第15話「古書商とコロンビアコーヒー」
午前のKICHIJOJI COFFEE は、心地よいコーヒーの香りとともに、穏やかな時間が流れていた。
カウンターでは陽翔が豆を挽き、エレインがカップを片付けている。
茜は掃除をしながら、店の隅に目を向けた。
「……なんだか、今日はお客さん少ないですね」
「まあ、こういう日もあるよ」
陽翔が微笑むと、ちょうど扉が開いた。
「失礼……」
入ってきたのは、長いコートを羽織った男性だった。
年の頃は40代後半。落ち着いた物腰で、古びた革の鞄を抱えている。
「私は本を扱う商人、レオポルド・フランツと申します。
旅の途中で、この店の噂を聞きましてね」
「いらっしゃいませ」
陽翔がカウンター越しに微笑むと、レオポルドは店内を見渡した。
「ここは静かでいい……落ち着いて本が読めそうだ」
そう言いながら、彼はゆっくりと席に腰を下ろした。
***
「読書に合うコーヒーを一杯いただけますか?」
レオポルドの言葉に、陽翔は少し考えた。
「それなら……コロンビア産コーヒーはいかがでしょう?」
「コロンビア……?」
エレインが興味深そうに口を挟む。
「コロンビアは、山が多く、気候の変化が激しい土地です。
そのため、そこで育つコーヒーは酸味・甘み・苦味のバランスが非常に優れているんです」
「なるほど……つまり、どんな場面にも合う、万能なコーヒーというわけですね?」
レオポルドが微笑むと、陽翔は頷いた。
「ええ。特に、読書のように長時間じっくりと楽しむ時間には最適です。
苦味が強すぎず、かといって甘すぎるわけでもない。
ちょうど良いバランスが、集中を妨げないんですよ」
「それはいい。ぜひいただきたい」
陽翔は丁寧に豆を挽き、ドリップを始めた。
ゆっくりとお湯を注ぐと、香ばしいアロマが店内に広がる。
「お待たせしました。コロンビア産コーヒーです」
レオポルドは湯気の立つカップを手に取り、そっと口をつけた。
──柔らかな酸味と、ほのかな甘み。後味はすっきりとしていて、心を落ち着かせるような味わい。
「……素晴らしい。確かに、これならじっくりと読書に集中できそうだ」
彼は満足げに頷くと、鞄から一冊の本を取り出した。
「せっかくだから、この本を読みながら楽しませてもらいましょう」
***
エレインの気持ち
エレインは、そんなレオポルドを横目で見ながら、カウンターに肘をついた。
「読書とコーヒーか……そういう楽しみ方もあるんだな」
「エレインは読書、あまりしないの?」
陽翔が尋ねると、エレインは少し考えてから首を振った。
「子供の頃は好きだったが、冒険者になってからはそんな余裕がなかったな」
「それなら、たまには読んでみたらどう?」
「……考えとく」
エレインはそう言いながら、レオポルドの持っている本に目を向けた。
「お前は? 何か本を読むのか?」
「うーん……あまり読まないかも」
陽翔が肩をすくめると、エレインは小さくため息をついた。
「……ったく、お前はもっといろんなことを知ったほうがいい」
「そっくりそのまま返すよ」
陽翔が笑うと、エレインは頬を膨らませた。
「……なんかムカつくな」
茜がそんな二人を見て、クスクス笑った。
「陽翔さんとエレインさん、いつもそんな感じですよね」
「べ、別にそんなことはない」
エレインがそっぽを向く。
「でも、たまにはお前が好きな本でも教えてくれよ」
陽翔がふとそう言うと、エレインは少し驚いたように目を丸くした。
「……いいのか?」
「もちろん。エレインの好みを知るのも悪くないし」
「そ、そうか……じゃあ、今度な」
エレインは小さく頷くと、そっとカップを口元に運んだ。
***
レオポルドは本を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「いい時間を過ごさせてもらいました」
「ありがとうございました。またどうぞ」
「ええ、次は新しい本を持って訪れますよ」
そう言って、彼は静かに店を後にした。
エレインはその背中を見送りながら、陽翔にぽつりと言った。
「なあ……本当に、今度本を貸してもいいのか?」
「もちろん。エレインが勧めるなら、きっと面白いだろうし。ただ、この世界の言葉はまだ勉強中だ。簡単なもので頼むよ」
エレインは陽翔の言葉を聞いて、少しだけ頬を染めた。
(なんだ……こんなこと、別に大したことじゃないのに)
ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなるのを感じながら、エレインは小さく微笑んだ。




