、その後ろから次の兵が出る。


「押せ!」


「本陣を守れ!」


 両軍の声が入り乱れた。


 林道軍が押す。


 羽柴軍が押し返す。


 すでに羽柴軍は多くの兵を失っていたが、本陣の周囲だけは簡単には崩れなかった。


「敵の左が下がります!」


「構うな!」


 羽柴方の将が叫ぶ。


「中央を守れ! 秀吉様の前を開けるな!」


 守る場所を狭める。


 それしかなかった。


 それでも兵たちは踏みとどまった。


「強いですね」


 景継が呟く。


 隣にいる弥兵衛も前を見る。


「ここまで追い込まれて、まだこれほど戦いますか」


「秀吉様が残っておられますから」


 景継は羽柴の旗を見る。


「あの旗が立っている限り、まだ終わっていないと思えるのでしょう」


「ならば、旗を倒しますか」


「旗だけでは足りません」


 景継は静かに答えた。


「秀吉様がおられる限り、また人を集められる」


 北ノ庄で、それを知った。


 一度敗れても終わらない。


 土地を失っても、人を集め直す。


 必要なら敵だった者にも手を伸ばす。


 頭を下げることもできる。


 笑うこともできる。


 そうして再び力を持つ。


 それが羽柴秀吉だった。


「ここで終わらせます」


 景継が前を見る。


「中央へ、もう一隊」


「はっ!」


 林道軍がさらに厚くなった。



          ◇



 一方、羽柴軍の後方。


 官兵衛は戦場から離れようとする兵をまとめていた。


「走るな!」


 声を張る。


「隊を崩せば追われるぞ! 旗を見て集まれ!」


 敗走になれば終わる。


 少しでも多くの兵を残す。


 それが秀吉から命じられた役目だった。


「官兵衛様!」


 家臣が駆け寄る。


「本陣が!」


 官兵衛が振り返る。


 遠くに羽柴の旗が見える。


 その周囲へ、林道の旗が迫っていた。


「秀吉様をお助けせねば!」


「戻るな」


「しかし!」


「戻るな!」


 官兵衛が強く言った。


 家臣が黙る。


「戻れば、殿が我らを逃がした意味がなくなる」


「……」


「進め」


 そう命じながら、官兵衛自身の足が止まった。


 もう一度だけ振り返る。


 遠くの旗。


 あそこに秀吉がいる。


「……どうか」


 声は、周囲の兵にも聞こえないほど小さかった。


「生きて、お戻りください」


 それだけ言うと、官兵衛は前を向いた。


「進め!」


 残った兵を率い、戦場から離れていく。



          ◇



「羽柴勢の一部が抜けます!」


 勝家のもとへ報告が届いた。


「黒田の旗が確認されております!」


「官兵衛か」


 勝家は逃れていく一団を睨んだ。


 ここで追えば、官兵衛を討てるかもしれない。


 あの男を逃がす危険も分かっている。


 だが景継から届いた言葉を思い出す。


 深く追うな。


 秀吉を逃がさぬことを優先する。


「近くを通る奴だけ叩け!」


「官兵衛は!」


「追うな!」


「よろしいので?」


「今は秀吉だ!」


 勝家が怒鳴る。


「奴を逃がせば、また同じことになる!」


「はっ!」


 柴田勢は羽柴軍の後方を圧迫しながらも、大きく追撃には出なかった。


 そのため官兵衛が率いる一団には、戦場を離れる余地が残った。


 代わりに。


 秀吉の本陣から外へ抜ける道は、さらに狭くなっていった。



          ◇



「第一陣、突破!」


 林道方から歓声が上がる。


 羽柴本陣を守る外側の陣が崩れた。


「次!」


 弥兵衛が命令する。


 新たな林道兵が前へ出る。


 羽柴方も必死に受ける。


「本陣まで下げるな!」


「秀吉様をお守りしろ!」


 羽柴兵が林道軍へ突っ込む。


 だが、もう数が足りない。


 右から林道軍。


 左からも林道軍。


 そして中央から景継の主力。


 少しずつ羽柴本陣の周囲が削られていく。


「秀吉様!」


 側近が叫んだ。


「これ以上は持ちませぬ! 今ならまだ抜けられる可能性が!」


「官兵衛は抜けたか」


「確認できませぬ!」


「なら、もう少し持たせろ」


「何を!」


「官兵衛が離れる時間を稼ぐ」


 側近が秀吉を見る。


「秀吉様は……」


「勘違いするな」


 秀吉が笑った。


「死ぬために残ったわけではない」


 その言葉と同時に前へ出る。


「秀吉様!」


