第百三十八話 増えた力の使い方
出陣が決まった翌朝。
林道領の城下には、いつもより多くの兵が集まっていた。
数は二千。
七千すべてを動かす必要はない。
河瀬重房が集めた兵は、多く見積もっても五百ほど。野洲宗清の三百を加えれば、兵数だけならすでに大きな差がある。
景継は出陣前、集まった兵を眺めていた。
「どうです?」
隣に立つ弥兵衛へ尋ねる。
「何がでしょう」
「二千です」
「見れば分かります」
「そうじゃなくて」
景継は兵たちへ目を向けたまま続けた。
「北ノ庄の時と比べて」
弥兵衛も兵を見る。
以前から景継に仕えてきた者。
高坂領を取った後に召し抱えた者。
近隣から流れてきた者。
林道軍と呼ばれてはいるが、その中身は少しずつ変わっている。
「まだ揃っているとは言えませんな」
「ですよね」
「武具も違います。経験にも差がある。高坂家にいた者の中には、殿の戦い方をほとんど知らぬ者もおります」
「そこが気になっています」
「だから今回は二千?」
「それもあります」
弥兵衛が景継を見る。
「河瀬相手なら、もっと少なくても勝てると思いますけどね」
「では、なぜ二千を?」
「確かめたいんです」
「何をです?」
「増えた兵が、本当に私の兵として動けるのかを」
七千という数字だけなら、すでにある。
だが七千の名が帳面に書かれていることと、七千の軍を持っていることは同じではない。
命令が届くのか。
隊列を崩さず動けるのか。
兵糧を滞りなく運べるのか。
新しく加わった者と古くからの兵が、同じ命令で動けるのか。
戦場に着いてから確かめるには遅い。
「今回は、ちょうどいいということですか」
「相手には失礼ですけどね」
「河瀬殿が聞けば怒りますぞ」
「本人には言わないでください」
「言いません」
そこへ滝川一益が歩いてきた。
「景継」
「はい」
「準備はできておるぞ」
「ありがとうございます」
「本当にわしは道だけでよいのか?」
「はい」
一益が不満そうな顔をする。
「二千も連れてきておいて、わしに戦わせぬつもりか」
「戦わずに済むなら、その方がいいでしょう」
「また面倒なことを考えておるな」
「簡単ですよ」
景継は用意していた絵図を一益へ見せた。
河瀬領から西へ伸びる道。
北へ抜ける細い道。
そして野洲領との境。
「河瀬殿が負けると思った時、どこへ逃げると思います?」
一益が絵図を見る。
「西はお前の兵が来る」
「はい」
「南は野洲」
「はい」
「なら北だな」
「私もそう思います」
「逃がさぬのか?」
「逃げるだけなら構いません」
一益が景継を見る。
「では何を止める」
「援軍です」
「援軍?」
「河瀬殿が本当に五百だけで私と戦うつもりなのか、それが分からないんです」
一益の表情が変わる。
「誰かと話がついていると?」
「分かりません」
「また分からんか」
「だから一益殿にお願いするんです」
景継は北へ伸びる道を指した。
「誰かが来たら止める。誰も来なければ、そのまま見ていてください」
「わしを見張り番に使う気か」
「一益殿なら、来た相手を見て戦うべきかどうかも判断できるでしょう?」
一益が景継を睨む。
「そう言われると断りにくいな」
「お願いします」
「仕方ない」
一益は絵図を受け取った。
「その代わり、面白いことになったら呼べ」
「戦を見世物みたいに言わないでください」
「お前にだけは言われたくない」
一益が去っていく。
景継は二千の兵へ目を戻した。
「では行きましょうか」
「はい」
弥兵衛が頷いた。
林道軍が動き始めた。
◇
河瀬重房がその報せを受けたのは、同日の昼過ぎだった。
「二千だと?」
「はっ」
家臣が頭を下げる。
「林道景継自ら率いております」
重房の顔が険しくなる。
「七千ではないのだな」
「確認できた限りでは二千ほどです」
「……二千」
重房は呟いた。
河瀬勢は五百。
