20.日を喰らうもの(3)
『――店長。チェスはどうして、女王が最強なんだろうな』
チェスをやったことがある者なら誰もが思う疑問に、ホセはこう答えるようにしている。
『起源はインドだったか、エジプトだったか? そこは詳しく覚えていねえんだがな。昔は”宰相”――最も有能な臣下――を表す駒だったらしい。それが女王の権力の強いイギリスに持ち込まれた時に、女王の機嫌をとるために名前を変えられた……と、いうのが通説になっている』
素直に聞き入る若い戦士らに、ホセは言葉を続けたものだった。
『その時、女王が同じ質問をしたらしい。聞かれた奴はこう答えた。「女王様、女王の駒は国と国王を愛する心を表します。ですから最も強い駒なのです」とよ。最高の機嫌取りだったわけだな』
気軽に答えていたホセだったが、今この戦いの場において、彼は痛感した。
女神に愛された者の力が、ここまで違うものなのかと。シウからのワニ型の撃墜報告を聞くたびに、思わず戦慄し身が震えるのだった。
*
めぼしいワニ型の黒い塊が見えなくなり、シウは今来た道を引き返すようにしながら移動する。
次に厄介な相手、鳥型に狙いを定めた。群れをなすことが多い奴らは、やはり目立つのだ。いちばん密集しているところに殴り込み、黒耀石の力で作った”網”を展開する。格子模様の光が張りめぐらされると、ギャウッという呻き声とともに、大量の鳥型が塵と化した。ある程度数が減ったところでまた戦線を離脱する。
『後を頼む!』
完全に撃墜を確認しないうちにその場を去るのは、どこか後ろ髪を引かれる思いがした。だがしかし、そこは味方を信じて託すしかない。思いを振り切って前へと進んだ。
*
――来たのね、わたし。
女神はゆらりと髪を揺らすと、水緒のほうを仰ぎ見た。翡翠色の瞳から、涙があふれそうになっている。
「そう……会いに来たの、あなたに」
――放っておいて。わたしはもう、誰も愛するつもりはない。
「何故なの? あなたがそう思うようになった、原因が知りたい」
――駄目。知ったら、あなたもわたしと同じようになる。
「でも……!」
水緒は言葉に詰まる。女神の気持ちが固いのは、充分に伝わっていた。
「でも……わたし、好きな人がいるの。その人のためになることがしたい」
――これでも……そう思える?
女神は両手を広げ、周囲に泡を立ち昇らせた。泡の表面にいくつもの映像を浮かび上がらせては、消えていく。
女神が愛した人。戦いで死ぬ。嘆く女神に周囲は『次の者を』と急き立てる。
年老い、戦う力の衰えた男。『相応しくない』との声が次々と上がり、生贄の祭壇に上らされる。
『あいつは気に入らない』『自分こそが』背後で聞こえる声。戦いの最中、背後から味方に切りつけられる。
痛々しいまでに伝わってきた、どれもみな、彼女の愛した人たちだったのだろう。
――だからわたしは、遠くへ逃げた。何もかも忘れて眠りたかったの。
「そう……でも今、数十年に一度の危機が迫っているの。この一大事に何もしないなんて、わたしにはできない」
「聞いて。今のメキシコでは、ほとんどの生贄の儀式が執り行われなくなっている。いちばん大がかりな死者の日ですら、もう、生贄を必要としていない」
「それに……わたしはもう、不老不死の女神じゃない。愛する人と共に生きて、同じ頃に死ぬ。それを選択したのはあなたのはずよ」
「今まで充分、休ませてくれたのよね。わたしが壊れないように。……ありがとう。だからわたしは、立ち向かえる」
「――もう、辛いことに怯えなくていい。わたしたちがそうさせない。約束する」
*
およそ一時間半。太陽は大きく欠けていた。周囲が段々と暗くなっていく。
月の丸い影と完全に重なった。夜とも違う不自然な暗い空に、黒い太陽から立ちのぼるコロナだけが、はっきりと光って見える。
『――来たぞ。真打の登場だ』
黒い太陽の中央から、何かが下りてくる。黒い巨大な人影。よく見ると、それは黒い衣を纏った骸骨だった。シルエットが何故か女性を思わせる。背には巨大な蝶の翅が羽ばたいていた。
ツィツィミメの首魁、イツパパロトル。降臨の時だった。