「景継が来ておるんだ!」


 秀吉が兵たちの前へ姿を見せた。


「わしが後ろに隠れてどうする!」


「殿が前へ!」


 羽柴兵たちがざわめく。


 次の瞬間。


「押し返せ!」


 秀吉の声が響いた。


「おおおおっ!」


 羽柴兵が奮い立つ。


 崩れかけていた一角から反撃が始まった。


 林道軍の先陣が押し戻される。


「前列、後退!」


 弥兵衛が声を上げた。


「まだ押し返してくるか!」


 景継は羽柴本陣を見た。


 先ほどより前に秀吉の旗がある。


「秀吉様が前へ出られましたね」


「どうされます!」


「兵を替えます」


「はっ!」


「押し返された隊を下げてください。代わりに後ろの隊を前へ」


「承知!」


 疲れた兵と、まだ余力のある兵を入れ替える。


 林道軍が再び前進を始めた。


 秀吉が自ら前へ出たことで、羽柴軍は一時的に勢いを取り戻した。


 だが、失った兵が戻るわけではない。


 景継は勢いに勢いでぶつからなかった。


 一度受け止める。


 疲れたところへ新しい兵を入れる。


 羽柴軍の前進が止まった。


 そして再び、林道軍が押し始めた。



          ◇



「秀吉様!」


 側近が叫ぶ。


「右が破られました!」


 秀吉が振り向く。


 林道の旗が入り込んでいる。


「左も!」


 反対側からも声が上がる。


 羽柴本陣は、もう陣と呼べる形ではなかった。


 兵が集まり、僅かな旗が立っている。


 ただそれだけだった。


「秀吉様、お下がりを!」


「まだだ!」


「もう本陣が!」


「なら、ここが前だ!」


 秀吉が叫ぶ。


「本陣がなくなったなら、ここを本陣にしろ!」


 周囲の兵たちが応える。


 だが、その声も先ほどより小さい。


 疲れている。


 傷ついている。


 仲間が減っている。


 秀吉はそれを分かっていた。


 それでも刀を握る。


「来い、景継」


 前方に林道の旗が見える。


「わしはここだぞ」


 林道軍が迫った。



          ◇



「羽柴本陣、崩れます!」


 弥兵衛が叫んだ。


 景継は馬を進める。


「左右から入った兵を止めないでください」


「はっ!」


「ただし、逃げる兵を追わせないように」


「秀吉様だけを?」


「ええ」


 景継の命令が全軍へ伝わる。


 羽柴兵が逃げても追わない。


 武器を捨てた者も斬らない。


 ただ前へ進む。


 秀吉のいる場所へ。


 それによって逆に、羽柴本陣の兵が急速に減っていった。


 逃げても追われない。


 そう分かった兵から、一人、また一人と戦場を離れていく。


「逃げるな!」


 羽柴方の将が叫ぶ。


「秀吉様がおられるぞ!」


 それでも止まらない。


 林道軍の槍が近づく。


 羽柴の旗が一本倒れた。


 続いて、もう一本。


「殿」


 弥兵衛が前方を指す。


 残っている大きな旗は、もう僅かだった。


「秀吉様の旗です」


「ええ」


 景継は見ていた。


 その旗の下。


 まだ戦っている男がいる。


「前へ」


 景継が命じた。


 林道軍が最後の距離を詰める。



          ◇



「秀吉様!」


 側近の一人が倒れた。


 槍を受け、地面へ崩れる。


「おい!」


 秀吉が振り返る。


 返事はない。


 周囲に残っている兵は、もう僅かだった。


 秀吉は荒い息を吐きながら、戦場を見渡した。


 林道の旗。


 その向こうには柴田の旗。


 自分の旗は、もう数えるほどしか残っていない。


「天下か……」


 誰に言うでもなく呟いた。


 何も持たないところから始まった。


 信長に仕え、走り続けた。


 働いた。


 戦った。


 人を集めた。


 城を得た。


 国を得た。


 気がつけば、天下へ手が届くところまで来ていた。


「あと少しだったんだがな」


 秀吉が笑う。


 後悔だけではなかった。


 悔しさだけでもない。


 ここまで来た。


 誰よりも遠くまで。


 ならば最後まで立っていたかった。


「秀吉様を守れ!」


 残った兵が前へ出る。


 林道兵と激突した。


 一人が倒れる。


 もう一人も倒れる。


 秀吉も刀を振るった。


「来い!」


 一人の林道兵が斬り込む。


 秀吉が受ける。


 押し返す。


「わしは羽柴秀吉だ!」


