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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第七章 覇道布石編

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第百二十八話 同じ旗の下でなくても



 信雄との対話を終えてから数日。


 景継は自らの領地へ戻っていた。


 城を一つ手に入れたからといって、天下取りが急に華やかになるわけではない。


 むしろ現実は逆だった。


「殿」


「はい」


「用水の修繕ですが、予定より人手が必要になるそうです」


「どれくらい増えます?」


「三十人ほど」


「三十人……」


「それと橋の方も」


「橋もですか」


「はい」


 弥兵衛がさらに紙を差し出す。


「市場の商人からは、街道の見回りを増やしてほしいと」


「それは必要ですね」


「兵を出しますか?」


「ずっと兵を置いたら、その分お金がかかりますよね」


「当然です」


「……領地って、本当に勝った後の方が大変ですね」


「何度目ですか、その台詞」


「何度でも言いたくなります」


 景継は机に肘をついた。


 弥兵衛が呆れたように笑う。


 そこへ足音が近づいた。


「景継!」


 声だけで分かる。


「今度は何ですか、勝家様」


「何だ、その言い方は」


 柴田勝家が部屋へ入ってくる。


 後ろには丹羽長秀もいた。


「わしが来ると問題でもあるのか」


「ありませんよ。ただ勝家様が勢いよく来る時は、大抵何かあるので」


「ある」


「やっぱり」


 勝家がどかりと座る。


「利家を呼んだ」


 景継の顔が変わった。


「前田様を?」


「ああ」


 前田利家。


 信長に長く仕えた武将の一人。


 北陸に領地を持ち、決して無視できない力を有している。


 景継は勝家を見る。


「どうして急に?」


「急ではない」


 勝家の声が少し低くなった。


「北ノ庄の戦が終わってから、いずれ話さねばならぬと思っていた」


 長秀も黙っている。


 景継はそれ以上、軽口を挟まなかった。


「前田様は、今どちらにもついていないのですか?」


「完全にはな」


 長秀が答える。


「秀吉とも縁がある。勝家とも長く戦ってきた。織田家の家臣でもある。簡単に誰か一人へ身を預けられる立場ではない」


「なるほど」


 景継は少し考える。


「それで勝家様が直接?」


「ああ」


「私が行かない方がいいですか?」


 勝家は景継を見た。


「最初はな」


 景継は意外そうに瞬きをした。


「珍しいですね」


「何がだ」


「勝家様がそんなに気を遣うなんて」


「帰るぞ」


「すみません」


 景継がすぐに頭を下げる。


 長秀がため息をついた。


「お前は勝家相手になると、少し雑になるな」


「長い付き合いなので」


「誰が長い付き合いだ!」


「そこは否定するんですか?」


「話を進めろ!」


 勝家の怒声が響いた。


 だが、その後に続いた声は先ほどより静かだった。


「利家とは、わしが先に話す」


「はい」


「その後で、お前にも会わせる」


「分かりました」


「ただし」


 勝家は景継を睨む。


「いつものように、妙なことを言うな」


「妙なこと?」


「自分で選べだの、無理に来なくていいだの、そういう話じゃ」


 景継が少し困った顔をした。


「今回は言うつもりありませんよ」


「本当か?」


「はい」


「信用できんな」


「最近、皆さん私に厳しくないですか?」


「お前が同じことを何度も言うからだ」


 長秀の指摘に、景継は黙った。


「……気をつけます」


 弥兵衛が小さく咳払いをして、笑いを隠した。


          ◇


 数日後。


 前田利家は北ノ庄を訪れた。


 景継は最初の対話には同席しなかった。


 勝家がそう望んだからだ。


 広間にいるのは勝家と利家。


 それにごく少数の家臣だけだった。


「久しいな、又左」


 勝家が言った。


 利家は少し苦い顔をした。


「その呼び方も久しぶりですな」


「嫌か」


「いえ」


 利家は勝家を見る。


 二人の間には、多くのものがある。


 信長の下で戦った年月。


 共に戦場へ立った記憶。


 そして信長亡き後、それぞれが置かれた立場。


「北ノ庄で勝たれたと聞いた時は、驚きました」


「わしが勝ったわけではない」


「では林道殿が?」


「それだけでもない」


 勝家は腕を組んだ。


「わしも戦った。景継も戦った。上杉も動いた」


「ずいぶん素直になられましたな」


「何がだ」


「昔の勝家様なら、わしが勝ったと言いそうなものです」


「貴様!」


 勝家が怒鳴る。


 利家は笑った。


 それを見た勝家も、しばらくして鼻を鳴らした。