野洲宗清の兵を加えれば、敵は二千三百ほどになる。
兵数では四倍以上。
だが重房は、まだ戦うつもりだった。
「城へ籠もればよい」
「しかし殿」
「何だ」
「林道勢と戦う必要が、本当にございますか」
重房が家臣を睨んだ。
「今さら何を言う」
「裁定を受け入れれば――」
「受け入れればどうなる」
重房が立ち上がる。
「道の銭を野洲と分け、林道にまで口を出される。それを一度認めれば、次は何だ」
「……」
「今日は道だ。明日は村かもしれぬ。その次は城だ」
「林道殿は野洲家を取らぬと申したそうですが」
「言葉などいくらでも変わる!」
重房は吐き捨てた。
「林道景継は、もう以前の小さな家ではない。勝家と結び、信孝と盟を結び、長秀や一益、恒興まで周囲におる。近頃は自分の領地まで持った」
だからこそ、重房は恐れていた。
一度裁定を受け入れれば、次も林道へ持ち込まれる。
やがて周囲の国人たちは、争いが起きるたび景継の判断を求めるようになる。
そうなれば、主従の形を取らなくても、誰が上なのかは明らかになる。
「今ならまだ戻せる」
重房が言った。
「林道が何だ。我らの土地は我らで守る」
その言葉に、家臣たちは黙って頭を下げた。
◇
翌日。
景継は野洲宗清の兵三百と合流した。
「林道様」
宗清が馬を寄せる。
「河瀬勢は砦へ入りました」
「五百すべて?」
「おそらく」
「村の者は?」
「砦周辺の村から、一部を中へ入れているようです」
「無理に?」
「そこまでは分かりませぬ」
景継が眉を寄せた。
「調べましょう」
「攻めないので?」
「砦は逃げませんよ」
宗清が驚いたように景継を見る。
「しかし、時間を与えれば守りを固めます」
「それより村の人が中にいる方が困ります」
「なぜです?」
「攻めにくくなるでしょう」
宗清は何も言えなかった。
景継は周囲を見渡す。
田畑が広がっている。
遠くには河瀬の小さな砦。
大軍を防ぐための城ではない。
二千で本気になれば、力攻めもできるだろう。
だが、それでは人が死ぬ。
兵も。
村人も。
そして砦も傷む。
「宗清殿」
「はい」
「河瀬領の村へ伝手はあります?」
「ございます」
「では伝えてください」
「何を?」
「林道軍は村を焼かない。田畑も荒らさない。河瀬殿に従っているというだけで罰することもしない」
「また高坂の時と同じように?」
「少し違います」
「違う?」
「今回は河瀬家そのものと戦いたくて来たわけではありませんから」
景継は砦を見る。
「兵を止めて、昨日の裁定を受け入れるなら、まだ戦わなくていい」
「重房殿が受けますか?」
「それを決めるのは重房殿です」
景継は使者を出した。
◇
返事はその日のうちに来た。
短かった。
河瀬家の土地へ林道が口を出すことは認めない。
兵を退け。
さもなくば戦う。
それだけだった。
「だそうです」
景継は書状を長秀へ渡した。
今回、長秀も軍に同行していた。
「どうする」
「もう一度だけ聞きます」
「まだ聞くのか?」
「今度は内容を変えます」
「何と」
「兵を退けば、河瀬家は残す。ただし道と市については先日の裁定に従う」
「退かなければ?」
「戦います」
長秀が頷く。
「それでよい」
「それともう一つ」
「何だ」
「明日の朝までです」
長秀が景継を見る。
「期限を切るか」
「こちらも二千の兵を連れてきていますからね。いつまでも待たせられません」
景継は使者へ書状を渡した。
「お願いします」
使者が出ていく。
弥兵衛が景継の横へ来た。
「殿」
「はい」
「兵の様子ですが」
「何かありました?」
「大きな問題はありません。ただ、新しく加わった兵の一部で行軍が遅れました」
「どれくらい?」
「半刻ほど」
「原因は?」
「荷駄との間隔が開きました」
「帰ったら直しましょう」
「はい」
「他には?」
「命令の伝達も、一部遅れております」
「それも書いておいてください」
