↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第七章 覇道布石編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
134/254

第百三十四話 敵ではないということ



「景継」


「はい」


「お前は、わしを怒らせに越後まで来たのか」


「……やっぱり怒りますよね」


 上杉景勝の低い声を受けながら、景継は困ったように笑った。


 だが、景勝は笑わない。


 その隣に座る上杉家の家臣たちも同じだった。


 北条氏政の娘との婚姻。


 それだけなら、まだいい。


 林道景継がどの家と縁を結ぼうと、本来なら上杉が口を出すことではない。


 問題は、その直後に続いた言葉だった。


 北条との戦を三年ほど止めてほしい。


 長年、北条と争ってきた上杉に対して、それを頼みに来たのである。


「もう一度聞く」


 景勝が言った。


「北条氏政の娘を娶るのだな」


「はい」


「その話は、もう決まったのか」


「正式な輿入れはまだですが、私と楓姫様、そして氏政様の間では話がまとまっています」


「それを公にするつもりは?」


「今のところありません」


「なぜだ」


「知られれば、困る人より喜ぶ人の方が多そうですから」


 景勝の眉がわずかに動いた。


「誰が喜ぶ」


「秀吉様です」


「……」


「私と北条が結んだと分かれば、秀吉様はそれを前提に動けます」


 景継は続けた。


「どこまで結んでいるのか。北条がどこまで私に協力するのか。何を警戒すればいいのか。それを調べようとするでしょう」


「隠しておけば分からぬと」


「少なくとも、すぐには」


「ならば」


 景勝の声がさらに低くなった。


「なぜ、わしには話した」


 弥兵衛がわずかに景継を見る。


 ここだった。


 景継がわざわざ自ら越後まで来た理由の一つ。


「隠してお願いする方が、失礼だからです」


 景継は答えた。


「……」


「私は今から、景勝様に北条との戦を止めていただきたいとお願いします」


「そうだな」


「その私が、実は北条氏政様の娘と婚姻することを決めていた。それを後から景勝様が知ったら、どう思われます?」


「北条に嵌められたと思うだろうな」


「私もそう思います」


「お前が言うな」


「すみません」


 景勝の家臣の一人が、わずかに顔を伏せた。


 笑ったのかもしれない。


 景勝がそちらを見ると、すぐに姿勢を正した。


「それで」


 景勝が景継へ視線を戻す。


「お前は北条の使者として来たのか」


「違います」


「北条の娘を娶るのであろう」


「それでも、北条家の家臣になるわけではありません」


「ならば何だ」


「林道景継として来ました」


 景継の声から笑みが消えた。


「北条様と上杉様。その両方に、しばらく戦わない方が得ではありませんか、と話すためです」


「わしらの得を、お前が決めるのか」


「決めません」


「では?」


「聞きに来ました」


 景勝は黙った。


「北条と三年戦わない。その条件で上杉様にどんな利があり、何が困るのか。それを聞かせてください」


「先に北条と話をまとめておいてか」


「北条様とも、まだすべてが決まったわけではありません」


「三年という話は出ているのであろう?」


「はい」


「ならば北条の条件を、わしに飲ませに来たようなものではないか」


「違います」


 景継はすぐに否定した。


「三年が嫌なら変えます」


「……何?」


「二年でも、一年でも」


「北条が認めるのか」


「そこは私がもう一度話します」


「では、何のために先に北条へ行った」


「北条様が、そもそも戦を止める気があるか確認するためです」


 景勝の目が細くなる。


「もし北条が、絶対に戦を止めぬと言っていたら?」


「ここには来ませんでした」


「……」


「上杉様だけに戦うなとお願いしても意味がないでしょう」


 景勝は答えなかった。


 筋は通っている。


 だが。


 それで上杉が簡単に頷ける話でもない。


「北条と我らが、どれほど長く争ってきたか知っておるか」


「詳しくはありません」


 景勝の家臣たちの顔が変わった。


 弥兵衛が目を閉じる。


「殿……」


「知らないものは仕方ないでしょう」


「もう少し言い方というものが」


「ですが」


 景継は景勝から目を逸らさなかった。


「長く争ってきたことは知っています」


「ならば、なぜ止めろと言う」


「長く争ってきたからです」


 景勝の眉が動く。


「北条と上杉が争えば、北条は上杉を見ます」


「当然だ」


「上杉様も北条を見る」


「それも当然だ」


「その間に」


