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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第七章 覇道布石編

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第百二十二話 待たない選択



 北ノ庄城。


 景継の前に、再び池田恒興が姿を見せた。


 前回ここを訪れた時とは違い、今日の恒興には迷いが見えなかった。部屋へ通されると、勝家や長秀、一益が居並ぶ中を進み、景継の正面へ腰を下ろす。


「決めたぞ」


 挨拶もそこそこに恒興が言った。


 景継は少しだけ目を見開いた。


「もう決めたんですか?」


「もう、とは何だ。お前に会ってから散々考えたわ」


「それは失礼しました。それで、どちらに?」


「ここまで来て秀吉につくと言ったら、お前はどんな顔をするのだろうな」


「残念な顔をすると思います」


「本当にするのか?」


「しますよ。たぶん」


「たぶんをつけるな」


 横で一益が吹き出した。


「相変わらずだな、お前たちは」


「一益様は黙っていてください」


「なぜわしが怒られる」


 恒興は呆れたように息を吐いたが、すぐに景継へ向き直った。


「お前につく」


 今度は、はっきりと言った。


 部屋の空気が変わった。


 景継も笑みを消し、恒興を見る。


「私に?」


「そう言った」


「秀吉様からの話を断って?」


「そうだ」


「本当に?」


「だからそう言っておる!」


「でも、秀吉様の方が条件はいいんですよね?」


 恒興の眉が動いた。


「……何が言いたい」


「確認です。秀吉様なら今の領地を認めてくださる。その上、働き次第では加増もあるかもしれない」


「そうだな」


「私は、そんな約束をしていません」


「知っておる」


「今より領地が増える保証もありませんよ」


「分かっておる」


「それどころか、私が秀吉様に負けたら――」


「やかましい!」


 恒興の怒声が部屋に響いた。


「二度も三度も考えさせるな! せっかく決めてきたというのに、お前が迷わせてどうする!」


「後になって聞いていないと言われたら困るので」


「言わん!」


「ならよかったです」


「……本当にこやつで大丈夫なのか?」


 恒興が勝家を見る。


 勝家は腕を組んだまま答えた。


「わしに聞くな。わしも何度もそう思っておる」


「勝家様まで」


「事実だろうが」


 長秀が小さく笑った。


「それでも皆ここにいる。それが答えではないか」


 恒興は長秀、一益、勝家と順番に見た後、再び景継へ視線を戻した。


「わしも最初は分からなかった」


「何がです?」


「なぜ迷っているのかだ」


 秀吉の示した条件は悪くない。


 むしろ現実だけを見れば、秀吉を選ぶ理由はいくらでもあった。北ノ庄では敗れたとはいえ、秀吉の力が消えたわけではない。兵も領地も人脈もあり、人の心を掴むことにかけて秀吉ほど優れた男はそうはいない。


