↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第八章 覇道躍進編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
154/262

第百五十四話 見えてきた形



 近江での戦は、朝から激しさを増していた。


 秀吉は前日まで残していた予備の兵を、ついに前へ出した。


 勝家を今日中に崩す。


 その意図は、もはや隠されていなかった。


「左からも来ます!」


「持たせろ!」


 勝家の声が飛ぶ。


 柴田勢はすでに何度も位置を下げていた。


 崩れてはいない。


 だが、羽柴軍が休ませていた部隊まで投入されたことで、戦線の至るところで余裕がなくなっている。


「殿! 右の隊が押し込まれております!」


「わしが行く!」


「殿自らですか!」


「ここで抜かれた方が面倒だ!」


 勝家は馬を走らせた。


 崩れかけた兵の間へ入り、自ら前を指す。


「まだ終わっておらんぞ! 押し返せ!」


 勝家の姿を見た兵たちが踏みとどまる。


 一度は押し返した。


 しかし、その後ろからさらに羽柴兵が来る。


 数だけではない。


 秀吉は勝家が兵を動かすたび、その場所を見て次の隊を入れてきた。


 長久手で別働隊を失った後とは思えないほど、羽柴軍の動きは立て直されていた。


「くそ……」


 勝家が歯を食いしばる。


 強い。


 それは認めるしかなかった。


 だからこそ、秀吉はここまで来たのだ。


「殿!」


「何だ!」


「後方へ下がる道は確保しております!」


「まだ使うな!」


「しかし、このままでは!」


 勝家が振り返った。


「退く時は退く! だが今ではない!」


 家臣が息を呑む。


「もう少しだ」


 勝家は前方に並ぶ羽柴の旗を睨んだ。


「もう少し、ここにいろ。秀吉」



          ◇



 秀吉は前線から少し離れた場所で戦況を見ていた。


「押しておるな」


「はい」


 官兵衛が答える。


「柴田勢はかなり疲れております」


「今日中に崩せるか」


「このままならば」


 秀吉の顔に久しぶりに笑みが浮かんだ。


「なら押せ」


「ただし、これ以上の兵はございません」


「分かっている」


 尾張へ残した兵。


 信孝への備え。


 北国や東国で警戒に当たる兵。


 それらを除けば、すぐにここへ投入できる兵はほとんど残っていない。


 だからこそ、今日で勝家を崩さなければならない。


「勝家さえ退けばよい」


 秀吉が言う。


「越前まで追う必要はない。退かせれば、こちらの兵を戻せる」


「はい」


「家康に取られた城も取り返す」


「信孝殿は」


「その後だ」


「上杉と北条は」


「備えを残しておけばよい」


 秀吉は迷わなかった。


「一つずつ戻す」


 官兵衛が頷く。


 今のところ、その策は機能している。


 勝家は押されている。


 あと少し。


 本当にあと少しで、一つ減らせる。


 そこへ伝令が駆け込んできた。


「申し上げます!」


 秀吉が振り向く。


「尾張にございます!」


「また家康か」


「はっ! 徳川・織田勢が次の拠点へ攻撃を開始!」


「守れと言ってある」


「ですが、兵が足りぬとの急報が!」


 秀吉の表情から笑みが消えた。


「戻せません」


 官兵衛が先に言った。


「ああ」


 秀吉も分かっている。


「今戻せば、勝家が息を吹き返す」


 伝令を見る。


「持たせろ」


「はっ!」


 伝令が走り去る。


 すぐに、また別の者が来た。


「申し上げます! 滝川勢が我らの荷駄を襲撃!」


「何?」


「二つの道で同時に動きがございます!」


 今度は官兵衛が振り返った。


「損害は」


「一方は荷の一部を失いました! もう一方は橋を押さえられ、迂回を余儀なくされております!」


「護衛を増やせ」


 官兵衛が命じる。


「はっ!」


 伝令が去る。


 秀吉が低く言った。


「一益め」


「以前から道を見ていたのでしょう」


「今まで何もせんかったくせに」


「今だからでしょう」


 官兵衛が答えた。


 秀吉が官兵衛を見る。


「何だと」


「我らが近江へ兵を集めました。兵が増えれば、それだけ運ぶ荷も増えます」


 官兵衛の視線が地図へ落ちた。


「一益殿は、そこを待っていたのかと」


 秀吉は舌打ちした。


「なら、なおさら今日で終わらせる」


「はい」


 官兵衛も同意した。


 まだ勝てる。


 勝家を崩せばいい。


 だが――。


 官兵衛の目が、地図の上で一瞬止まった。


 何かが気になった。


