↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第七章 覇道布石編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
120/254

第百二十話 選ぶということ



 尾張。


 池田恒興のもとへ、二通の書状が届いたのは、ほとんど同じ頃だった。


 一通は羽柴秀吉から。


 もう一通は林道景継から。


 恒興は二通を並べ、しばらく黙って眺めていた。


「……面倒なことになったものだ」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 北ノ庄で秀吉が敗れた。


 その知らせだけでも十分に大きかった。


 柴田勝家は生き残った。


 上杉景勝が動いた。


 そして、その中心にいたのが景継。


 さらに丹羽長秀。


 滝川一益。


 かつて信長の下で戦った者たちが、少しずつ景継の周囲へ集まり始めている。


 だからといって。


 秀吉が終わったわけではない。


 北ノ庄で負けた。


 ただそれだけだ。


 兵もいる。


 領地もある。


 人もいる。


 何より、秀吉という男自身が生きている。


 一度の敗戦で膝を折るような男ではないことを、恒興は知っていた。


「殿」


 家臣の一人が声をかける。


「羽柴様の使者がお待ちです」


「分かっておる」


「いかがなさいますか」


「会う」


 恒興は立ち上がった。


「先に羽柴殿からだ」


「はっ」


 家臣が下がる。


 恒興はもう一度、二通の書状を見る。


 秀吉の書状は長かった。


 丁寧に言葉が並べられている。


 織田家。


 三法師。


 信長亡き後の天下。


 これからの秩序。


 恒興の立場。


 領地。


 そして今後。


 対して。


 景継の書状は短い。


『私は、織田家を奪うつもりはありません』


『それでも私は、天下を取ります』


『その上で、一度お話ししたく思います』


「……馬鹿正直にもほどがある」


 恒興は小さく笑った。



 羽柴方の使者との面会は、すぐに始まった。


「羽柴様は、池田様を高く評価しておられます」


「それはありがたいことだ」


「北ノ庄では不覚を取りましたが、羽柴家の力はいまだ健在にございます」


「知っておる」


「ならば話は早いかと」


 使者は頭を下げた。


「池田様には、今後も羽柴様と共に織田家を支えていただきたい」


「織田家を?」


「はい」


「羽柴家ではなく?」


 使者が一瞬止まった。


「無論、羽柴様は織田家のために動いておられます」


「……そうか」


 恒興はそれ以上追及しなかった。


 使者は続ける。


「信長公亡き今、織田家を支える柱が必要です」


「それが秀吉殿だと?」


「羽柴様だけではございません」


 使者は恒興を見る。


「池田様にも、その柱となっていただきたい」


「なるほど」


「三法師様はまだ幼い」


「うむ」


「だからこそ、信長公と縁の深い方々が支えなければなりません」


 恒興の表情が僅かに変わった。


「……縁、か」


「はい」


「わしと信長様との縁を、秀吉殿はよくご存じということだな」


「もちろんにございます」


 恒興は何も言わない。


「それに」


 使者が続ける。


「一つ、池田様にもお考えいただきたいことがございます」


「何だ」


「林道景継様のことです」


 来たか。


 恒興はそう思った。


「景継がどうした」


「林道様は、天下を取ると公言しておられるとか」


「そのようだな」


「それが何を意味するのか」


「……」


「池田様なら、お分かりになるかと」


 恒興は使者を見た。


「言ってみろ」


「信長公が築かれた天下を」


 使者は慎重に言葉を選ぶ。


「林道様は継ぐつもりがないということです」


「本人がそう言っておるからな」


「ならば、林道様が天下を取った時」


 一拍。


「織田家は、どうなるのでしょう」


 部屋が静かになる。


「三法師様は?」


「……」


「信雄様は?」


「……」


「信孝様は?」


 恒興の指が僅かに動いた。


「林道様が織田家を奪わぬと言っていることは承知しております」


「なら問題あるまい」


「今は」


 使者が答えた。


「……今は、か」


「天下に二人の主は立てません」