 景継は少し間を置いた。


「中央で誰かが大きくなっても、二人とも十分には見られません」


 広間の空気が変わった。


 景勝はすぐに意味を理解した。


「秀吉か」


「はい」


「お前が秀吉と争っているから、我らにも手を貸せというのだな」


「少し違います」


「何が違う」


「私が負けても、秀吉様が大きくなることは上杉様に関係ないのでしょうか」


「……」


「私を助ける必要はありません」


 景継は静かに言った。


「上杉様自身のために考えていただきたいんです」


「秀吉が大きくなれば、いずれ越後へ来ると?」


「分かりません」


「またか」


「分からないんです」


 景継は苦笑しなかった。


 今度は真剣だった。


「秀吉様が畿内を押さえ、織田家を従え、勝家様を倒し、私も倒したとして」


 景勝が黙って聞く。


「その後、どこへ向かうかは私には分かりません」


「東へ来るとは限らぬ」


「はい」


「ならば心配する必要もあるまい」


「来てから考えるのですか?」


 景勝の目が鋭くなった。


「……」


「来なければ、それでいいんです」


 景継は続けた。


「でも来た時に、すでに誰も止められないほど大きくなっていたら困るでしょう」


「だから今のうちに秀吉を止めろと」


「いいえ」


「違うのか」


「秀吉様と戦ってくださいとは、まだ言っていません」


 景勝が景継を見る。


「北条との戦を、一度止めていただきたいだけです」


「同じことではないのか」


「違います」


 景継は首を振った。


「北条と戦わないからといって、秀吉様と戦う必要はありません」


「では、その兵をどうする」


「上杉様がお決めください」


「越中へ向けてもよい?」


「私が決めることではありません」


「北へ向けても?」


「同じです」


「何もせず越後に置いても?」


「もちろん」


 景勝は黙った。


 景継が求めているものが、少し見えてきた。


 上杉軍を借りたいのではない。


 今すぐ秀吉へ向けたいわけでもない。


 北条と戦うために使われている力を、一度自由にしたいのだ。


 その先をどうするかは、上杉に委ねる。


「北条にも同じことを言ったのか」


「はい」


「上杉と戦わなくなった兵を、どこへ向けてもよいと?」


「はい」


「我らへ向けなければ、だろう」


「それは停戦になりませんから」


 景勝が鼻を鳴らした。


「北条が約定を破れば?」


「上杉様も約定に縛られません」


「お前は北条側に立つのか」


「立ちません」


「妻の実家だぞ」


「それでもです」


「北条が先に約定を破っても?」


「はい」


「楓姫とやらに恨まれるぞ」


「それは……困りますね」


「ならば北条を助けるか」


「それとこれとは別です」


 景勝が初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。


「お前も難儀な縁を結んだものだな」


「私もそう思い始めています」


「自分で受けたのであろう」


「はい」


「ならば諦めろ」


「そうします」


 弥兵衛が少し驚いた顔で景勝を見る。


 先ほどまでの張り詰めた空気が、わずかに緩んでいた。


 だが交渉が終わったわけではない。


「景継」


「はい」


「お前の話には、一つ抜けているものがある」


「何でしょう」


「我らが北条と戦わぬことで、北条が得をする」


「はい」


「お前も得をする」


「はい」


「では」


 景勝は自分を指した。


「上杉は何を得る」


 景継はすぐには答えなかった。


「北条と戦わなくていい時間、では足りぬぞ」


「そう言われると思っていました」


「ならば用意してあるのだろうな」


「いくつかは」


 景勝の目が細くなる。


「申せ」


 景継は地図へ目を落とした。


 北条と上杉。


 ただ戦を止めるだけなら、一方が得をしたと感じた瞬間に崩れる。


 双方に、止めている方がいいと思わせなければならない。


「まず」


 景継が口を開いた。


「停戦中、北条様が上杉領へ兵を入れないことを明記します」


「当然だ」


「上杉様も同じです」


「それも当然だ」


「国境付近で問題が起きた場合、すぐに兵を出さない」


「ではどうする」


「使者を立てます」


「誰を」


「北条と上杉、それぞれ一人ずつ。そして必要なら林道家からも一人」


「お前が仲裁するのか」


「できる範囲で」


「遠いぞ」


「なので全部は無理です」


「……お前は本当に言い切らぬな」


「できない約束をすると、後で困りますから」


 景勝は続きを促した。


「それだけか」


「いいえ」


 景継は地図の一角を指した。