 一方の景継は、天下を取ると言いながら、恒興に領地も地位も約束しなかった。


「普通に考えれば、秀吉を選ぶ」


「そうですね」


「お前が言うな」


「事実ですから」


「だから余計に分からなくなったのだ。なぜわしは、お前のことが気になるのかとな」


 恒興は腕を組み、しばらく黙ってから続けた。


「それで考えているうちに、一つ気づいた。わしは、お前に信長様の代わりを探していたのかもしれん」


 勝家たちの表情が僅かに変わった。


「上様の?」


「ああ。長く仕えた。ずっと背中を追ってきた。信長様ならどうするのか、何を望んでいるのか。それを考えることが当たり前になっていた」


 だが、その信長はもういない。


 頭では分かっていても、心のどこかではまだ探していたのだろう。


 誰が信長の代わりになるのか。


 誰が信長の天下を引き継ぐのか。


 秀吉なのか。勝家なのか。それとも、信長の血を引く者なのか。


「だから、お前にもそれを求めていた」


「私に上様の代わりは無理ですよ」


「知っておる。考えれば考えるほど、まるで違う」


「そこまで言わなくても」


「信長様なら、お前のように人へいちいち『何をしたい』などとは聞かん」


「そうでしょうね」


「ついてこいと言えばついてこさせる。働けと言えば働かせる。できぬと言えば、できるまでやらせる」


 景継にも想像できた。


 織田信長という男が強烈な力で人を引っ張る人間だったことは、景継自身よく知っている。


「だが、お前は違う。人に考えさせ、選ばせる。そのくせ、自分が天下を取るというところだけは一歩も退かん」


「そこを譲ったら、天下を取れませんから」


「そういうところだ」


 恒興は苦笑した。


「最初は、それが気に入らなかった。頼りなくも見えた。信長様ならもっと強く引っ張っただろうとな」


 しかし、考えているうちに恒興は気づいた。


 もう信長の代わりを探す必要などない。


 そもそも、代わりなどいるはずがないのだ。


「信長様は、もうおられん。ならば、これからを見るしかない」


 景継は黙って恒興を見ていた。


「お前は信長様とは違う。だからこそ、お前を選ぶ」


「……」


「信長様の代わりだからではない。林道景継、お前がどんな天下を作るのか、わしは見てみたくなった」


 しばらく誰も喋らなかった。


 最初に口を開いたのは景継だった。


「期待外れだったらどうします?」


「その時は文句を言う」


「出ていくんじゃなくて?」


「出ていくかどうかは、その時に決める」


「それは困りますね」


「お前が選べと言ったのであろうが!」


「選んだ後まで何をしてもいいとは言ってませんよ」


 恒興が目を丸くした。


「私の下につくと決めてくださった以上、守っていただくものは守っていただきます。約束を破れば罰しますし、戦になれば命令にも従ってもらいます」


「……急に厳しくなったな」


「入るまでは恒興様が選ぶことです。でも、入った後は別です」


「なるほどな」


 恒興は少し笑った後、姿勢を正した。


「ならば、それでよい。池田恒興、これより林道殿の天下取りに、この身を預けよう」


 景継も頭を下げる。


「よろしくお願いします」


 池田恒興が景継を選んだ。


 丹羽長秀、滝川一益に続き、また一人、信長のもとで長く戦ってきた男が景継の側に立った。


 清須会議の頃には五千ほどの兵しか持たなかった景継の周囲に、少しずつ人が集まり始めている。


 だが、人が増えれば、それだけ背負うものも増える。


 景継の頭に浮かんだのは、喜びより先にそのことだった。


「また一人増えたな」


 勝家が腕を組みながら言う。


「そうですね」


「嬉しくないのか?」


「嬉しいですよ。ただ、人が増えれば食べる米も必要ですし、働いてもらう以上は報いるものも必要ですから」


「またその話か」


「大事ですよ」


 恒興が不思議そうに景継を見る。


「天下を取るという話をしていたのではなかったか?」


「していますよ」


「なぜそれが米の話になる」


「人を食わせられない人間が、どうやって天下を治めるんです?」


 恒興は答えず、長秀を見た。


「昔からこうなのか?」


「最近は特にひどい」


「長秀様まで!」


 部屋に笑いが起きた、その時だった。


 廊下の向こうから慌ただしい足音が近づき、一人の家臣が駆け込んできた。


「景継様、近江より急報にございます!」


 その表情を見た瞬間、景継から笑みが消えた。


「何がありました?」


「先日より景継様への協力を申し出ていた国人の領地へ、隣接する勢力が兵を動かしております」


「数は?」


