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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第六章 天下目前編

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第百十一話 五千のうちに


清須会議が終わった。


三法師を織田家の後継とし、有力者たちがそれを支える。


形だけを見れば、織田家は再び一つにまとまったように見えた。


しかし、信長という絶対的な存在を失った今、それぞれの思惑まで一つになったわけではない。


羽柴秀吉は、明智光秀を討った功績を背負っている。


柴田勝家は、織田家筆頭格として長年積み上げてきた力を持っている。


そして林道景継は、そのどちらにも属さず、独自に人を集め始めていた。


清須で交わされた言葉とは裏腹に、三人はすでに別々の道を歩き始めていた。



◇◇◇



清須会議から数日後。


景継は勝家に呼び出されていた。


部屋へ入ると、勝家は挨拶もそこそこに本題へ入った。


「景継」


「はい」


「秀吉を止めるぞ」


あまりにも直接的な言葉に、景継は少しだけ目を丸くした。


「随分とはっきり言いますね」


「回りくどい話は好かん」


「知っています」


「なら話は早い」


勝家は地図を広げた。


「光秀を討ったことで、秀吉の名は一気に上がった。これから奴のもとへ集まる者は増える」


「でしょうね」


「清須ではお前が余計なことをしたおかげで、秀吉一人に力が集まることは避けられた」


景継が勝家を見る。


「余計なことでした?」


「褒めておる」


「そうは聞こえませんでした」


「黙って聞け」


景継は素直に口を閉じた。


勝家は地図の上に指を置く。


「今のうちに秀吉を抑える。お前も兵を出せ」


「協力はします」


「そうか」


勝家が頷きかけたところで、景継が続けた。


「ただし、勝家様の下につくつもりはありません」


勝家の動きが止まった。


「……何?」


「秀吉様がこれ以上大きくなるのは、私も望んでいません。その点では勝家様と同じです」


「ならば同じことだろう」


「違います」


「何が違う」


景継は地図を見る。


「私は勝家様を天下人にするために、秀吉様と争うつもりはありません」


勝家の眉間に皺が寄った。


「お前は、いちいち腹の立つ言い方をするな」


「すみません」


「謝る顔ではない!」


勝家の声が部屋に響いた。


景継は少し笑ってから、改めて勝家を見る。


「ですが、秀吉様一人に力が集まることを防ぐという点では協力できます」


「わしの家臣にはならんが、共に秀吉を抑えると?」


「はい」


「都合のいい話だな」


「勝家様にとっても悪い話ではないでしょう」


勝家は黙った。


腹は立つ。


だが、景継の言う通りでもある。


景継が秀吉につかないだけでも、勝家にとっては大きい。


まして必要な時には協力するという。


「……好きにしろ」


「ありがとうございます」


「ただし、わしを利用できると思うなよ」


景継は少し考えた。


「努力します」


「そこは否定しろ!」


また勝家の声が響いた。



◇◇◇



勝家が景継を引き入れようとしている。


その情報は、当然ながら秀吉のもとにも届いた。


「やはり動いたか」


秀吉は驚かなかった。


清須会議の時点で、勝家が自分を警戒していることは分かっている。


問題は景継だった。


「官兵衛」


「はい」


「景継は勝家につくと思うか」


官兵衛は少し考えた後、首を横に振った。


「おそらく、つかぬでしょう」


「わしもそう思う」


秀吉が笑った。


「ならば、こっちから誘う」


官兵衛が秀吉を見る。


「林道様を?」


「ああ」


「どのような条件を」


秀吉は少し考えた。


「惜しむな」


「よろしいので?」


「あやつがこちらへ来るなら、安いものじゃ」


秀吉はすでに景継を、単なる五千の兵を率いる一武将とは見ていなかった。


清須で見せた発言力。


信長の死後、誰よりも早く織田旧臣へ接触した判断。


何より。


長秀も一益も勝家も、景継の話なら聞く。


その事実が大きかった。


「呼べ」


「承知いたしました」



◇◇◇



数日後。


景継は秀吉と向かい合っていた。