長秀が二人を見る。
「戦の前に反省会か?」
「今分かったことは今覚えておかないと、忘れますから」
「お前は本当に変なところで細かいな」
「七千になったからですよ」
「何?」
「五千の時にできていたことが、七千でもできるとは限りません」
景継は自軍を見る。
「人数が増えれば、命令を伝える相手も増える。食べる米も増える。荷駄も増える。遅れる者も出る」
「だから二千を動かして試したのか」
「試すという言い方は嫌ですけどね」
「同じことだろう」
「まあ、そうですね」
景継は苦笑した。
七千になった。
それだけで強くなったと思ってはいけない。
増えた力を扱えなければ、数字だけの軍になる。
今回の戦は、そのことを知る機会でもあった。
◇
翌朝。
河瀬から返事は来なかった。
代わりに来たのは報告だった。
「河瀬勢、砦から出ました!」
「数は?」
「四百ほど!」
景継が顔を上げる。
「出てきた?」
「はい。こちらへ向かっております!」
長秀が立ち上がる。
「籠もると思ったが」
「私もです」
景継はすぐに外へ出た。
遠くに土煙が見える。
河瀬重房は、林道軍が砦へ近づく前に戦うことを選んだらしい。
「宗清殿は?」
「すでに兵を整えております」
「前へ出さないでください」
「しかし野洲殿は河瀬と戦うために――」
「だからこそです」
景継は弥兵衛を見る。
「野洲と河瀬を正面からぶつけたら、余計に恨みが残ります」
「では林道軍だけで?」
「はい」
景継は二千のうち、前へ出す兵を千ほどに絞った。
残りは後方。
兵数で押し包む必要はない。
河瀬勢四百。
こちらは前面だけでも倍以上。
「弓を前へ。ただし、近づくまで射たないでください」
「はっ」
「槍は三列。追いかけすぎないように」
「承知!」
「それと」
景継は河瀬勢を見る。
「逃げる者は追わない」
命令が伝わっていく。
やがて河瀬勢が近づいた。
先頭には重房。
「林道景継!」
遠くから声が響く。
「他家の争いに首を突っ込み、我が土地まで奪うつもりか!」
景継は馬を進めた。
互いの声が届くほどの距離で止まる。
「重房殿」
「何だ!」
「最後に聞きます」
「まだ言うか!」
「兵を退きませんか」
「断る!」
即答だった。
「ならば仕方ありません」
景継は馬を戻した。
重房が叫ぶ。
「怖気づいたか!」
景継は振り返らなかった。
自陣へ戻り、右手を上げる。
「構えてください」
林道兵が槍を揃えた。
新しく加わった兵もいる。
北ノ庄を経験した兵もいる。
だが今は同じ命令を待っていた。
河瀬勢が動く。
「来ます!」
「まだです」
距離が縮まる。
「まだ」
さらに近づく。
重房の声が聞こえる。
河瀬兵が駆ける。
景継の手が下がった。
「弓」
矢が放たれた。
一斉射。
河瀬勢の前列が乱れる。
「槍、前へ」
林道兵が進んだ。
走らない。
隊列を保ったまま、ゆっくりと前へ出る。
河瀬勢は勢いのままぶつかった。
だが崩れたのは林道側ではなかった。
兵数。
隊列。
武具。
そして、命令の届き方。
すべてに差があった。
最初の衝突から、それほど時はかからなかった。
「押せ!」
河瀬方から声が上がる。
だが前へ出られない。
林道兵が一歩進む。
河瀬兵が一歩下がる。
さらに一歩。
「殿!」
河瀬の兵の一人が叫ぶ。
「持ちませぬ!」
「退くな!」
重房が怒鳴る。
「相手は寄せ集めだ! 林道など恐れるな!」
その言葉は、景継の耳にも届いた。
「寄せ集め、ですか」
景継が小さく呟く。
否定はしなかった。
少し前なら、その通りだったかもしれない。
今も完全に一つになったとは思っていない。
だからこそ、今日確かめている。
「左、少し前へ」
命令が伝わる。
林道軍の左翼が動いた。
河瀬勢の横へ圧力がかかる。
重房がそれに対応しようと兵を動かす。
だが間に合わない。
「崩れます!」
弥兵衛が言った。