「確認できているだけで千五百ほど。さらに増える可能性がございます」


「こちらは?」


「現地で集められる兵は五百ほどにございます」


 勝家の表情も変わった。


「三倍か」


「はい」


 景継は立ち上がり、部屋の隅に広げてあった地図の前へ移動した。


「場所を教えてください」


「こちらにございます」


 家臣が地図の一点を指す。景継はその場所だけではなく、周辺の道や川、近隣の城まで順番に目を走らせた。


「兵を動かした理由は?」


「林道様に近づくのであれば敵と見なす、と伝えてきたとのことです」


「誰が言ったんです?」


「兵を動かしている国人から直接にございます」


「秀吉様との関係は?」


「以前より羽柴様と使者の往来がございます。北ノ庄の戦い以降、さらに頻繁になっているようです」


 一益も地図を覗き込んだ。


「秀吉の差し金か」


「まだ決めつけない方がいいでしょう」


 景継は首を振った。


「秀吉様が直接命じたのか、その国人が秀吉様につくため自分から動いたのか。それによって意味が違います」


「どちらにせよ、こちらへ兵を向けておることは同じだろう」


 勝家が言った。


「そうですね」


「なら、どうする。お前は待つのが得意なのだろう。向こうが攻めてくるまで待つか?」


「いいえ。今回は待ちません」


 即答した景継に、勝家が少し意外そうな顔をした。


 長秀も地図を見ながら尋ねる。


「珍しいな。お前ならもう少し様子を見ると言うかと思ったが」


「待つのは、待った方が得だからです。何でも待てばいいわけではありません」


 敵はすでに兵を集めている。


 こちらへ協力を申し出た国人を放置すれば、その領地が荒らされる可能性が高い。それ以上に景継が気にしたのは、周囲で成り行きを見守っている者たちだった。


「ここで何もしなかったら、どうなると思います?」


 一益が少し考えてから答える。


「お前に近づいた者が攻められても、助けてもらえないと思われるな」


「はい。それでは、次に私たちと組もうとする人はいなくなります」


 相手には自分で選んでもらう。


 景継はそうしてきた。


 だからこそ、景継を選んだことによって危険に晒された者を、簡単に見捨てるわけにはいかなかった。


「まず、こちらへ協力を申し出ている方に確認します」


「まだ聞くのか?」


 勝家が眉を寄せた。


「聞きます。相手が兵を出してきたことで考えが変わったなら、今のうちに言ってもらった方がいい」


「怖くなったからやめたいと言えば、認めるのか?」


「無理に残して戦の途中で逃げられるよりはいいでしょう」


 景継は家臣へ向き直った。


「使者を出してください。林道家と共に戦う意思があるのか、それとも今回の話をなかったことにしたいのか。本人に確認を」


「はっ」


「ただし、返事は急いでもらってください。相手はもう動いていますから」


 家臣が部屋を出ていった。


 恒興はその様子を眺めながら小さく笑った。


「わしが来た直後にこれか」


「やめます?」


「やめるわけがあるか」


「よかったです」


「お前、本当に確認が多いな」


「後になって揉めるよりいいでしょう?」


「それはそうだが」


 その後も景継たちは情報を集め続けた。


 兵を動かした国人は以前から秀吉側との関係を深めており、北ノ庄で秀吉が敗れてからもその関係を切っていない。むしろ最近になって使者の往来は増えていた。


 ただし、秀吉本人が攻撃を命じたという証拠まではない。


 景継はそこを曖昧なまま決めつけることはしなかった。


 やがて、景継への協力を申し出ていた国人から返答が届いた。


『林道様と共に戦う』


 短い返答だった。


 それを読み終えた景継は、再び地図の前へ立った。


「これで決まりですね」


 一益が尋ねる。


「攻めるのか?」


「はい」


「まだ相手はこちらの城を攻めていないぞ」


「ですが、すでに兵を動かし、私たちと組む者を敵と見なすと宣言しています。それで何もしないなら、先に兵を動かした方が得をするだけです」


 景継は敵方の領地へ続く道を指でなぞった。


「こちらから動きます」


 長秀はしばらく地図を見ていたが、やがて別のことを尋ねた。


「景継。一つ決めておいた方がいい」


「何でしょう」


「勝った後の土地だ」


 景継が長秀を見る。


「相手を降した後、その領地をどうする。織田家へ戻すのか。それとも、元の国人にそのまま治めさせるのか」


 景継は地図へ視線を戻した。


 以前から決めていたことがある。


 勝家や長秀、一益、上杉といった味方から領地を奪うつもりはない。織田家の土地についても、自分から手を出すつもりはなかった。


