第20話「エレインと家電」
「……なあ、陽翔。この間の話だが…」
エレインが店のカウンターで腕を組みながら、ぼそりと呟いた。
「ん?」
「私、宿を引き払うことにした」
陽翔はコーヒーカップを持ち上げたまま、思わず動きを止めた。
「……え? それって……」
「やっぱりここで暮らしていいか?」
エレインはあまりにもあっさりと言った。
「もうずっと、ここの常連みたいなものだったし……」
エレインは軽く肩をすくめながら、カウンターを指でトントンと叩いた。
「戦場に戻る気もないし、行きつけの宿もそろそろ面倒になってきた。だったら、いっそお前のところに住んだほうが楽だろ?」
「もちろん……引越しはある?」
「いや、荷物は両手に収まるくらいだ。まあ、貴族でもあるまいし、そんなもんだろ」
陽翔はエレインのマイペースぶりに苦笑しながら、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、早速部屋を用意しないとな」
***
KICHIJOJI COFFEEの建物は、1階が店舗、2階が陽翔の居住スペース、3階が茜の臨時の部屋になっている。
エレインの部屋は、陽翔と同じ2階の一室を使うことになった。
「さて、ここがエレインの部屋……って、大丈夫か?」
陽翔が鍵を開けると、エレインはゆっくりと中を見回した。
「……へぇ」
エレインの視線が部屋の中を巡る。
フカフカのソファ、きちんと畳まれた布団、整然とした棚、鏡、そして――冷蔵庫や電子レンジ。
「……なんだこれ?」
エレインは冷蔵庫の扉を引き、冷気が流れ出ると驚いたように目を見開いた。
「うわっ、なんだこれ!? 冷たいぞ!」
「それは冷蔵庫。食べ物を冷やして保存するやつ」
「なんだその魔道具は……」
エレインは恐る恐る冷蔵庫を閉めたが、次に目を付けたのは電子レンジだった。
「……で、こいつは?」
「電子レンジ。食べ物を温めるやつだよ」
「冷やしたり温めたり……お前の世界の道具は、どうなってるんだ?」
エレインは訝しげに陽翔を見つめた。
「……そういや、お前のこと、詳しく聞いてなかったな」
陽翔は苦笑しながら、ソファに腰を下ろした。
「じゃあ、改めて話そうか」
***
陽翔は、自分が元々異世界の人間ではないこと、ある日突然ここに転移してきたこと、そして日本という世界の暮らしについて話し始めた。
エレインは腕を組んで聞いていたが、途中から少しずつ表情を変えていった。
「……つまり、お前は異世界人だったってことか?」
「まあ、そんなところかな」
「じゃあ、この店も……元々は、お前の世界のものだった?」
「そう。もともと日本でやってた店が、そのままここに転移したみたいな感じ」
エレインはカウンターを見つめ、ふっと笑った。
「だから、ここだけ異様に落ち着くのか」
「ん?」
「……なんていうか、この店の雰囲気は、王都のどの店とも違う。どこか、異質な感じがするんだ」
エレインはコーヒーメーカーの方を見やりながら、ぼそりと呟いた。
「でも、ここにいると、妙に居心地がいい」
「それはよかった」
陽翔は穏やかに笑った。
***
すると、ドアの向こうからノックの音がした。
「はーい」
陽翔が返事をすると、茜が顔を覗かせた。
「陽翔さん、あ、エレインさんもいたんですね」
「おう、茜」
「実は……今日、コーヒー淹れる練習しようと思ったので試飲してもらいたくて」
「ちょうどいいな。エレインも新居祝いだし、3人で飲むか」
***
茜がコーヒーを1階で淹れ、2階に運ぶ。
陽翔の部屋にあったLinzのチョコレートをおやつにし、3人でテーブルを囲む。
「……こうして、ここで3人でコーヒーを飲むのも不思議ですね」
茜が微笑みながら言うと、エレインもカップを持ち上げた。
「まあ、私はこの店の客だからな」
「でも、住み始めるなら、もうお客様じゃなくないですか?」
「いや、私はあくまで“常連客”だ」
エレインはそう言いながら、コーヒーを一口飲んだ。
「でも……こうしてると、なんか家族みたいですよね」
茜の言葉に、陽翔とエレインは思わず目を合わせた。
「か、家族って……」
「え、違いました?」
「……ま、まあ、悪い気はしないな」
エレインはカップを両手で持ちながら、小さく微笑んだ。
***
「とりあえず、しばらくはここで過ごしてみるか」
エレインは席を立ち、部屋を見渡した。
「しかし……このベッド、妙にフカフカだな」
「日本のベッドは寝心地いいよ」
「王都の宿よりも快適なのは確かだな」
エレインはぽすんとベッドに座り、心地よさそうに息をついた。
陽翔はそんな彼女を見ながら、小さく笑った。
(これから、少しずつ変わっていくんだろうな)
静かな時間が流れる中、2人の暮らしが始まろうとしていた。