「追わないようにもう一度伝えてください」
「はい!」
間もなく河瀬勢の一部が逃げ始めた。
一人。
二人。
それが十人になり、二十人になる。
重房が止めようとしても、もう止まらない。
やがて前線そのものが崩れた。
「退け!」
ついに重房自身が叫んだ。
河瀬勢が砦の方向へ逃げる。
林道兵の一部が追おうとした。
「止まれ!」
指揮官たちの声が飛ぶ。
完全ではない。
数十人ほどが前へ出すぎた。
それでもすぐに止まった。
景継はその様子を見ていた。
「弥兵衛」
「はい」
「今、出すぎた隊を覚えておいてください」
「戦の最中ですよ」
「だから分かるんです」
「……承知しました」
長秀が横で笑った。
「勝っておるのに、反省するところばかり探しておるな」
「負けてから探すよりいいでしょう」
「それはそうだが」
河瀬勢は砦へ逃げ込んだ。
だが、景継は追撃を命じなかった。
「今日はここまでです」
「砦を攻めぬのか?」
「必要ありません」
「なぜだ」
「もう、重房殿の兵は分かったでしょう」
景継は逃げていく河瀬兵の背中を見る。
「戦えばどうなるか」
その日の夕方。
景継は砦へ使者を送った。
条件は簡単だった。
武器を置く者は助ける。
村人には手を出さない。
河瀬家の兵も、降伏すれば命は取らない。
ただし重房自身には、林道の裁定に従うことを改めて求めた。
◇
翌朝。
砦の門が開いた。
最初に出てきたのは重房ではなかった。
十数人の兵だった。
槍を地面へ置き、両手を上げる。
その後ろから、さらに兵が出てくる。
三十。
五十。
百。
昨日の戦で、彼らは知ってしまった。
正面から戦っても勝てない。
しかも林道軍は、逃げた者を追わなかった。
降伏した者を殺すとも言っていない。
戦い続ける理由が急速に失われていた。
「重房殿は?」
景継が尋ねる。
「まだ砦におります」
「そうですか」
「攻めますか?」
宗清が聞いた。
「もう少し待ちましょう」
「また?」
「中から出てくる人がいるのに攻めたら、その人たちまで巻き込むでしょう」
昼前。
残っていた兵の多くも武器を置いた。
そして、ついに河瀬重房が姿を現した。
供はわずか十人ほど。
重房は景継の前まで来ると、黙って膝をついた。
「……負けた」
「はい」
景継はそれだけ答えた。
重房が顔を上げる。
「殺すか」
「いいえ」
「では追放か」
「それもまだ決めていません」
「まだ?」
「聞かなければならないことがありますから」
景継は重房の前へ座った。
「どうして、私に仲裁を頼んだんです?」
重房は答えなかった。
「最初から従う気がなかったなら、来る必要はなかったでしょう」
「……野洲が先に、お前へ話を持っていくと思った」
「だから自分も?」
「一方の話だけで決められては困る」
「なるほど」
「だが、お前の裁定を聞いて分かった」
「何がです?」
重房が景継を見る。
「このままでは、皆がお前のところへ行く」
景継が黙る。
「争いがあればお前に聞く。道を通すにもお前に聞く。商人を呼ぶにもお前に聞く」
重房は拳を握った。
「そんなもの、家臣になるのと何が違う」
「違いますよ」
「何が違う!」
「嫌なら聞かなければいい」
重房が言葉を失った。
「私は、最初に言いましたよね。帰っても構わないと」
「……」
「それでもあなたは私に決めてほしいと言った。そして結果が気に入らなかったから兵を出した」
景継は立ち上がる。
「そこは、別の話です」
「河瀬家はどうなる」
重房が低い声で尋ねた。
景継は砦を見る。
その向こうには村がある。
道がある。
そして市へ続く土地がある。
「河瀬家の領地は、林道家が治めます」
重房の顔が強張った。
「やはり奪うのか」
「戦う前なら、取るつもりはありませんでした」
景継は重房を見る。
「ですが、あなたは私に助けを求めた者を敵とし、私の裁定を破って兵を出した」
「……」