「相変わらず生意気だ」


「勝家様には言われたくありません」


 少しだけ、昔の空気が戻った。


 だがそれは長く続かなかった。


 利家が姿勢を正す。


「それで」


「ああ」


「何のために、わしを呼ばれたので?」


 勝家も表情を変えた。


「これからの話をするためだ」


「羽柴様との?」


「それもある」


「林道殿との?」


「それもある」


 利家は何も言わない。


 勝家が続ける。


「又左」


「はい」


「お前は秀吉につくのか」


 直球だった。


 利家は少し目を伏せる。


「まだ決めておりません」


「そうか」


「怒られぬのですか」


「何をだ」


「わしが今すぐ勝家様の側へ来ると言わなかったことを」


「怒って来るなら、とっくに怒鳴っておる」


「十分怒鳴っておられますが」


「そういう意味ではない!」


 利家がまた少し笑った。


 勝家は続けた。


「お前が秀吉と付き合いがあることくらい知っている」


「……」


「わしとて、昔からお前が何を考えてきたか全部分かるわけではない」


 勝家は利家をまっすぐ見た。


「だから聞いている」


「秀吉につくのか、と?」


「ああ」


 利家はすぐには答えなかった。


「秀吉様は強い」


「知っておる」


「人を動かすのも上手い」


「知っておる!」


「では勝家様は?」


「何がだ」


「秀吉様をどうするおつもりで?」


 勝家の目が鋭くなる。


「敵だ」


「それだけで?」


「あの男に北ノ庄まで攻め込まれたのだぞ」


「それはそうですが」


「それに」


 勝家は一度言葉を止める。


「景継が天下を取ると言い出した」


 利家がわずかに笑った。


「聞いております」


「笑うな」


「いえ。よく勝家様が許されましたなと思いまして」


「許した覚えはない!」


「ならば止めればよいではありませんか」


「止まると思うか?」


 利家は答えなかった。


 勝家が鼻を鳴らす。


「あやつは止まらん」


「随分と買っておられる」


「気に入らんところはいくらでもある」


「例えば?」


「口が減らん。勝手なことをする。わしの土地を三分の一も上杉にやると言い出した」


「それは……」


 利家が目を見開く。


「本当ですか?」


「本当だ!」


「よく斬りませんでしたな」


「わしもそう思う!」


 利家がとうとう声を出して笑った。


「笑い事ではない!」


「申し訳ない」


「だが」


 勝家の声が静かになる。


「それで、わしは生きている」


 利家の笑みが消えた。


「市も生きている」


「……」


「北ノ庄も残った」


 勝家は拳を握った。


「わしはあの時、負ければ終わりだと思っていた」


 利家は黙って聞いている。


「景継は違った」


「どう違ったので?」


「負けた後まで考えておった」


 勝家は苦々しそうに言った。


「いや。違うな」


 そして自分で言い直した。


「勝つ形を一つに決めていなかった」


 利家の目が少し細くなる。


「勝家様が負けることも?」


「ああ」


「それを本人の前で?」


「言いおった」


「……本当に斬らなくてよかったのですか」


「お前も言うか!」


 また勝家の声が響いた。


 だが今度は、利家は笑わなかった。


「それほどの男ですか」


 勝家はしばらく考えた。


「分からん」


 利家が意外そうに見る。


「分からない?」


「ああ」


「先ほどから随分と褒めておられますが」


「わしが知っているのは、あやつがまだ小さい頃から妙な考え方をする男だったということと、信長様が目をかけたこと」


 勝家は続ける。


「そして今、あやつの言った通りに人が集まり始めていることくらいだ」


「怖くはないので?」


「怖い」


 即答だった。


 利家の表情が変わる。


「景継が天下を取れば、わしより上に立つかもしれん」


「……」


「それでも、秀吉に全部を持っていかれるよりはましだ」


「随分と現実的ですな」


「お前にだけは言われたくない」


 勝家は身を乗り出す。


「又左」


「はい」


「わしの家臣になれとは言わん」


 利家が黙る。


「景継の家臣になれとも言わん」


「では?」


「秀吉だけを見て決めるな」


 勝家の声は、普段より低かった。


「今、天下がどうなるのかを見ろ」


 利家は勝家を見つめる。


「それを言うために?」


「ああ」


「わざわざ?」


「悪いか」


「いえ」


 利家はゆっくり息を吐いた。


「少し驚いただけです」


「何に」


「勝家様が、わしに従えと言わなかったことに」


「貴様はわしを何だと思っている」


「昔の勝家様なら言ったかと」


 勝家の眉が動いた。


 だが怒鳴らなかった。


「……人は少しくらい変わる」


 利家が微笑んだ。


