第30話「KICHIJOJI COFFEEのこれから」
王都に根付いたコーヒーの香り
王都ルーンハイトの朝は、以前とは違っていた。
かつては焼きたてのパンやスープの香りが漂うだけだった街に、今はコーヒーの香りが溶け込んでいる。
貴族の屋敷では、朝の食卓にコーヒーが並び、商人たちは取引の合間にカップを傾ける。
旅人たちは新たな文化として興味を持ち、酒場ではカクテルコーヒーが流行の兆しを見せていた。
その中心にあるのが、KICHIJOJI COFFEEだった。
***
いつもと変わらない朝
「おはよう、陽翔」
カウンターの奥で豆を挽いていた陽翔は、穏やかな声に顔を上げた。
「おはよう、エレイン」
「今日もいい香りだな」
エレインはカウンターの端に腰掛け、ゆっくりと店内を見渡した。
「この店も、すっかり街の一部になったな。そういえば、冒険者ギルドでも、この店のコーヒーを依頼者に届ける依頼が出てるらしい」
「そうらしいね。まだ供給が追いついてないから」
陽翔も微笑みながら頷く。
「最初はただの異国の飲み物だったけど、今では当たり前のものになりつつある」
エレインはコーヒーカップを指先でなぞりながら、ふと視線を上げた。
「……お前は、これからもここでコーヒーを淹れ続けるのか?」
陽翔は少し驚いたようにエレインを見つめた。
「どうしたんだ、急に?」
「いや……」
エレインは少し照れたように目をそらした。
「ただ、ここまで来たんだ。お前がどう思っているのか、聞きたくなっただけさ」
陽翔は少しだけ考え、そして笑った。
「俺は、ここに残るよ」
「……そうか」
エレインの表情が和らぐ。
「俺にとって、この店はただの喫茶店じゃない。
ここで淹れるコーヒーが、人の心を癒し、誰かの一日を支えるのなら――俺は、それを続けたい。たとえそこが吉祥寺じゃなくても」
エレインはゆっくりとカップを傾け、コーヒーを口に含んだ。
「……そういうお前が、私は好きだよ」
陽翔は驚き、エレインは微笑んだまま、静かにカップを置いた。
***
その時、扉が開き、ルートヴィヒとバシルが入ってきた。
「お、もう開いていたか」
「おはよう、陽翔殿」
「お前たちか。一杯飲んでいくか?」
「もちろん」
陽翔は2人にカップを渡しながら、バシルに尋ねた。
「そっちはどうなった?」
「順調だ。南部の山岳地帯で、コーヒーの苗木が育ち始めている。地元の貴族がコーヒーを気に入って、新たな産業になるなら、と土地と人を都合してくれた」
「収穫にはまだ時間がかかるが、交易ルートの確保も進んでいる」
ルートヴィヒも頷いた。
「陽翔殿の店があったからこそ、王都でコーヒーが文化として根付き始めた。この動きを止めるつもりはない」
「そうか……」
陽翔はカウンターの奥で湯を注ぎながら、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、これからも忙しくなりそうだな」
「もちろんだ」
ルートヴィヒとバシルは満足そうに微笑み、カップを傾けた。
***
その時、店の扉が再び開いた。
入ってきたのは、陽翔がこの世界で初めてコーヒーを淹れた客――老騎士だった。
「……久しぶりだな、店主」
「お久しぶりです」
陽翔は驚きながらも、すぐに微笑み、カウンターの向こうにカップを用意した。
「相変わらず、この店はいい香りがする」
老騎士は席に座り、懐かしむように店内を見渡した。
「コーヒーは、王都にとって新しい文化になったな」
「ええ、おかげさまで」
「だが、私にとっては、最初にここで飲んだ一杯が忘れられない」
陽翔は静かにコーヒーを淹れ、老騎士の前に置いた。
「変わらぬ一杯をどうぞ」
老騎士はゆっくりとカップを持ち上げ、一口含む。
「……うむ、やはり、これだ」
***
店の扉が開くたび、新しい客が訪れ、コーヒーの香りが広がる。
エレインが静かに微笑み、茜が忙しそうにカウンターの奥で準備をする。
ルートヴィヒとバシルはこれからの計画を話し、老騎士は静かにコーヒーを味わっている。
そして、陽翔はカウンターの向こうで、変わらぬ笑顔でコーヒーを淹れ続ける。
異世界の喫茶店、KICHIJOJI COFFEE。
この店は、これからもずっと、コーヒーとともにあり続ける――。