「上杉様が北条との戦に備えて置いている兵と兵糧。その一部を、別の場所へ使えるようになります」


「それは先ほど聞いた」


「重要なのは、何に使うかです」


「何に使えと言う」


「私から一つだけ申し上げるなら」


 景継は景勝を見る。


「上杉家を強くしてください」


「……」


「領地でも、道でも、城でも、兵糧でも構いません」


「秀吉と戦えとは言わぬのだな」


「今は」


 景勝の目が止まった。


「今は?」


「はい」


「では、いずれ言うつもりか」


「必要になれば、お願いするかもしれません」


「やはりそれが目的ではないか」


「お願いすることと、従っていただけることは別でしょう」


 景勝は景継を見つめた。


「断ってもよいと?」


「当然です」


「お前が天下を取るために必要な時でも?」


「はい」


「では、なぜ今こんなことをしている」


 景継は少し考えた。


「その時になってからお願いしても、遅いかもしれないからです」


 景勝の表情が変わった。


「戦が始まってから同盟を作る。敵が大軍を集めてから味方を探す。追い詰められてから兵糧を集める」


 景継は首を振った。


「私は、そういうのが嫌なんです」


「だから先に?」


「はい」


「何が起きるかも分からぬのに?」


「分からないからです」


 景勝は黙った。


 未来が見えるから備えるのではない。


 見えないから備える。


 どの戦が起こるか。


 誰が敵になるか。


 誰が味方になるか。


 それすら決まっていないうちから、使える道を増やしておく。


「景継」


「はい」


「お前は」


 景勝は地図を見ながら言った。


「天下を取った後も、このようなことを続けるつもりか」


「このようなこと?」


「人と人の間へ入り、争わぬ理由を作ることだ」


 景継は少し考えた。


「できれば」


「できれば?」


「天下を取った後まで毎回私が走り回るのは嫌です」


「……」


「その頃には、誰かに任せたいです」


 弥兵衛が思わず口を挟んだ。


「殿」


「何です?」


「天下を取る前から楽をすることを考えないでください」


「大事でしょう。私が死んだら全部止まる国なんて困りますよ」


 景勝が景継を見た。


「それは、そうだな」


「でしょう?」


「だが、お前はまだ天下を取っておらぬ」


「はい」


「まず取れ」


「頑張ります」


「軽いな」


「重く言えば取れるものでもありませんから」


 今度は景勝の家臣たちの間から、小さな笑いが漏れた。


 最初の怒気は、もうかなり薄れている。


 景継はそれを感じていた。


 だからこそ、急がなかった。


 ここで答えを求めれば、また景勝を押すことになる。


「今日は、ここまでにしましょう」


 景勝が眉を寄せる。


「何?」


「すぐに決める話ではないでしょう」


「お前から頼みに来たのではないか」


「だからこそです」


 景継は頭を下げた。


「上杉家の中でも話してください」


「その間、お前はどうする」


「待ちます」


 弥兵衛が小さく息を吐いた。


「結局そこへ戻るのですな」


「便利なんですよ」


「先ほども聞きました」


 景勝は景継を見ながら、少し考えた。


「三日だ」


「はい?」


「三日、越後にいろ」


「分かりました」


「その間に我らも考える」


「ありがとうございます」


「まだ受けるとは言っておらぬぞ」


「分かっています」


「北条にも条件を出す」


「もちろんです」


「我らにだけ我慢をさせるつもりなら、話は終わりだ」


「その条件を聞くために来ました」


 景勝は頷いた。


「ならば三日後だ」


「はい」


 景継が頭を下げる。


 席を立とうとした時だった。


「景継」


 景勝に呼び止められた。


「何でしょう」


「一つだけ聞いておく」


「はい」


「お前は北条と婚姻した」


「はい」


「それでも上杉との関係を残そうとしている」


「はい」


「いずれ北条と上杉のどちらかを選ばねばならぬ時が来たら、どうする」


 景継は少し黙った。


 楓にも似たことを聞かれた。


 北条と林道が争ったらどうするのか。


 今度は景勝から。


 北条と上杉、どちらを選ぶのかと問われている。


「その時の理由を見ます」


「理由?」


「どちらが何をしたのか」


「……」


「北条だから味方する。上杉だから味方する。最初からそう決めてしまうつもりはありません」


「婚姻よりもか」


「約束を守ることの方が大事です」


 景勝はしばらく景継を見ていた。


「楓姫に聞かせてやりたいものだ」


「それはやめてください」


「なぜだ」