「林道殿の影響ですか」


「違う!」


 即答だった。


「絶対に違う!」


 広間の外まで響く声だった。


          ◇


 その日の夕刻。


 景継はようやく利家と顔を合わせた。


 弥兵衛、長秀、恒興も同席している。


 一益は別件で城を離れていた。


 利家が景継を見る。


「林道殿」


「お久しゅうございます」


「ずいぶん大きくなられましたな」


「まだ城一つですよ」


「城の話ではありません」


「ああ」


 景継が少し困ったように笑う。


「最近、よく言われます」


「怖がられてもいるとか」


「それもよく言われます」


「気にしておられぬ?」


「気にはしますよ」


「では、大きくなるのをやめる?」


「やめません」


 利家が笑った。


「即答ですな」


「そこを迷ったら、天下を取ると言った意味がなくなりますから」


「なるほど」


 利家は景継から視線を外し、長秀、恒興を見る。


 そして再び景継へ戻す。


「勝家様から聞きました」


「何をです?」


「わしを家臣にするつもりはないと」


 景継が勝家を見る。


「言ったんですか」


「言った」


「それなら話が早いですね」


 利家の眉がわずかに動いた。


「本当に、そのつもりはないので?」


「今はありません」


「今は?」


「将来、前田様の方から『家臣にしてくれ』と言われたら考えます」


「随分な自信ですな」


「冗談ですよ」


 弥兵衛が横から口を挟む。


「殿」


「はい」


「その冗談は相手を選んだ方がよろしいかと」


「すみません」


 利家が声を上げて笑った。


「勝家様が苦労される理由が少し分かりました」


「わしだけではない!」


 勝家が怒鳴る。


「皆苦労しておる!」


「そこまでですか?」


「お前が言うな!」


 しばらく笑いが続いた。


 だが利家は、やがて真剣な顔へ戻った。


「林道殿」


「はい」


「わしに何を望みます」


 景継も表情を変えた。


「秀吉様が大きくなりすぎないことです」


「兵を出せと?」


「必要な時には、お願いするかもしれません」


「今は?」


「まだです」


「領地を差し出せとも?」


「言いません」


「では林道家につけとも?」


「それも言いません」


 利家が目を細める。


「それで、わしがお前に何の役に立つ?」


「いるだけでも違います」


「何?」


 景継は地図を広げた。


「前田様がどちらにつくか分からない。その状態そのものが、秀吉様にとっては困るでしょう」


 利家の表情が変わる。


「わしを、動かぬ兵として使うつもりか」


「使えるなら」


「正直ですな」


「嘘をついても仕方ないので」


 景継は地図上の北陸を指した。


「もし前田様が秀吉様につけば、勝家様はそちらを警戒しなければならない」


「そうなるでしょうな」


「逆に、前田様が勝家様と争わないと分かれば」


 景継の指が動く。


「勝家様は別の方向を見られます」


 勝家が景継を見る。


 長秀も無言で地図へ目を落とす。


 利家が尋ねる。


「それだけか?」


「今は」


「また今は、ですか」


「先の戦まで全部決めても、その通りになるとは限りませんから」


「では、その時々で?」


「はい」


 景継は頷いた。


「必要な時に、必要なことをお願いします」


「断ったら?」


「別の方法を考えます」


 利家は景継の目を見た。


「怒らぬ?」


「困りはします」


「だが、計画が崩れるとは考えない?」


「一人が動かなかっただけで全部駄目になるなら、最初から危ない計画でしょう」


 長秀が景継を見る。


 その言葉には、以前より重みがあった。


 金ヶ崎。


 あの時、景継は自分の読みを信じすぎた。


 一つの想定が外れれば、すべてが崩れる。


 その怖さを知った。


 だから今は、誰か一人が動くことを前提にはしない。


 人は変わる。


 状況も変わる。


 ならば変わっても崩れない形を作る。


 利家はしばらく黙っていた。


「……面白いですな」


「何がです?」


「勝家様が、お前を見ている理由が」


「見ているだけだ!」


 勝家がすぐに訂正した。


「誰も従うとは言っておらん!」


「分かっていますよ」


 景継が答える。


「勝家様には何度も言われていますから」


「ならその顔をやめろ!」


「どんな顔ですか」


「笑うな!」


 利家がまた笑う。


 しばらくして、彼は景継へ向き直った。


「林道殿」


「はい」


「わしは、今すぐあなたの下には入りません」


「分かりました」


「秀吉様と完全に縁を切るとも、今は言えない」


「それも分かりました」


「ただし」


 利家の声が少し変わった。


「勝家様と争うつもりはない」


 勝家の顔が動く。


「又左」


「少なくとも、今のところは」