 だが、自ら敵対する道を選んだ者と戦い、その結果として得た土地まで手放すつもりはない。


「林道家で治めます」


 景継は迷わず答えた。


「本当に取るのだな」


「はい」


「これまでとは意味が違うぞ」


「分かっています」


 人だけでは国は作れない。


 兵を養う米がいる。家臣へ報いるものがいる。武具を作る職人も、物を運ぶ商人も、道も市場も必要になる。


 天下を取ると言うのであれば、いつまでも人の領地と兵を動かしているだけでは足りない。


「私が戦うと決め、私たちが勝って得た土地です。ならば、林道家の領地にします」


 長秀は景継の顔を見てから、静かに頷いた。


 景継はこれまで、自分の周囲へ人を集めてきた。


 今度は、その人々を支える場所を手に入れようとしている。


「ならば兵を出す」


 勝家が言った。


「どれほど必要だ?」


「今回は、勝家様の兵はお借りしません」


「何?」


「この戦は、私たちでやります」


 勝家の顔が険しくなった。


「意地を張っておるのか」


「違いますよ」


「ならなぜだ。使える兵があるのに使わぬのは愚か者だぞ」


「勝家様には、別のことをお願いしたいんです」


 景継は地図の南側を指した。


「私たちが近江へ動いた時、秀吉様まで動く可能性があります」


「……なるほど」


 長秀が先に理解した。


「勝家殿には、秀吉を見てもらうのか」


「はい。相手の国人だけなら私たちで戦います。ただ、途中で秀吉様の本隊まで出てきたら話が変わる。勝家様には、その時に備えていてほしいんです」


 勝家は地図を見ながら唸った。


「わしを秀吉への抑えに使うつもりか」


「お願いします」


「結局、わしも使うではないか」


「勝家様が言ったんですよ。使えるものは使えって」


「都合のいい時だけわしの言葉を使うな!」


「でも、間違ってないですよね?」


「……間違ってはおらん」


 一益が笑い、長秀も呆れたように息を吐いた。


 勝家は不満そうな顔こそしていたが、景継の考え自体には納得したらしい。


「よかろう。秀吉が動けば、こちらもすぐに動けるよう備えておく」


「ありがとうございます」


「ただし、危なくなったら意地を張るな。すぐに知らせろ」


「もちろんです」


「本当だろうな」


「私、そんなに信用ありません?」


「こういう時のお前はない」


「ひどいですね」


 方針が決まると、景継はすぐに出陣準備を命じた。


 兵糧、馬、武具だけではない。進軍路を確認し、周辺の国人へ使者を出し、敵が退いた場合にどこへ逃げるのかまで調べさせる。


 北ノ庄の時とは違う。


 勝家の大軍に加わるわけでも、上杉の援軍を待つわけでもない。


 景継自身が集めた者たちを中心に、自分の判断で始める戦だった。


「わしも行くぞ」


 恒興が声をかけてきた。


 景継が振り返る。


「来たばかりですよ?」


「だから何だ」


「少しくらい休んでもいいと思いますけど」


「いらん」


「家臣の方々への説明もあるでしょう?」


「それはもう始めておる。それに、すべてが整うまで待っていたら戦が終わってしまうだろうが」


 恒興は景継の前まで歩いてきた。


「わしは、お前がどんな天下を作るのか見たいと言った」


「はい」


「ならば最初から見せてもらう。お前を選んだ途端、後ろで留守番では話にならん」


 景継は少し笑った。


「分かりました。では、お願いします」


「任せろ」


 北ノ庄では、勝つために多くの者の力を借りた。


 景継はそれを恥じてはいない。使える力を使わずに負けるくらいなら、借りられるものは何でも借りればいいと思っている。


 だが、いつまでも他者の大軍を頼らなければ戦えないままでは、自分の天下など夢物語で終わる。


 人は集まり始めた。


 ならば次は、その人々が生き、働き、戦い続けられる場所が必要になる。


 景継は地図の上にある、まだ林道家のものではない土地を見つめた。


 相手が自ら敵対する道を選び、すでに兵まで動かした以上、戦いを避けるつもりはない。そして勝った後、その土地を誰かへ差し出すつもりもなかった。


「行きましょう」


 景継は地図から顔を上げ、集まった者たちを見た。


「今度は、私たちの戦です」


 待つべき時には待つ。


 だが、動くべき時まで待っている必要はない。


 林道景継が自らの勢力を率い、自らの領地を手に入れるための最初の戦が、始まろうとしていた。




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