「婚姻前から嫌われたくありません」


 景勝が、初めてはっきりと笑った。


「帰れ」


「はい」


「三日後だ」


「お待ちしております」


「待つのはお前だ」


「あ、そうでした」


 景継と弥兵衛が広間を出る。


 廊下へ出てしばらく歩いてから、弥兵衛が大きく息を吐いた。


「生きて出られましたな」


「何を言ってるんですか」


「小田原を出る時、殿が怒られに行くと仰ったので」


「怒られただけで済みましたね」


「まだ三日後があります」


「そうでした」


 二人は顔を見合わせた。


「殿」


「はい」


「どう思われます?」


「何がです?」


「景勝様は、受けるでしょうか」


 景継は少し考えた。


「条件次第でしょうね」


「その条件が厳しければ?」


「北条様のところへ持って帰ります」


「北条が断れば?」


「また考えます」


「いつまで続けるのです」


「両方が、これなら戦わない方が得だと思えるところまで」


 弥兵衛は呆れたように景継を見る。


「大変ですな」


「交渉ですから」


 景継は庭へ目を向けた。


 雪の残る山々が遠くに見える。


 上杉には上杉の都合がある。


 北条には北条の都合がある。


 林道には林道の都合がある。


 三者が互いを信用する必要はない。


 好きになる必要もない。


 まして、同じ旗の下へ集まる必要などない。


 ただ。


 戦わない方が得だと思える時間を作る。


 それだけでいい。


          ◇


 三日後。


 再び景勝の前へ呼ばれた景継は、昨日までとは違う空気を感じていた。


 景勝の前には、一枚の書状が置かれている。


「景継」


「はい」


「家中で話した」


「ありがとうございます」


「北条との停戦」


 景勝が書状へ手を置いた。


「条件付きならば、受けてもよい」


 弥兵衛がわずかに顔を上げた。


 景継は表情を変えなかった。


「条件をお聞かせください」


「まず三年ではない」


「では?」


「二年だ」


「分かりました」


「早いな」


「期間は最初から変えて構わないと思っていましたので」


「北条が三年を譲らなければ?」


「氏政様と話します」


 景勝が続ける。


「互いに国境を越えて兵を入れぬ」


「はい」


「国境付近で争いが起きても、すぐに大軍を動かさぬ。まず使者を出す」


「はい」


「北条が破れば、その時点で我らは自由に動く」


「当然です」


「そして」


 景勝の声が低くなる。


「一つ、北条に伝えろ」


「何でしょう」


「この二年を使って、我らの不利になるような備えを国境に積み上げるならば、三年目はない」


 景継は少し考えた。


「分かりました」


「飲めるか?」


「私では決められません」


「そうであったな」


「ですが、氏政様へそのまま伝えます」


「それでよい」


 景勝は景継を見る。


「こちらからは以上だ」


「……それだけですか?」


「何だ。不満か」


「いえ」


 景継は正直に言った。


「もう少し厳しいものを想像していました」


「ならば追加してやろうか」


「結構です」


「そうか」


 景勝の口元がわずかに緩む。


「二年で十分だ」


「理由を聞いても?」


「お前が言ったのであろう」


 景勝は地図へ目を落とした。


「北条を見ずに済む時間ができれば、上杉は別の場所を見ることができる」


 景継は黙った。


「その時間を何に使うかは」


 景勝が顔を上げる。


「我らが決める」


 景継の口元に、ほんの少し笑みが浮かんだ。


「はい」


「何がおかしい」


「いえ」


 景継は頭を下げた。


「それでいいんです」


 上杉景勝は上杉のために動く。


 北条氏政は北条のために動く。


 柴田勝家も。


 織田信孝も。


 前田利家も。


 誰も林道景継のためだけに動く必要はない。


 それぞれが自分のために動けばいい。


 必要なのは。


 その時、動けるだけの余地が残っていること。


「では、北条へ伝えます」


「ああ」


「氏政様が条件を飲めば、改めて使者を」


「待っている」


「ありがとうございます」


 景継は頭を下げた。


 まだ停戦は成立していない。


 北条が条件を飲む保証もない。


 それでも。


 東と北の間にあった戦を、一時止める道は見えた。


 景継が越後へ持ってきたのは、土地でも金でもなかった。


 時間だった。


 北条にも。


 上杉にも。


 そして。


 その時間がいつ、何のために使われるのか。


 それを決める日は、まだ来ていなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。