 その声には、まだ力があった。


 だが次の瞬間。


 側方から別の林道兵が入り込んだ。


 羽柴兵が倒れる。


 秀吉の周囲が開いた。


「秀吉様!」


 誰かが叫ぶ。


 一本の槍が伸びる。


 秀吉が身体をひねってかわす。


 別の兵が斬りかかる。


 刀で受ける。


 さらに後ろから槍が伸びた。


「ぐっ……!」


 穂先が秀吉を捉えた。


 身体が揺れる。


 片膝をつく。


 それでも刀を地面につき、立ち上がろうとする。


「まだだ……」


 林道兵たちが囲む。


 秀吉は顔を上げた。


 少し離れた場所。


 林道の旗の下に、馬上の景継が見えた。


「……景継」


 声は届かなかった。


 景継も秀吉を見ていた。


 二人の間には、まだ兵がいる。


 言葉を交わすことのできる距離ではない。


 秀吉が僅かに笑った。


「最後の最後で……自分から来やがったか」


 景継はいつも待っていた。


 すぐには動かない。


 相手を見る。


 人を見る。


 機が来るまで待つ。


 だが最後は違った。


 勝家でもない。


 上杉でもない。


 北条でもない。


 景継自身が兵を率い、自分を討つためここまで来た。


「……上等だ」


 秀吉は再び刀を持ち上げた。


 林道兵が迫る。


 槍が走った。


 秀吉の身体が大きく傾く。


 それでも一度、踏みとどまった。


 もう一歩、前へ出ようとする。


 だが。


 次の一撃を受けた時。


 羽柴秀吉は、ついに地面へ倒れた。



          ◇



 戦場の音は、すぐには止まらなかった。


「秀吉様!」


「殿!」


 羽柴兵の声が上がる。


 何人かが秀吉のもとへ戻ろうとする。


 だが林道軍に阻まれた。


 やがて一人の兵が、倒れた秀吉の姿を確かめる。


「羽柴秀吉――討ち取った!」


 その声が広がった。


「秀吉討死!」


「羽柴秀吉、討死!」


 林道軍の中から大きな声が上がる。


 羽柴兵の動きが止まった。


 一人が武器を落とす。


 続いて、もう一人。


 逃げる者。


 膝をつく者。


 その場で呆然と立ち尽くす者。


 羽柴の旗が倒された。


 景継は馬上から、その光景を見ていた。


「……終わりましたな」


 弥兵衛が言った。


 景継はすぐには答えなかった。


 秀吉が倒れた場所を見る。


 北ノ庄では終わらせられなかった男。


 敗れても再び立ち上がり、天下へ向かった男。


 最後には官兵衛とともに、林道軍を崩れる寸前まで追い込んだ。


「強い方でした」


 景継が言った。


 弥兵衛が頷く。


「はい」


「最後まで」


 景継は刀を鞘へ戻した。


「だから、あそこまで天下へ近づけたのでしょう」


 周囲では勝鬨が広がっていく。


 だが景継はそれに加わらなかった。


「負傷者を」


「はっ」


「敵味方を分けず、助けられる者は助けてください」


「承知しました」


「降った者は斬らないように」


「はっ!」


 弥兵衛が兵へ命令を伝える。


 景継はもう一度、秀吉のいた場所を見た。


 天下を争う大きな一人が消えた。


 だが、これですべてが終わったわけではない。


 秀吉が持っていた土地。


 残された家臣。


 行き場を失う兵。


 これまで秀吉に従っていた者たち。


 そのすべてが、これから動き始める。


 そして東には、徳川家康がいる。


「殿」


 弥兵衛が戻ってきた。


「勝ちましたな」


 景継はしばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


「ええ」


 林道の旗が、倒れた羽柴の旗の向こうで翻っている。


「ですが、天下を取ったわけではありません」


 弥兵衛が苦笑した。


「この状況でも、それを言われますか」


「事実ですから」


 景継は馬の向きを変えた。


「まずは、この戦を終わらせましょう」


 羽柴秀吉、討死。


 その報せは近江から尾張へ。


 越後へ。


 小田原へ。


 そして各地へと駆け巡っていく。


 秀吉という巨大な存在が消えたことで、これまで保たれていた均衡もまた崩れた。


 そしてその中心に。


 羽柴秀吉を討ち取った男として――林道景継の名が残った。




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