「最後の一言は必要か!」


「先のことは分からぬのでしょう?」


 利家が景継を見る。


「林道殿がそう言われた」


 景継が小さく笑った。


「その通りですね」


「それと」


 利家は続けた。


「秀吉様が勝家様を再び攻めるのであれば、黙って見ているとは約束できません」


 勝家は何も言わなかった。


 利家も勝家を見なかった。


 景継は静かに頷く。


「十分です」


「それだけで?」


「はい」


「わしの兵が欲しいとは思わない?」


「欲しいですよ」


「ならば」


「欲しいことと、今すぐ取ることは別です」


 利家が苦笑する。


「欲張りなのか、欲がないのか分かりませんな」


「欲張りですよ」


 景継は地図へ視線を落とした。


「天下が欲しいので」


 利家はその言葉を聞き、しばらく景継を見つめていた。


 やがて静かに笑った。


「では、しばらく見させてもらいましょう」


「何をです?」


「あなたが本当にそこまで行けるのかを」


 景継も笑った。


「どうぞ」


          ◇


 利家が帰った後。


 勝家は景継の部屋へ来ていた。


「景継」


「はい」


「お前、最初からあれでよかったのか」


「何がです?」


「又左だ」


 勝家が座る。


「あやつほどの兵と領地があれば、もっと強く誘ってもよかっただろう」


「そうですね」


「ならばなぜ」


「今、無理にこちらへ寄せたら秀吉様が動きます」


 勝家が黙る。


「前田様がどちらにも完全には入らない。それだけでも秀吉様は前田様を気にし続ける必要があります」


「……」


「それに、前田様自身もまだ決め切っていない」


「だから待つ?」


 景継は少し首を振った。


「半分だけです」


「半分?」


「何もしないで待つわけではありません」


 景継は地図を広げた。


「前田様と勝家様が争わない。それだけで北陸の形は昨日と変わりました」


 勝家が地図を見る。


「次に秀吉様が何かしようとした時、考えなければならない相手が一人増えた」


「又左はまだ敵ではないぞ」


「だから困るんです」


「何?」


「敵なら、敵として考えればいい」


 景継は地図上の前田領を指した。


「いつ動くか分からない相手の方が、兵をどこへ置くか悩みます」


 勝家がゆっくり景継を見る。


「お前……」


「はい?」


「又左を味方にしたかったのではないのか」


「味方ですよ」


「家臣でもなければ、正式な同盟でもないだろう」


「味方になる方法は、それだけではありません」


 景継は答えた。


「勝家様と戦わない。それだけで、今は十分役に立っています」


 勝家はしばらく何も言わなかった。


 やがて腕を組み、大きく息を吐く。


「お前の天下は、分かりにくい」


「私も作りながら考えていますから」


「そこは考えてから天下を取れ!」


「全部考え終わるのを待っていたら、たぶん一生始まりませんよ」


 勝家は何か言い返そうとして、やめた。


「……もうよい」


 立ち上がる。


「帰る」


「お疲れさまでした」


「誰のせいだ!」


 勝家の怒鳴り声が廊下の向こうへ消えていった。


 その後ろ姿を見送っていた弥兵衛が、景継へ声をかけた。


「殿」


「はい」


「一つよろしいですか」


「何です?」


「前田様を、今は動かさない方が役に立つと仰いましたが」


「はい」


「本当に、それだけですか?」


 景継が弥兵衛を見る。


「どういう意味です?」


「殿は先ほど、前田様が動かなくても別の方法を考えると仰いました」


「言いましたね」


「では」


 弥兵衛は地図を見た。


「前田様以外にも、まだ誰かを見ておられるのでは?」


 景継は少し黙った。


 それから、地図の東へ目を向ける。


「……弥兵衛」


「はい」


「北陸だけを見ていたら、天下は取れませんよね」


「それはそうでしょう」


「畿内だけでも」


「はい」


 景継の視線が、さらに東へ動く。


 徳川。


 上杉。


 そして、そのさらに向こう。


 大きな勢力がある。


「そろそろ」


 景継は静かに言った。


「もう少し遠くの人とも、話をしてみようと思います」


 弥兵衛が地図を見る。


「どなたです?」


 景継の指が止まった。


 関東。


 そこに大きな勢力を築く家。


「北条です」


 林道景継が作ろうとしているものは、少しずつ広がり始めていた。


 自分の家臣だけではない。


 同じ旗の下に立たなくてもいい。


 同じ目的を持っていなくてもいい。


 それぞれが自分のために動いた結果、必要な時に同じ方向を向く。


 その形が、やがて何を生み出すことになるのか。


 この時はまだ、誰も知らなかった。

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