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結晶の結界  作者: 茅原
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709号室の姫君。

 放課後。


 日々、秋を深めて色合いを寂しげなものへと変えていく街を歩いて、蓮は学校から割と近くにある病院を、昨日とは違う理由だが二日続けて訪れた。


 ロビーでエレベーターへ乗り込み、最上階である七階でそれを降りて、入院棟の割に人気もなくひっそりとしている、それにどこか高級な雰囲気の漂う廊下を歩き、『709』号室の前に立った。


 ノックをするとすぐに、はい、と少し驚いたような声ではあるが返事が来たので、スライド式の扉を開けて病室へ入った。

 

 寂しげな夕日色に染まるその広い病室には、リクライニングベッドに座っている一人の少女――昨日もこの病院で目にした長い黒髪の少女がいた。


 蓮は思わずその場に立ち止まった。胸を掴まれたように息を呑み、目を瞠いた。


 目の前の光景が、あまりにも美しかった。


 まるで壁が朱く塗られているのかと思うほど夕日に照らされる部屋で、ひとり病床に伏せている少女。その姿とそれを取り囲む光景は、完成された一枚の絵画かステンドグラスのように美しく、そして儚げだった。


 足を踏み入れるのを躊躇ってしまうほど、そこに神聖ささえも感じるほど、限りなく浄化された光景だった。


「あの……」


 という鈴の音のような少女の細い声でハッと心を立ち返らせ、蓮は慌てて、しかしそれを面に出さぬようにしながら尋ねた。


「お前が、黒瀬琴音で間違いないな?」

「え……?」


 少女は視点の遠い目をこちらへ向けながら、その細い眉をひそめてさらに怯えたような表情を深める。


 この、ガラス製の人形のように整った顔立ちと白い透明な肌、座った姿勢からベッドまで届くほどもある真っ直ぐな長い黒髪、そして小さく華奢な体つき。間違いない。この少女はきのう売店の前で会った車椅子の少女だ。


 普通の入院部屋の二倍ほどはありそうなだだっ広い部屋の中は、ベッドとテレビ、一脚のパイプ椅子だけがベッドの周囲に集まるように置かれているが、それ以外は全く何もない。陽の翳っているせいもあってか、部屋はひどく閑散としている。


