第19話「隠れ家の学者とサイフォン式コーヒー」
朝の王都は活気に満ちていた。市場では商人たちが声を張り上げ、職人たちは店を開ける準備をしている。
そんな中、KICHIJOJI COFFEEの扉がそっと開いた。
「……ここが、噂の異国の飲み物を扱う店か」
低く静かな声が店内に響く。
陽翔が顔を上げると、長いローブを羽織った中年の男が立っていた。
鋭い目つきと、少し痩せた顔立ち。手には分厚い本が抱えられている。
「いらっしゃいませ」
「学者をしているコンラート・メルヴィンだ」
男は無駄な動きをせず、静かにカウンターに座った。
「興味深い話を聞いた。どうやらこの店では、理屈のある淹れ方をするというではないか」
「理屈のある……?」
陽翔が少し考えていると、エレインがカウンターの端から口を挟んだ。
「要するに、頭で理解できる飲み物を飲みたいってことじゃないか?」
コンラートはエレインを一瞥すると、静かに頷いた。
「その通り。私は物事の仕組みを知りたがる性分でね。
どうせなら、理論に裏付けられた一杯を飲みたい」
陽翔は少し考え、棚の奥からある器具を取り出した。
「それなら、サイフォン式コーヒーを試してみませんか?」
***
コンラートが目を向けると、そこには見慣れぬ器具が並んでいた。
「これは……?」
「サイフォン式コーヒーという抽出方法です」
陽翔はガラスのフラスコと金属の支柱をセッティングしながら説明を続ける。
「これは、水が気圧の変化で上下する原理を利用して、コーヒーを抽出する方法です。
見た目も特徴的で、理屈がしっかりしているので、学者の方には面白いかもしれませんね」
コンラートの目が興味深そうに光る。
「ほう……具体的に、どのような原理なのか?」
「まず、下のフラスコに水を入れて加熱します。
すると、水が沸騰して水蒸気が膨張し、上のガラス容器へと押し上げられるんです」
陽翔はアルコールランプに火を灯し、ゆっくりと水を加熱していく。
「ふむ……確かに、気圧の変化を利用しているわけだな」
「そうです。そして、上の容器でコーヒーの粉と混ざった後、火を止めると……」
水蒸気が冷えて収縮し、コーヒーが下のフラスコへと戻っていく。
その様子を見て、コンラートは驚いたように目を細めた。
「なるほど、これは面白い」
エレインが腕を組みながら眺める。
「たしかに、見てて面白いな。なんか魔法みたいだ」
「違う、これは科学だ」
コンラートはきっぱりと言い切った。
「しかし、こうして飲み物を淹れるとは……この方法なら、貴族たちの興味を引くかもしれんな」
***
陽翔はカップにコーヒーを注ぎ、コンラートに差し出した。
「どうぞ。サイフォン式で淹れたコーヒーです」
コンラートは慎重にカップを持ち、一口飲む。
──滑らかで、雑味のない味わい。
まろやかさと芳醇な香りが特徴的で、すっきりとした後味が残る。
「……ほう」
コンラートは目を閉じ、しばらく味を確かめるように口の中で転がした。
「驚いた。これは、単なる見た目の奇抜さではなく、味にも明確な変化があるな」
「サイフォン式は、紙や金属のフィルターを使わない分、豆本来の風味がダイレクトに出るんです」
「なるほど、フィルターを通さないからこそ、ここまでクリアな味わいなのか」
コンラートはカップを置き、考え込むように頷いた。
「これは、ぜひ貴族たちにも紹介したいな。視覚的な美しさと理屈がある淹れ方だ。
彼らなら、この芸術性を評価するだろう」
***
「お前、なんか妙に熱心だな」
エレインが呆れたように言うと、コンラートは鼻で笑った。
「知的探求心というものを理解できないとは、やはり冒険者とは感性が違うな」
「なっ……!」
エレインがムッとして拳を握る。
「そもそも、こういうのは味を楽しむものだろ? 理屈ばかり語って何が楽しいんだ?」
「何を言う、理屈を知ることで、より深く楽しめるのだ」
「いやいや、お前みたいなのが貴族の間に増えたら、コーヒーが面倒な飲み物になりそうだ」
「面倒? これは文化の進歩だ」
「……陽翔、お前はどっち派だ?」
突然話を振られ、陽翔は苦笑した。
「まあ……どっちも大事なんじゃない?」
「それは逃げだろ!」
エレインが陽翔を睨むが、コンラートは満足げに笑っていた。
「とにかく、いい体験をした。これは貴族たちにとっても新たな刺激になるはずだ」
コンラートはカップを空にし、満足げに立ち上がった。
「また来よう。次は、さらに理屈のあるコーヒーを頼む」
そう言って、彼は店を後にした。
***
「……変なやつだったな」
エレインがため息をつく。
「でも、コーヒーに興味を持ってくれるのは悪いことじゃないよ」
陽翔はそう言いながら、次の豆を準備する。
「私もまた、サイフォンのやつ飲んでみようかな……」
エレインはぼそりと呟きながら、カウンターに頬杖をついた。