傍らには官兵衛がいる。


「景継」


秀吉は最初から笑っていた。


「はい」


「わしの下へ来い」


景継が瞬きをする。


「随分と直接的ですね」


「勝家にも同じことを言ったじゃろ」


「見ていたんですか?」


「見るか!」


秀吉は笑った。


「だが、あの男なら言うことくらい分かる」


景継も少し笑う。


「それで、私を家臣に?」


「家臣という言い方が嫌なら、わしと共に天下を支えてくれと言ってもよい」


「随分と待遇が変わりましたね」


「お前にはそれだけの価値がある」


秀吉の声から笑いが消えた。


冗談ではない。


本気で景継を欲しがっている。


「領地も増やす」


秀吉は続けた。


「家中での立場も保証する。お前の今の家臣たちも、そのままでよい」


景継は黙って聞いている。


「悪い話ではあるまい」


「悪くありません」


秀吉の顔が明るくなる。


「ならば――」


「お断りします」


秀吉の表情が止まった。


官兵衛は何も言わない。


「……景継」


「はい」


「今、悪くないと言ったな」


「言いました」


「ならば、なぜ断る」


景継は少し考えた。


条件が悪いわけではない。


むしろ破格だろう。


秀吉のもとへ行けば、今より遥かに大きな領地を得られるかもしれない。


織田家中でも重要な地位を与えられる。


それでも。


景継には受けられない。


「秀吉様」


「何じゃ」


「私が欲しいものを、秀吉様はくださらないでしょう」


秀吉の目が細くなった。


「何が欲しい」


景継は答えなかった。


「領地か」


「違います」


「金か」


「違います」


「地位か」


「それも違います」


秀吉の顔から完全に笑みが消えた。


「では、何じゃ」


景継は秀吉を見た。


光秀には話した。


自分が天下を取ると。


だが、今ここで秀吉に宣言する必要はない。


「それは、まだ言えません」


「……そうか」


秀吉はそれ以上聞かなかった。


ただ、その目は景継から離れない。


「ならば仕方ないのう」


「申し訳ありません」


「気が変わったら言え」


「その時は」


景継が頭を下げる。


秀吉は笑って見送った。


景継が部屋から出ていく。


足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなったところで、秀吉の笑みが消えた。


「官兵衛」


「はい」


「断りおったな」


「はい」


「かなり良い条件だったと思うが」


「私もそう思います」


秀吉は腕を組んだ。


「領地でもない。金でもない。地位でもない」


官兵衛は何も言わない。


「では、あやつは何が欲しい」


秀吉の問いに、官兵衛はすぐには答えなかった。


清須会議で景継が言った言葉を思い出している。


織田家を継ぐつもりはない。


秀吉の下にもつかない。


勝家の下にもつかない。


それならば、答えは限られてくる。


「殿」


「何じゃ」


「林道様を味方へ引き入れることだけを考えるのは、もうやめた方がよろしいかと」


秀吉の目が官兵衛へ向いた。


「何?」


「こちらへ来ないのであれば、別の方法を考えるべきです」


「別の方法?」


官兵衛が地図を広げる。


「林道様の力は、兵だけではございません」


丹羽長秀。


滝川一益。


柴田勝家。


各地の国人たち。


景継がこれまで関係を築いてきた者たちの名が並んでいる。


「このつながりを切ります」


秀吉が地図を見る。


「景継を孤立させるのか」


「はい」


官兵衛は頷いた。


「林道様の兵は五千。周囲とのつながりを失えば、それ以上の力を持つことは難しくなります」


秀吉の口元に笑みが戻った。


「なるほど」


「清須までの動きでは、林道様に先を越されました」


官兵衛の指が地図を動く。


「ならば今度は、我らが先に動きます」


秀吉は大きく頷いた。


「やれ」


「はっ」


景継が先に声をかけた者たちへ。


今度は秀吉からの使者が走り始めた。



◇◇◇



それから間もなく。


景継のもとへ、次々と報告が届き始めた。


「若様。羽柴様の使者が各地へ向かっております」


弥兵衛が書状を差し出す。


景継は受け取って目を通した。


「誰に?」


「我らが先に接触した国人たちです。すでに羽柴様と話を始めた者もおります」