 それが何なのかを考える前に、次の報告が入った。



          ◇



 越中方面。


 上杉勢が、それまでより一歩深く進んだ。


「羽柴方が警戒を強めております」


 報告を聞いた景勝は頷いた。


「近江は」


「羽柴秀吉が柴田勝家殿へ主力を向けたとのこと」


「そうか」


「こちらへの兵は増えておりません」


 景勝は地図を見る。


 秀吉には余裕がない。


 こちらが前へ出ても、すぐに大軍を送ってくることはできない。


「では、もう一つ前へ」


「城を攻めますか」


「いや」


 景勝は首を横に振った。


「まだよい」


「では」


「羽柴方が、こちらに兵を置いておかなければならない位置まで行く」


「はっ」


 上杉勢が再び進んだ。


 攻城はしない。


 それでも、羽柴方は無視できない。


 もし備えを解けば、その時こそ上杉はさらに進める。


 景勝はそれだけを命じると、次の報告を待った。



          ◇



 東でも同じ頃、北条氏政が羽柴方の動きを聞いていた。


「秀吉殿は勝家殿へ兵を集めたか」


「はい」


 氏直が答える。


「尾張では徳川殿が攻勢を続けております」


「上杉は」


「越中方面へ、さらに進んだようにございます」


 氏政は少し考えた。


「なら、こちらも進める」


「もう一歩?」


「ああ」


「羽柴方が反応するでしょう」


「してもらわねば困る」


 氏政が笑った。


「我らがここまで兵を出しているのに、無視されては意味がない」


「では、羽柴方と近しい勢力へ使者を?」


「出せ」


 氏政の指が地図上のいくつかの場所をなぞる。


「北条が兵を出したと伝わるだけでよい。こちらへ敵対するなら、今後どうなるか考えろとな」


「承知しました」


 氏直が頭を下げる。


「ただし」


 氏政が止める。


「まだ大きな戦は始めるな」


「はい」


「今は兵を失う時ではない」


 氏直が退出する。


 氏政は椅子へ深く腰を下ろした。


 景継からの書状は、もう手元には置いていなかった。


 今動いているのは、北条自身の判断だった。



          ◇



 夕刻。


 官兵衛のもとへ、さらに二つの報告が届いた。


 上杉勢が前進。


 北条勢もまた、動きを強めた。


「……同時にか」


 官兵衛は地図の前へ座った。


 秀吉は前線へ出ている。


 勝家を今日中に崩すため、攻撃を強めていた。


 その間に官兵衛は、届いた報告を整理する。


 尾張。


 徳川家康と織田信雄。


 近江。


 柴田勝家。


 別の道には織田信孝。


 羽柴方の輸送路には滝川一益。


 北には上杉景勝。


 東には北条氏政。


 官兵衛は一つずつ見ていった。


 どこか一つなら理解できる。


 長久手で羽柴方が敗れた。


 その隙を狙って動く者が出ても不思議ではない。


 二つでも偶然はある。


 だが、ここまで重なるのか。


「上杉と北条の境は」


 官兵衛が尋ねた。


「は?」


 そばにいた家臣が振り返る。


「上杉と北条だ。互いの境で兵は動いているか」


「少々お待ちを」


 これまでの報告が集められる。


 官兵衛はその間も地図を見続けた。


 やがて家臣が戻る。


「大きな動きは確認されておりません」


「本当にか」


「はい。警戒の兵はおりますが、双方とも相手へ大軍を向けている様子はございません」


 官兵衛の表情が変わった。


 指が越後から関東へ動く。


「……上杉が、北条を見ていない」


 家臣は意味が分からず黙っている。


 官兵衛の指が今度は北条から上杉へ向かった。


「北条も……上杉を見ておりません」


 そこで初めて、胸の中にあった違和感が形を持った。


 この二者が同時に別方向へ兵を出せるのはなぜだ。


 偶然、互いを恐れなくなったのか。


 そんなはずはない。


「いつからだ……」


 官兵衛が呟いた。


 北条と上杉。


 本来なら、互いの動きを無視できない。


 どちらかが大きく兵を動かせば、もう一方を警戒する必要がある。


 それなのに、今は両方が別の場所を見ている。


 何かがある。


 官兵衛は地図全体を見る。


 その時だった。


 一人の伝令が入ってきた。


「申し上げます!」


「何だ」


「林道家についての報告にございます!」


 官兵衛が顔を上げる。


「景継殿が動いたか」


「いいえ!」


 伝令が答える。


「林道軍に、未だ出陣の動きはございません!」


 官兵衛は黙った。


 家臣には、なぜ官兵衛がその報告を聞いて顔を曇らせたのか分からなかった。


 敵が動いていない。