「それを秀吉殿が言うか」


 恒興の声が低くなる。


 使者が黙った。


「いや」


 恒興が手を上げる。


「お主に言っても仕方がない」


「……」


「続けろ」


「はっ」


 使者は頭を下げた。


「羽柴様は、池田様の領地を安堵するお考えです」


 今度は具体的な話だった。


「今後、功があれば相応の加増も考える、と」


「随分と気前がよいな」


「池田様には、それだけの価値がございます」


「……」


「どうか」


 使者が深く頭を下げる。


「織田家を守るため、羽柴様と共に」


 恒興は答えなかった。



 使者が帰った後。


 恒興は一人、座敷に残った。


「織田家を守るため、か」


 間違ってはいない。


 少なくとも。


 言葉だけを見れば。


 秀吉の言い分には筋がある。


 景継は天下を取ると言った。


 信長の後継者としてではない。


 織田家を継ぐのでもない。


 林道景継として。


 自分の天下を作る。


 ならば。


 その天下で織田家はどうなる。


 考える必要はある。


「殿」


 家臣が再び現れた。


「何だ」


「林道様への返事はいかがいたしましょう」


 恒興は少し考える。


「会う」


「は?」


「景継に伝えろ」


 恒興が立ち上がる。


「話を聞きに行くとな」


「殿自らですか?」


「そうだ」


「危険では」


「わしを斬って何になる」


「しかし」


「それに」


 恒興は景継の短い書状を手に取った。


「これだけしか書いてこぬ男が、何を考えておるのか気になる」


 家臣が困った顔をする。


「それだけでございますか」


「十分だろう」


「……はっ」


「支度せよ」


「いつ出立を?」


「明日だ」


「明日!?」


「遅いか?」


「早すぎます!」


「なら今から行くか」


「明日にいたしましょう!」


 恒興は笑った。



 その頃。


 北ノ庄では。


「来る!?」


 滝川一益の声が響いた。


「はい」


 景継が答える。


「恒興様から返事が来ました」


「何と」


「会う、と」


「それだけか?」


「それだけです」


「秀吉の条件は?」


「知りません」


「調べろ!」


「嫌ですよ」


「なぜだ!」


「知ったら、それより良い条件を出したくなるじゃないですか」


「出せばよいだろう!」


「それをしたくないんです」


 一益が頭を抱えた。


「お前は本当に天下を取る気があるのか!?」


「ありますよ」


「なら人を取れ!」


「物みたいに言わないでください」


「そういう意味ではない!」


 横で勝家が腕を組んでいる。


「景継」


「はい」


「一益の言うことにも一理あるぞ」


「勝家様まで」


「恒興は大きい」


「分かっています」


「信長様との縁も深い。兵も土地もある。そして何より、あやつがどちらにつくかを見ておる者も多い」


「でしょうね」


「ならば」


「でも」


 景継が遮った。


「だからこそ、条件だけで来てもらっても困るんです」


「……」


「恒興様一人だけの話ではありません」


 景継は三人を見る。


「これから私のところには、もっと人が来ると思います」


「随分と自信があるな」


 一益が言う。


「北ノ庄で勝ちましたから」


「自分で言うか」


「事実なので」


 景継は続けた。


「そのたびに、秀吉様より土地を多くやる、地位を高くする、褒美を増やす」


「……」


「そんなことをしていたら、いつか何もなくなります」


 長秀が小さく頷いた。


「それに」


 景継は言う。


「私はまだ、自分の領地すら十分に持っていません」


「それはそうだな」


「持っていないものを約束するのは嫌です」


 一益が呆れた顔をした。


「天下を取ると言っているくせに、妙なところで堅いな」


「天下は取るつもりだから言っているだけです」


「それもまだ持っていないだろう!」


「確かに」


「納得するな!」


 長秀が笑った。


「では景継」


「はい」


「恒興殿に何を話す」


「聞かれたことに答えます」


「それだけか」


「それだけです」


「お前からは何も言わぬのか」


 景継は少し考えた。


「一つだけ」


「何だ」


「恒興様が何をしたいのか」


 長秀が景継を見る。


「それを聞きます」


