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『乱世にて、我は待つ』~知略を秘めた軍師は、やがて天下を動かす~  作者: ダイヤマ
第六章 天下目前編

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第百一話 正しさの先


毛利が臣従してからというもの、織田へ従うことを申し出る者は明らかに増えていた。


戦わずして使者を送り、人質を差し出す。


領地の安堵を願い、信長の命に従うことを誓う。


それでも、すべてが素直に進んでいるわけではない。


従う意思は見せながら、自分たちに有利な条件を引き出そうとする者もいた。


その日も、一通の書状を前に信長と景継が向かい合っていた。


信長は各地から届いた報告に目を通した後、地図を見ながら言った。


「一年もいらぬな」


景継が顔を上げる。


「何がです?」


「天下だ」


「一年で?」


「長いか」


「普通は短いと思います」


「ならばよい」


信長は当然のように言った。


景継は地図へ目を落とした。


確かに、少し前までとは状況が違う。


織田に敵対する大きな勢力は減った。


残る者たちも、織田と正面から戦うのか、それとも従うのかを選ばなければならなくなっている。


「急ぎます?」


「無駄に待つつもりはない」


「攻めなくていいところまで攻めるのは反対ですよ」


信長が景継を見る。


「従うなら残す」


「なら問題ありません」


景継はあっさり頷いた。


「ただし」


信長が続ける。


「従う側が好き勝手に条件を出すことまで認めるつもりはない」


「条件?」


信長が一通の書状を景継の前へ投げた。


景継が開く。


近江に領地を持つ高瀬家からのものだった。


高瀬家は大きな勢力ではない。


だが周辺にいくつかの村を抱え、長くその地を治めてきた国人である。


書状には織田への臣従を受け入れる意思が記されていた。


ただし。


現在持つ領地。


徴税に関する権利。


周辺の村々に対して持つ従来の権限。


それらをすべて今まで通り認めること。


それが条件として添えられていた。


景継は最後まで読む。


「なるほど」


「どう思う」


「交渉してもいいんじゃないですか?」


「何を認める」


「全部じゃないですよ」


景継は書状を置く。


「領地の一部くらいはそのままでもいいでしょう。今までの権利を全部残す必要はありませんけど」


そこへ光秀が入ってきた。


高瀬家との交渉について意見を求めるため、信長が呼んでいたのである。


光秀も書状に目を通した。


「私は、ある程度認めてもよいかと」


信長が光秀を見る。


「理由は」


「高瀬家は臣従そのものを拒んでいるわけではございません。多少譲ることで戦を避けられるのであれば、その方が得るものは大きいかと」


「逆だ」


「逆?」


「従うという者が、なぜわしに条件を出す」


光秀が少し黙る。


信長は続けた。


「一人に認めれば次も出る。その次もだ。従う代わりにこれを認めろ、あれを残せとな」


「ですが、すべてを拒めば戦になる可能性もございます」


「戦いたいというなら戦えばよい」


光秀は信長を見る。


信長の言葉に怒りはない。


ただ、自分の考えを述べているだけだった。


景継が二人の間に口を挟む。


「なら、一度こちらから条件を出したらどうです?」


「こちらから?」


「はい」


景継が高瀬家の書状を指す。


「領地の一部は認める。ただし、今まで持っていた権利を全部残すことは認めない」


光秀が景継を見る。


「高瀬が拒めば?」


「その時は向こうが戦うことを選んだということでしょう」


信長は少し考えた。


「よい」


「では、その条件で使者を?」


「ああ」


景継は頷いた。


これなら戦を避けられる可能性もある。


そう考えていた。


だが。


数日後。


高瀬家から返ってきた答えは、拒否だった。


◇◇◇


高瀬家は従来の権利を手放そうとはしなかった。


織田に従うことは受け入れる。


しかし、それはあくまで今までの立場を維持したままでの臣従。


信長が求める形とは違った。


再び使者が送られたが、結果は同じだった。


そして最後には、高瀬家が周辺の者たちを集め始めたとの報告が届いた。


信長の判断は早かった。


兵を出す。


大軍ではない。


その必要すらなかった。


今の織田家と高瀬家では、最初から力の差が大きすぎた。


高瀬側もそれは理解していたはずだった。


それでも、長く守ってきたものを自ら手放すことはできなかった。


戦は数日で終わった。


高瀬家は敗れ、当主は降伏。


城は織田側へ引き渡された。


周辺で高瀬家と同じように条件付きの臣従を考えていた者たちは、その結果を見た。


そして。


態度を変えた。


一つ。


また一つ。


新たな臣従の申し出が届く。


今度は条件をつける者も少なかった。


結果だけを見れば。


信長の判断は成功していた。


◇◇◇


戦が終わった後。


景継と光秀は高瀬家の領地を訪れていた。


戦後の処理を行うためである。


城は残っている。


村もすべてが焼けたわけではない。


短い戦だった。


それでも、何もなかったわけではない。


道の脇には焼けた家があった。


修理を始めている者もいる。


兵が通ったことで畑を荒らされた農民もいた。


そして当然。


戦った者の中には帰ってこなかった者もいる。


光秀はしばらく村を見ていた。


隣を歩く景継に尋ねる。


「景継」


「はい」


「今回の上様の判断を、どう見る」


景継はすぐに答えた。


「正しかったと思います」


光秀が景継を見る。


「迷わぬのか」


「迷いますよ」


「ならば、なぜ正しいと言える」


景継は足を止めた。


少し離れた場所で、壊れた家を直している男たちがいる。


「高瀬の条件を認めれば、戦わずに済んだかもしれません」


「そうだ」


「でも、それで終わった保証もありません」


光秀は黙って聞く。