 本来なら喜ぶべき報告だった。


 だが官兵衛には、違って聞こえた。


「……まだ、出ていない」


 小さく呟く。


 勝家が戦っている。


 家康が攻めている。


 信孝が動いた。


 一益が道を断ち始めた。


 上杉と北条まで前へ出ている。


 それなのに。


 景継だけが、まだ兵を残している。


「まさか……」


 官兵衛が立ち上がった。


 だが、そこで思考を止めた。


 まだ足りない。


 景継がすべてに関わっている証拠はない。


 何より今は、勝家を崩せる寸前まで来ている。


「秀吉様へ伝える」


「何と」


「上杉と北条が、さらに前へ出たと」


「林道家については」


 官兵衛は一瞬迷った。


「……それも伝えろ」


「動いていないと?」


「ああ」


 官兵衛は地図から目を離さなかった。


「それが、一番気になる」



          ◇



 日が傾き始めた頃。


 近江の戦場では、柴田勢がついに大きく押し込まれた。


「殿! 左が持ちませぬ!」


「下げろ!」


「どこまで!」


「次の陣までだ!」


 勝家が叫ぶ。


 敗走ではない。


 だが、これ以上その場所を守れば本当に崩れる。


 勝家は兵を下げた。


 羽柴勢から歓声が上がる。


「柴田勢が退きます!」


 報告を聞いた秀吉が前へ出た。


「押せ!」


 官兵衛が止める。


「秀吉様!」


「何だ!」


「追いすぎてはなりません!」


「分かっておる!」


 秀吉は前方を見る。


 勝家はまだ軍を保っている。


 だが、あと一押し。


「予備を前へ!」


 側近が一瞬ためらった。


「すでに大半を投入しております!」


「残っている者も出せ!」


「はっ!」


 官兵衛が秀吉を見る。


「秀吉様」


「今日で終わらせる」


「しかし――」


「ここで勝家を逃せば、明日も同じことをせねばならん!」


 秀吉は言い切った。


「全部出せ!」


 最後に残っていた部隊まで、前へ向かった。


 官兵衛は止めなかった。


 勝家を崩せる。


 確かに、今がその機会だった。



          ◇



 その報せが林道領へ届いたのは、夜だった。


「羽柴方、残していた部隊まで前線へ投入した模様!」


 弥兵衛が景継の前で報告を読み上げた。


「勝家様は後退しております!」


「どの程度です」


 詳しい位置が伝えられる。


 景継は地図を見た。


 勝家は押されている。


 このまま何もしなければ、明日にはさらに退くことになるだろう。


 だが秀吉もまた、勝家を崩すために持っているものを前へ出した。


「一益様からも報せがございます。羽柴方の荷駄が滞り始めていると」


「家康様は」


「尾張で次の拠点を攻めております」


「信孝様も進軍を継続」


 弥兵衛が報告を終える。


 部屋が静かになった。


「殿」


 景継は地図から顔を上げた。


「はい」


「もう、よろしいのでは」


 弥兵衛の言葉に、景継は少しだけ笑った。


「そうですね」


 景継は立ち上がった。


 待つべきものは待った。


 秀吉は勝家を選んだ。


 そのために兵を集めた。


 予備まで使った。


 家康は尾張から攻め続けている。


 信孝も動いた。


 一益は道を押さえ始めた。


 そして北と東でも、羽柴方は備えを解くことができない。


 景継は外へ向かって歩き始めた。


「弥兵衛」


「はっ」


「出ます」


 弥兵衛が深く頭を下げた。


「全軍に出陣を?」


「ええ」


「行き先は」


 景継は足を止めた。


 近江の勝家へ直接合流する。


 そう考えていた弥兵衛へ、景継は別の場所を告げた。


 弥兵衛が顔を上げる。


「そこへ、でございますか」


「はい」


「勝家様の援軍ではなく?」


「勝家様を助けるためですよ」


 景継は静かに答えた。


「ですが、秀吉様の前へ兵を足すだけでは遅い」


 羽柴軍は勝家を崩すため、前へ力を集めている。


 ならば狙うべきは、その力が戻るために必要な場所だった。


「秀吉様が勝家様を追うなら、そのまま追っていただきましょう」


 景継は言った。


「戻りたくなる場所を、こちらが先に取ります」


 弥兵衛の表情が変わった。


「出陣を伝えます!」


「お願いします」


 弥兵衛が走り出した。


 ほどなく、林道家の陣に灯りが増えていく。


 兵たちが集まり始めた。


 武具を身につけ、馬を引き出し、荷を整える。


 そして夜明けを待たず。


 林道の旗が、ついに上がった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。