8.夏のお迎え(1)
「ふふん、ふふふふ」
「ミオ、マオ先生がなんかおかしい」
「好きにさせてあげて……年に二回のことだから」
今日から五日間、父の堅吾が戻ってくる。麻緒はご機嫌で料理の支度を続けていた。
「お母さん、わたしはしばらくリビングで寝るね。布団出しておく」
「ありがとう、そうしてくれると助かるわ。ふふふ~ん」
調子っぱずれの鼻歌が、キッチンに響き渡っていた。
「お帰り~」
「ただいま母さん、水緒~」
人目を憚らず両手を広げて抱き合う両親を、なんとなく気まずい表情で見つめる。親のこういうシーンはどうも見慣れない。目のやり場に困るといったところだろうか。
「父さん、お土産張り切って選んできたよ。ほら、見てごらん」
麻緒へのプレゼントは翡翠のブローチだった。若葉の形にカットされた大小の石が、絶妙な配置で並んでいる。
「新潟の、糸魚川産の翡翠だ。日本では最高級の品だよ」
水緒は同じく翡翠のキーホルダーを受け取った。麻緒のブローチとお揃いのデザインだが、ひとまわり小さい。
「あとこれ、大きさバラバラだけど使えるだろうと思って」
「ありがと、お父さん。こんなに沢山」
大小入り混じった翡翠のビーズの袋を受け取った。手芸部で使う予定のものである。水緒はありがたく頂戴した。
「ささ、ご飯ご飯! 今日は素麺と、お父さんの好きなゴーヤチャンプルーととうもろこし」
食卓を整え、料理を次々に並べていった。
「そういえば素麺って、メキシコで食べたことある? すごく細い麵なんだけど」
「メキシコでは……麺はほとんど食べないな。トルティーヤの独り勝ち状態だ。あっても〈フィデオ〉くらいだ、トマトベースと鳥の出汁のパスタ」
「そう思ってめんつゆの他に、トマトソースのつけ汁も作ったわ。辛いのが好きな人はタバスコかけてもいいわよ」
「わ~い、俺そうする」
辛い物好きのヨァルが嬉々としてつけ汁にタバスコを混ぜていた。二人は箸の代わりにフォークで素麺をすくい上げる。まだまだ箸には慣れていない様子だった。
水緒は最近ようやっと食べれるようになった、ゴーヤチャンプルーに手を伸ばす。麻緒が薄切りにして塩もみし、冷水にさらしたゴーヤはほんのりとした苦味が残っていた。
「だいぶ苦味が抑えられてるね」
「そりゃもう、お母さん頑張ったもの」
「どれどれ……うん、苦い! 初めて食べる味だ」
「メキシコではゴーヤという野菜は、まず見かけないからな。珍しい味だ」
「ほう、そうなのか。沖縄が産地だからメキシコにもありそうだと思ったんだが……興味深いな」
堅吾は微笑みながら、ビールを片手にじっくりと料理を味わっていた。
「このトウモロコシ、甘い! 甘すぎる。これが日本の味か……」
相変わらずヨァルが騒がしい。出てくる料理に次々と感想を述べていった。
頃合いを見て、麻緒は冷蔵庫を占拠していたスイカを取り出し豪快に切り分ける。普段は大きすぎて食べきれず、買う手を止めがちになる食材だったが。せっかくの機会だからと奮発した結果だった。
「水緒、塩を取ってくれないかな」
父は昔から、スイカに塩をふりかけて食べるのが癖だった。母も水緒もそのまま食べる派だが、塩をかけると甘味が引き立つというのが彼の言い分だった。
「……あ、俺も塩が欲しいです」
「俺はチリパウダーで」
メキシコ流はスイカの食べ方ひとつとっても違った。文化の違いをここでも実感する。
軒先に吊るした風鈴が、暑さをいくぶん和らげているかのようだった。
「ところでケンゴさん、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
夕食も終わりかけたところで、シウが堅吾に声をかけた。慎重に言葉を選んでいる様子だった。
「ミオから聞きました。貴方はいろいろな石を集めているそうですね」
「うん、天然石の収集が私の趣味なんだ。君も石に興味があるのかい? だったら、ぜひ私のコレクションを見ていってほしいな……」
水緒は内心ハラハラしながら事のなりゆきを見守った。堅吾は石のこととなると、喋り出したら止まらない。どう話を持っていくか、シウの出方を伺った。
「ええ、特に黒耀石に興味があるんです。もしかして持っていませんか? 書斎に石を飾られていると、聞いたもので」
「ああ、いいのがあるよ。見に行こうか、こっちへおいで」
堅吾の書斎は水緒がしばらく使っていたため、高校の教科書や参考書が机に積まれていた。彼は飾り棚を一望し、ひとつのオブジェをゆっくりと持ち上げ、ローテーブルの中央に置く。
「え……これって、黒耀石なの?」
水緒が驚いた理由は、その石が黒くなかったからだ。目の前にあるそれはグレーの巨大な石である。
「日本の黒耀石はね、どちらかというと灰色っぽいものが多いよ。これは大分の姫島産だ」
「ふぅん……」
濃い灰色の石を見つめていると、不思議な感覚に陥った。なんだかシウの髪と目みたいだと、水緒はぼんやり思えたものだ。
「凄いや……ここまで大きいのは、なかなかお目にかかれないっすよね」
ヨァルも茫然と石を見つめている。シウもその存在感に圧倒されているようだった。
「ちなみに……ケンゴさん、売るとしたら幾ら値をつけますか?」
シウが切り出した。抑えた声に彼の本音がありありと滲み出ている。彼らの”武器”として確保したい、そういう魂胆だ。
「うーん、買った時は――万だったから、それ以上ってとこかな……ただねぇ、なんかこれに愛着があってね。特にこの形、石でできた翼みたいじゃないか。観賞用として、見ていて飽きない良さがある」
「……そうですね」
「今のところは、手放したくないかな。まぁ、生活に困ったらその時に考えるね」
「そうですか……見せていただいて、ありがとうございます」
書斎を出た後も、シウは考え込むように俯いていた。
「有名な黒耀石といえば、メッカのカーバ神殿にある黒石もそうだね。あれも割れてしまったというのにセメントで繋いで、今もイスラム教徒の信仰対象だ。人間の思い入れっていうのは凄いものだよ」
堅吾の蘊蓄に耳を傾けながら、全員でリビングまで戻った。ひとり残っていた麻緒がテーブルを拭き終わったところだった。