「そうか」


「さらに、丹羽様のもとにも使者が入ったとのことです」


景継は地図を見る。


動きが早い。


しかも狙いが明確だった。


自分が作ったつながりを、一つずつ切ろうとしている。


「やっぱり官兵衛殿かな」


「分かるのですか」


「秀吉様自身かもしれないけどね」


景継は少し笑った。


「どちらでも同じだよ」


「笑っている場合ですか」


「笑ってないよ」


「笑っております」


景継は口元を押さえた。


「少しだけね」


「なぜです」


「面白くなってきたから」


弥兵衛が呆れた顔をする。


「若様……」


「清須までは、こっちが先に動いた」


景継は地図上の駒を一つ動かす。


「だから向こうも学んだんだ」


「我らの動きを?」


「ああ。今度は秀吉様たちが先に動いている」


景継の目が鋭くなる。


「それでいい」


「いいのですか?」


「私だけが相手の考えを読めると思ったら、その時点で負ける」


弥兵衛は黙って景継を見る。


「秀吉様も官兵衛殿も優秀だ。こちらが一度やったことを、二度も黙って見ていてはくれない」


景継は地図を見つめた。


「なら、私も次を考える」


「次?」


「ああ」


景継はまだ動かない。


秀吉が何をする。


勝家が何をする。


そして自分が、どこへ手を伸ばすべきか。


今度は相手も景継を見ている。


以前のように、誰にも気づかれず動くことはできない。


それでも。


景継は焦っていなかった。



◇◇◇



秀吉のもとにも、切り崩しの状況が報告されていた。


「悪くないのう」


秀吉が満足そうに言う。


景継と話をしていた国人の中にも、秀吉側へ傾き始めた者がいる。


当然だった。


山崎で光秀を破った男。


今の秀吉には、それだけの勢いがある。


「これで景継の動きも鈍るか」


秀吉が尋ねる。


官兵衛は地図を見たまま答えなかった。


「官兵衛?」


「殿」


「何じゃ」


「柴田様より先に、警戒すべき男がおります」


秀吉の表情が変わる。


「景継か」


「はい」


「だが、まだ五千じゃぞ」


秀吉の言葉は間違っていない。


景継直属の兵は、今も五千ほど。


勝家と比べれば小さい。


秀吉と比べても小さい。


普通ならば、天下を争う規模ではない。


「だからです」


官兵衛の言葉に、秀吉が眉をひそめた。


「どういう意味じゃ」


官兵衛は地図から顔を上げた。


「五千の兵しか持たぬ男が、清須であれだけの発言力を持ったのです」


秀吉が黙る。


「丹羽様が話を聞く。滝川様も話を聞く。柴田様でさえ、林道様との協力を拒まなかった」


「……」


「兵五千だから恐ろしくないのではございません」


官兵衛の指が、地図上の景継の領地を押さえる。


「兵五千で、ここまで来た男なのです」


秀吉の表情から笑みが消えた。


官兵衛は続ける。


「もし一万になれば」


秀吉は黙って聞いている。


「二万になれば」


部屋が静かになる。


「その時になってから止めようとしても、遅いかもしれませぬ」


秀吉が景継の領地を見る。


ほんの少し前まで。


景継は信長の下にいる若い武将の一人だった。


それが今では。


勝家と話し。


長秀と話し。


一益と話し。


秀吉からの誘いまで断った。


「官兵衛」


「はい」


「お前ならどうする」


官兵衛は迷わなかった。


「五千のうちに止めます」


秀吉の目が細くなる。


「殺すのか」


「それが最善とは限りませぬ」


「では?」


「孤立させる。領地を増やさせない。兵を増やさせない。そして、林道様が次に何を狙うのかを見逃さない」


官兵衛は静かに言った。


「二度と、我らが別の場所を見ている間に動かせてはなりません」


秀吉はしばらく地図を見つめた。


やがて。


「分かった」


短く答える。


「景継から目を離すな」


「はっ」


秀吉は景継の領地に置かれた駒を見た。


五千。


まだ五千だ。


だが、その数字を小さいとは思えなくなっていた。


林道景継。


信長の死によって。


秀吉と勝家が互いを警戒し始めた陰で。


第三の男が、天下を争う盤上へ上がろうとしていた。


そして秀吉と官兵衛は。


ついにその男を、明確な敵として見始めていた。

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