「それで戦になり、私たちが勝った」
景継の声は静かだった。
「なら、この土地は林道家で治めます」
重房は何も言わなかった。
しばらくして、深く頭を下げた。
◇
戦が終わったその日の午後。
景継が最初に見たのは、砦の中ではなかった。
「こっちですか?」
弥兵衛が呆れたように言う。
「こっちでしょう」
二人が立っているのは、争いの原因になった道だった。
少し先には小さな市。
さらにその先には林道領へ続く道がある。
「ここ、雨が降ったらかなり悪くなりますね」
「そのようですな」
「直しましょう」
「また金が要りますぞ」
「分かってます」
「兵も増やすのでしょう?」
「まず調べてからです」
景継は河瀬家の帳面を運ばせていた。
田畑。
年貢。
人口。
市場。
道。
兵。
蔵に残る米。
借財。
すべてを見る。
その日の夕方には、ある程度の数字が集まり始めた。
「思っていたより悪くありませんな」
弥兵衛が帳面を見ながら言う。
「河瀬殿、道には結構お金を使ってますね」
「だからこそ市の取り分を欲しがったのでしょう」
「なるほど」
景継は次の帳面を見る。
「兵は?」
「元河瀬兵のうち、百八十ほどが林道家への仕官を希望しております」
「全部は取らないでください」
「やはり?」
「必要な人数を見てからです」
「では、この土地でどれくらい養えるかを先に?」
「はい」
弥兵衛が別の書付を出した。
「まだ大まかな数字ですが、今の林道領と合わせれば――」
そこで一度止まった。
「無理をせずとも、今より千五百から二千ほどは兵を増やせそうです」
景継が顔を上げる。
「そんなに?」
「すぐに、ではありません」
「分かっています」
「市場と道を整え、収入が安定することが前提です。凶作も考えねばなりません」
「それでいいです」
景継は帳面へ目を戻した。
七千。
そこから、さらに先が見え始めた。
すぐに一万へ増やす必要はない。
兵を集めるだけならできる。
だが、景継が欲しいのは、一度集めた兵を何年も養い続けられる力だった。
「まず、どこまでなら無理なく増やせるか出してください」
「はい」
「河瀬の兵だけじゃなく、この辺りで仕官を希望している者も含めて」
「承知しました」
「それと、今日の戦で分かったことも全部まとめましょう」
「行軍の遅れ、荷駄、命令の伝達、前へ出すぎた隊ですな」
「はい」
弥兵衛が苦笑する。
「勝った翌日にやることが、また増えましたな」
「土地も増えましたからね」
「嬉しそうですな」
「少しだけ」
「少し?」
「かなりです」
弥兵衛が笑った。
景継も笑いながら、二つの領地が並んだ絵図を見る。
ほんの少し前まで、自分の土地は一つもなかった。
今は二つ。
兵は七千。
そして新たな土地を整えれば、その先も見えてくる。
北ノ庄で勝った時に手に入れたのは、人だった。
高坂領で初めて手に入れたのは、自分の土地だった。
今度は、その土地が隣へ伸びた。
「弥兵衛」
「はい」
「一万が、少し近くなりましたね」
「兵を一万にするのではなく?」
景継が弥兵衛を見る。
「一万を養える林道家に、です」
「分かっております」
弥兵衛はそう答えてから、帳面を一枚めくった。
「ですから、そのために明日から仕事が山ほどあります」
「……今日くらい喜ばせてくれてもいいでしょう」
「天下を取る庄屋に休みはございません」
「まだそれ言います?」
「気に入っておりますので」
景継は苦笑した。
林道家の領地は二つになった。
七千だった兵を、さらに増やせる土台も手に入れた。
だが、景継が見ていたのは兵の数だけではない。
この道を整えれば、二つの土地を人と物が行き来する。
市場が繋がれば銭が動く。
銭が動けば、兵を養える。
兵を養えれば、次に何かが起きた時、自分の力で動ける。
小さかった林道家は、ようやく一つの領地を持つ家から、その先へ進み始めていた。