「またそれか」


「大事なので」


 信孝にも聞いた。


 お市にも選ばせた。


 そして今度は恒興。


 景継は、人が自分の思い通りに動くとは考えなくなっていた。


 だから。


 無理に動かさない。


 何を望んでいるのかを知る。


 その望みと自分の望みが重なるなら、一緒に進めばいい。


 違うなら。


 別れる。


 あるいは。


 敵になる。


「お前」


 一益が景継を見た。


「それで恒興が秀吉を選んだら、本当に戦うのか」


「必要なら」


「信長様の古くからの家臣だぞ」


「私もそうです」


「……」


「だから戦いたくないとは思います」


 景継は正直に答えた。


「でも」


 その声が少しだけ変わる。


「天下を取ると言った以上」


 逃げることはできない。


「誰とも戦わずに済むとは思っていません」


 勝家は何も言わなかった。



 翌々日。


 池田恒興が北ノ庄へ入った。


 景継は城門まで迎えには出なかった。


 勝家が出ろと言ったが。


「ここ勝家様の城ですよ」


 と返した。


 結局、勝家が迎えた。


「久しいな、恒興」


「勝家殿」


 二人が向かい合う。


 恒興は勝家を上から下まで見る。


「生きておったか」


「見れば分かるだろう!」


「北ノ庄が落ちたと聞く覚悟をしておった」


「落ちておらん!」


「だから見れば分かる」


「貴様!」


 恒興が笑った。


「変わらんな」


「お前もな」


 少しだけ。


 昔の空気が戻った。


 信長がいた頃。


 同じ男の下で戦っていた者たち。


 だが。


 もう信長はいない。


「景継は?」


「中だ」


「迎えにも来ぬのか」


「呼んでこようか」


「いや」


 恒興が首を振った。


「それでよい」


「何?」


「わしが話を聞きに来たのだ」


 恒興は城内へ進んだ。



 景継との対面は。


 思っていたより、ずっと静かに始まった。


「お久しぶりです」


 景継が頭を下げる。


「久しいな」


「わざわざありがとうございます」


「お前が来いと書いたのだろう」


「会いませんか、と書きました」


「同じだ」


「そうですか?」


「相変わらず面倒な男だな」


「よく言われます」


「誰にだ」


「最近は勝家様が多いですね」


「やはりか」


「何がやはりだ!」


 同席していた勝家が怒鳴った。


「勝家様」


「何だ!」


「少し静かにしてもらえます?」


「ここはわしの城だぞ!」


 恒興が吹き出した。


「ははは!」


「笑うな恒興!」


 しばらくして。


 場が落ち着いた。


 恒興が景継を見る。


「秀吉殿から使者が来た」


「聞いています」


「条件も出された」


「そうですか」


「聞かぬのか」


「恒興様が話したいなら」


「領地を安堵するそうだ」


「はい」


「功があれば加増もする」


「良い条件ですね」


「……それだけか」


「私には今、それ以上の領地を約束できません」


 恒興が目を細める。


「天下を取る男がか」


「まだ取ってませんから」


「……」


「今持っていないものを、あるように言うつもりはありません」


「秀吉殿に負けるぞ」


「条件では負けるでしょうね」


「なら何でわしを呼んだ」


 景継は少し黙った。


「話したかったからです」


「何を」


「恒興様が何をしたいのか」


「……」


 恒興の表情が変わった。


「秀吉様につくのか、私につくのか」


 景継は首を振った。


「その前に」


「……」


「恒興様自身が、これから何をしたいのか」


 静かだった。


 恒興は景継を見つめる。


「信孝様にも同じことを聞いたそうだな」


「はい」


「何をしたいか、自分で選べと」


「はい」


「随分と簡単に言う」


「難しいから聞いているんです」


 恒興が眉を寄せる。


「どういう意味だ」


「簡単なら、私が決めればいいでしょう」


「……」


「でも、人のことは分からない」


 景継は言った。


「勝家様が本当は何を考えているのかも」


「おい」


「長秀様も」


「……」


「一益様も」


「わしまでか」


「分かりません」


 景継は恒興を見る。


「だから聞きます」


「お前は」


 恒興がゆっくり口を開く。


「それで天下が取れると思っておるのか」