「高瀬に認めれば、次の者も同じ条件を求めたかもしれない。その次もです」


「それでも戦よりはよいという考えもある」


「あります」


景継は否定しなかった。


「逆もあります」


「逆?」


「条件を認め続けた結果、上様の命令を聞かない者ばかりになったかもしれない。後でもっと大きな争いになったかもしれません」


光秀の表情が少し変わった。


「起こらなかったことは分かりません」


景継は静かに続ける。


「だから私は、起きたことと、今ある状況から判断します」


「その結果が、これでもか」


光秀が村へ視線を向ける。


「はい」


景継も同じ方向を見る。


「これも含めてです」


光秀はしばらく何も言わなかった。


やがて、小さく息を吐く。


「お前は時々、恐ろしいほど割り切るな」


「割り切れてませんよ」


「そうは見えぬが」


「割り切れないから考えるんです」


光秀が景継を見る。


「今回死んだ者を生き返らせることはできません」


景継は歩き始める。


「なら、次に同じことを起こさない方法を考えるしかないでしょう」


光秀もその後を追った。


「お前らしい答えだな」


「褒めてます?」


「半分はな」


景継が光秀を見る。


「最近それ、流行ってるんですか?」


「何がだ」


「上様も同じこと言いましたよ」


光秀が笑った。


「ならば、残り半分は自分で考えろ」


「先生まで上様に似てきましたね」


「それは困るな」


二人はそんな話をしながら、城へ向かった。


◇◇◇


高瀬家が治めていた土地を調べ始めると、別の問題が見えてきた。


税の取り方。


村ごとの負担。


商人から取る銭。


道を通る際に求められるもの。


高瀬家が長くこの土地を治める中で作られた決まりが、いくつも残っている。


信長は報告を受けると、景継と光秀を呼んだ。


「面倒だな」


景継が資料を読みながら呟いた。


「村ごとに違いますね」


「だから変える」


信長が言った。


光秀が顔を上げる。


「すべてを、でございますか?」


「すべてとは言っておらん」


「残しても害のないものもございます」


「今はな」


光秀は信長を見る。


「では、なぜ変える必要が?」


信長は地図を広げた。


高瀬家の領地だけではない。


その周囲。


さらに近江。


畿内。


その先まで記されている。


「一つの国にするからだ」


「一つの国……」


「土地が変わるたびに決まりまで変わる。道を一つ越えただけで商人が別の銭を取られる。それで人や物が自由に動けるか」


光秀は地図を見る。


信長の言いたいことは分かる。


「すべてを同じにする必要もございますまい」


「だから、すべてとは言っておらん」


信長は光秀を見る。


「揃えるべきものは揃える。残した方がよいものは残す」


「ならば、まず何を揃えるのかを決めるべきかと」


「それを考えるのがお前たちの仕事だ」


景継が嫌な顔をした。


「やっぱりそうなります?」


信長が景継を見る。


「何だ」


「話を聞いてて、そうなる気がしてました」


「ならば話が早い」


「全然嬉しくないです」


光秀が小さく笑う。


信長は構わず景継へ尋ねた。


「お前ならどうする」


景継は資料を見た。


すぐには答えない。


税。


土地。


商い。


道。


今まで戦場で扱ってきたものとは違う。


だが、人を動かすという意味では同じだった。


「一度に全部は変えません」


「またそれか」


「失敗したら困るでしょう」


「では、どうする」


「まず一つです」


景継は高瀬領の中から、一つの地域を指した。


「ここで試します」


光秀が地図を覗き込む。


「試す?」


「はい。例えば商人から取る銭を周囲と揃える。人と物が増えるのか、減るのかを見る」


「上手くいけば?」


「他でもやります」


信長が尋ねる。


「失敗すれば?」


「戻します」


「簡単に言うな」


「天下全部でいきなりやって失敗するよりいいでしょう?」


信長は黙った。


光秀が景継の指した場所を見る。


「悪くはないかもしれぬな」


「先生もそう思います?」


「ああ。残すべきものと変えるべきものを見極める材料にもなる」


景継が信長を見る。


「二対一ですよ」


「多数決で天下を治めるつもりはない」


「ですよね」


景継は予想していたように答えた。


だが信長は地図を見ながら、しばらく考えていた。


やがて。


「やれ」


景継が顔を上げる。


「いいんです?」


「お前が言い出したのだろう」


「そうですけど」


「高瀬で試せ」


景継は頷こうとして。


止まった。


「誰がやるんです?」


信長が景継を見る。


「お前だ」


「やっぱり」


「何がだ」


「絶対そう言うと思いました」


「ならば聞くな」


景継は隣の光秀を見る。


「先生」


「何だ」


「手伝ってください」


「なぜ私が」


「先生も賛成したでしょう」


「案に賛成しただけだ」


「それなら一緒にやりましょうよ」


光秀は景継から視線を逸らした。


「先生?」


「忙しい」


「私も忙しいですよ」


信長が二人を見る。


そして、わずかに笑った。


「二人でやれ」


光秀が信長を見る。


「上様」


「決まりだ」


景継は大きく息を吐いた。


「結局こうなるんですね」


「諦めろ」


光秀も仕方なさそうに地図を見る。


「では、まず今の税と人の流れを調べるぞ」


景継が光秀を見る。


「先生、切り替えるの早くないですか?」


「やると決まったなら早い方がよい」


「そういうところは上様と似てますよね」


「景継」


「はい」


「お前一人でやるか?」


「すみません。一緒にお願いします」


信長が笑った。


景継と光秀は地図を挟み、どこから手をつけるか話し始める。


天下を取るための戦は、少しずつ終わりへ向かっている。


その一方で。


天下を治めるための仕事は、すでに始まっていた。

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