5.雨の日は傘を持って
梅雨特有のじめじめとした空気が、肌にまとわりつく。水緒は軽く首を振り、憂鬱な気配を払いのけた。
濡れた駅構内の路面を注意深く踏みしめながら、灰色の人影までたどり着く。
「お迎えありがとう、シウ」
「ああ」
返される言葉も態度も素っ気ない。出会い頭にハグを迫ってくるヨァルとは大違いだ。
――日本人は親しい関係でも、あまり身体を触らないのが礼儀だと聞いた。無理はしないでくれ。
そのまま、彼との距離は開いたままだ。今日は傘の分、またいつもよりも遠い。
「……日本の雨は長いな」
「メキシコとは、どう違うの?」
「メキシコのスコールは、短くて強い」
穏やかで低い声が、ぽつりぽつりと雨のように響く。
「傘をさす暇がない。濡れてもすぐ服が乾くから、みな気にしない」
「ふぅん……」
「傘が必要だと思ったのは、日本に来てからだ……」
濡れないように、守りたいものが増えたから。ミリタリージャケットの背中がそう語っていた。
「いいか、ミオ」
こちらではなく道の先を見据えて、彼は言葉を残す。
「迷ったら、まず胸を守るんだ。ツィツィミメが最後に狙うのが心臓だ。腕やカバンを盾にして、少しでも時間を稼げ」
「……はい」
「腕や足の怪我なら、後で手当てできる。だが心臓に深い傷を負ったら、処置が間に合わないかもしれない」
「処置……ですか」
「逃げられないと思っても、諦めるな。少しでも時間があれば、俺が絶対に助けるから」
シウの言葉はひとつずつ、胸に刺さるような思いが込められていた。思わず胸のあたりに、ぎゅっと拳をつくって聞き入った。
「こんな生活が……いつまで続くんだろう」
しばしの間、無言が続く。
「……世界中で起きることだ。今は偶然、日本に事件が集中している」
「何か、きっかけがあるんですか?」
「月食だ。ツィツィミメが襲来する合図……それであの夜以降、夜に人が襲われる事件が増えた。俺たちで何とか仕留めているから、次第に被害は少なくなっていくだろう……だが、たぶん完全には無くならならない」
「そっか……それで何十年に一度か、また同じようなことが起こるんですね。キリがないなぁ」
「ああ。だが今が、いちばん気をつけなくてはいけない時期なのは確かだ。充分に慎重になってくれ」
「……それとだな、あまり嬉しくない知らせがある」
「何?」
「来年の一月には、皆既日食が観測できるらしい」
「……それって」
「部分月食とは、比べものにならない被害が予想できる。そのための備えが必要なんだ」
思わず、水緒は空を見上げる。陽が差すはずのそこは、厚い雲で覆われていた。