「分かりません」


「またそれか」


「取れると思っているから目指しています」


「だが、人を縛らぬ」


「必要なら縛ります」


 恒興の目が変わる。


「ほう」


「裏切れば罰します。約束を破れば責任を取ってもらいます。戦で命令を聞かなければ困ります」


「……」


「好き勝手にしていいという意味ではありません」


「なら何が違う」


「私のところに来るところまでは」


 景継は答えた。


「自分で決めてほしいんです」


 恒興は黙った。


「来た後は?」


「働いてもらいます」


「厳しいか」


「かなり」


「領地は」


「功があれば増やします」


「どれほど」


「その時持っている範囲で」


「秀吉殿より少ないかもしれんぞ」


「はい」


「わしが欲しいと言っても?」


「ないものは渡せません」


 恒興が景継を見つめる。


 やがて。


「では聞こう」


「はい」


「お前が天下を取ったら」


 恒興の声が低くなった。


「織田家をどうする」


 部屋の空気が変わった。


 勝家も。


 長秀も。


 一益も。


 景継を見る。


 秀吉側が恒興へ投げかけた問い。


 避けることはできない。


 景継は少しも目を逸らさなかった。


「残します」


「……」


「織田家が自ら私の敵にならない限り」


 恒興の目が鋭くなる。


「三法師様は」


「織田家の当主になられるのであれば、それでいいと思っています」


「信雄様は」


「ご自分で決めるでしょう」


「信孝様も?」


「はい」


「お前に従わなくてもか」


「従わないことと、敵であることは違います」


 恒興が黙った。


「天下を取るとは、皆を家臣にすることではないと私は思っています」


「……」


「私に刃を向けず、それぞれの土地を治め、決めたことを守るのであれば」


 景継は続ける。


「織田を織田でなくす必要はありません」


「甘いな」


 恒興が即座に言った。


「そうかもしれません」


「天下に二人の主は立たぬ」


「二人立てるつもりはありません」


「なら結局、織田家はお前の下になる」


「国の決まりには従ってもらうことになるでしょう」


「それを下になると言うのではないか」


「そういう意味なら」


 景継は頷いた。


「そうですね」


 勝家が景継を見る。


 景継は誤魔化さなかった。


「私は織田家を滅ぼすつもりはありません」


 一拍。


「ですが」


 景継の声が静かに響く。


「織田家の下で天下を取るつもりもありません」


 恒興の表情が消えた。


「信長様の天下を継ぐつもりもない?」


「はい」


「信長様に仕えたお前が」


「はい」


「なぜだ」


 景継はすぐには答えなかった。


 信長。


 いや。


 曹操。


 二つの名を持った男。


 この世界で再び出会い。


 そして。


 再び失った。


「上様が」


 景継はゆっくり言った。


「そうしろとは言わなかったからです」


「……」


「天下を取れとも、織田家を守れとも、私に跡を継げとも言わなかった」


 最後に残されたもの。


 あの男が何を思っていたのか。


 景継にもすべては分からない。


「だから」


 景継は恒興を見る。


「私は、自分で決めました」


「……」


「私の天下を取ります」


 恒興は長い間、何も言わなかった。


 やがて立ち上がる。


「帰る」


 一益が動いた。


「恒興!」


「今日はな」


「返事は?」


「まだせん」


 一益が何か言おうとする。


 だが景継が止めた。


「分かりました」


 恒興が景継を見る。


「止めぬのか」


「考えるんでしょう?」


「……ああ」


「なら待ちます」


「また待つのか」


「得意なので」


 恒興が僅かに笑った。


「そうだったな」


 そして部屋を出ようとして。


 足を止めた。


「景継」


「はい」


「一つだけ教えろ」


「何でしょう」


「もし」


 恒興は振り返らなかった。


「わしが秀吉殿を選んだら」


 景継は答えた。


「残念です」


「それだけか」


「戦場で会わないことを願います」


「会ったら?」


 短い沈黙。


「勝ちます」


 恒興の口元が僅かに上がった。


「そうか」


 それだけ言って。


 恒興は部屋を出た。



 城を離れる道中。


 恒興は馬上で黙っていた。


 家臣が尋ねる。


「殿」


「何だ」


「いかがでした」


「何が」


「林道様です」


 恒興は前を見る。


「馬鹿だ」


「……は?」


「秀吉殿なら土地をくれる」


「はい」


「地位もくれる」


「はい」


「景継は何もくれん」


「……」


「持っていないから渡せぬと堂々と言いおった」


 家臣が困惑する。


「では、羽柴様に?」


「まだ決めておらん」


「しかし」


「なあ」


 恒興が突然言った。


「お前なら、どちらにつく」


「私でございますか?」


「そうだ」


「それは……殿が選ばれた方へ」


「そうではない」


 恒興は少し笑った。


「お前自身ならだ」


 家臣は答えられなかった。


 恒興も答えを求めなかった。


 しばらく馬を進める。


 そして。


「似ておらんな」


 小さく呟いた。


「何がでしょう」


「景継だ」


「はあ」


「信長様とは、まるで似ておらん」


 信長なら。


 もっと強く引っ張っただろう。


 来い。


 働け。


 ついてこい。


 できぬなら置いていく。


 あの男はそういう男だった。


 景継は違う。


 考えろ。


 自分で決めろ。


 来るなら一緒にやろう。


 来ないなら仕方がない。


 なのに。


 天下を取るという一点だけは。


 少しも譲らない。


「……だからか」


 恒興が呟く。


「殿?」


「何でもない」


 信長の代わりを探しているわけではない。


 そもそも。


 代わりなどいない。


 信長は死んだ。


 なら。


 これから見るべきなのは。


 信長に似た者ではなく。


 信長がいなくなった後の世を、どう生きようとしている者なのか。


 恒興は空を見上げた。



 その日の夜。


 姫路。


 秀吉のもとへ報告が届いた。


「恒興が景継に会った?」


「はい」


 官兵衛が答える。


「返事は」


「まだ、どちらにも」


 秀吉が舌打ちする。


「景継は何を出した」


「何も」


「何?」


「領地も地位も約束しておりませぬ」


「では何を話した!」


「それが」


 官兵衛は少しだけ苦笑した。


「池田様に、何をしたいのか聞いたようです」


「……またか」


「はい」


「信孝にも同じことをしておったな」


「おそらく」


 秀吉は腕を組む。


「何が狙いじゃ」


「狙いではないのかもしれません」


「そんなわけがあるか」


「林道様は」


 官兵衛は少し考える。


「人が自分の思い通りに動くという前提を、捨てているのではないでしょうか」


「……」


「だから、自分で選ばせる」


「それで裏切られたらどうする」


「その時は、その時なのでしょう」


「馬鹿か、あやつは」


「かもしれません」


 官兵衛は答えた。


 だが。


 その顔は笑っていなかった。


「ただ」


「何じゃ」


「少し厄介です」


「なぜじゃ」


「条件で集めた者なら、より良い条件で奪えます」


 秀吉の表情が変わる。


「恐怖で従わせた者なら、恐怖がなくなれば離れます」


「……」


「ですが」


 官兵衛は静かに続ける。


「自分で選んだと思っている者は」


 一拍。


「簡単には、自分の選択を否定しません」


 秀吉が黙った。


「では恒興は景継につくと?」


「分かりませぬ」


「なら」


「だから」


 官兵衛が秀吉を見る。


「もう一つ、選択肢を増やしましょう」


「誰だ」


 官兵衛の指が地図の上を動く。


 そして。


 止まった。


「織田信雄様」


 秀吉の目が細くなる。


「信雄か」


「池田様だけを見ている間に、林道様の周囲を固められてはなりません」


「……」


「林道様は人に選ばせる」


 官兵衛は静かに言った。


「ならば我らは」


 その指が、信雄の領地を押さえる。


「選ぶ前に、迷わせます」


 北ノ庄で始まった戦いは。


 もう兵だけの戦いではなかった。


 誰につくのか。


 何を守るのか。


 何を望むのか。


 そして。


 誰の作る天下で生きるのか。


 それぞれが選ばなければならない時代が。


 始まろうとしていた。



第百二十話 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。