 蓮はなぜか思わず動揺してしまっていた心を切り替えながらそれらをざっと観察し、その部屋へと踏み入った。そのまま少女へと歩み寄り、そしてもう一度たずねた。


「709号室に入院している、黒瀬琴音。病室の扉脇に名前のプレートはなかったが、間違いないな」

「は、は、はい……。そ、そうですけど……」


 少女はほっそりとした両手をぎゅっと胸の前で握り合わせながら震えた声で答える。


 蓮は首を傾げた。


「……? なんだ、お前。夢の中で話したときも少し思ったが、現実と夢で

全く雰囲気が違うな。緊張なんてするな、夢と同じような感じでいい。あの『姫』口調でも構わないぞ」

「え――?」


 ぼやけた黒い瞳でこちらを見上げていた少女の顔に、これまでとは違う驚きの色が広がった。


「うそ……。あなた、本当に夢で話した――あ、え、えと、ごめんなさい……」

「どうして謝るんだ?」

「え? あ、い、いえ、その……も、もしかしたら、ち、ちが、違うかもしれないから……」


 緊張のためか、琴音はその白い首筋まで赤らめた顔を伏せてぶつぶつと呟くように答えた。そして顔は俯かせたまま、囁くように訊いてきた。


「あ、そ、その……あ、あなたは、もし、もしかして……よ、呼倉、蓮さん、ですか……?」

「夢と同じで、別に『さん』も『くん』も付けなくていい。たぶんだが、俺たちは同い年くらいなんだろ、琴音?」

「え……?」


 尋ねながらベッド脇のパイプ椅子に腰掛けた蓮がまるで見えているように危うげながらも目で追いながら、琴音は呆けたようにその口を開ける。


「うそ……本当に……? だって、あ、あれは夢の……」

「ああ。夢での約束どおり、お前の話を聞きに来た――んだが、迷惑だったか? これから診察でもあるのか?」

「う、ううん、そ、そうじゃないけど……えと、な、なんていうか、ビ、ビックリして……」


 琴音は再び俯き、その優しげで大きな目を慌ただしく泳がせた。


 どうやら琴音は、あまり人と会話するのが得意な人間ではないらしい。


 この突飛な来訪者という存在だけにでなく、ただ単に会話することに対してもうろたえているように見える琴音に蓮はそう感じる。ゆえに、できるならまずはその緊張感を取り去ってやりたいところだったが、残念なことにどうすれば上手くそれをできるのか蓮は心得ていなかった。心なしか声を柔らかくすることくらいが精一杯だった。


「ま、まあ無理もない。俺も逆の立場だったらそうとう驚くと思う。……だけど、これは確かに現実だ。今は夢じゃないから、それは安心していい。それでだ、誰か人に来られたら説明が面倒だからさっそく話を聞きたいんだが……いくつか、訊かせてもらってもいいか?」

「え? あ、う、うん……」


 琴音はどもった返事しながら、下へ向けた首をさらに下へ向けるようにして頷く。


「いや、あまり話したくないっていうんなら無理に話さなくてもいいんだ。もし関わらないでくれって言うなら、俺はすぐにでも帰る」


 本来、他人の夢へ侵入してその人の心を侵すような権利などあるはずもなく、ゆえに、そこからさらに踏み込んでその内面を覗かせろと無理強いすることなど許されるわけがない。蓮が慌てて前置きすると、琴音はその長い黒髪を絹のように輝かせながら揺らして首を振った。


「そ、そうじゃなくて……! そうじゃなくて、そ、その……わ、わたし、ひ、ひと、人と話をするのがあまり、と、得意じゃないから、その……き、緊張してるだけで、べ、別に、あの……イ、イヤな、わ、わけじゃないから……」

「そうか……。イヤじゃないならいい――いいんだが、なんていうか……そう硬くならないで、もう少し肩の力を抜けないのか。別に俺はお前を脅迫しにここに来たわけじゃないし、それに夢の中じゃもう色々と話してるだろ」

「え? あ、う、うん、そうよね……。ええ……そう、あなたと話すのは、だ、大丈夫、大丈夫、大丈夫……」


自分に言い聞かせるように呟いて、うん、と琴音は顔を上げた。柔らかな微笑みを浮かべながら、その不思議に深い瞳を蓮へ向けて、


「じゃ、じゃあ、緊張せずに何でも話せるあなただから言わせてもらうけど、あなた、話を進めるのが下手すぎよ」

「……は?」

「もしわたしが、夢の中で話した少女なんていう夢みたいな――まさに夢みたいな話のその少女じゃなかったらどうするつもりだったの? もし違ってたら、あなた、ひょっとしたら今頃もう警察署にいたかもしれないわよ?」

「…………」


「それに、人違いだけじゃない。いきなり部屋に入ってきて、『お前が黒瀬琴音で間違いないな』なんて威圧的な口調で質問して、もしわたしが夢のことを綺麗さっぱり忘れていて、あなたのことを怪しい人間以外の何者でもないと思っていたらどうするつもりだったの? わたしのことだからきっとビクビクして何も言えてなかったでしょうけれど、でもそのまま話をしようとしたって、わたしはあなたが怖くて思い出すものも思い出せなくてなんの話もできなかったかもしれないじゃない」


「あ、ああ……悪い」


 堰を切ったように勢いよく喋り始めた琴音に驚きながら、言い返すこともできないその叱責の言葉に蓮はたじろぐ。


 すると、琴音はどこか怒ったようにさせていたその表情をふっと和らげて、


「ふふっ。うん、やっぱり大丈夫みたい。というか、今ので吹っ切ることができたわ。あなたとはちゃんと話すことができそう。その返事からしてあなたもそうとう不器用みたいだけど、その不器用さのおかげでわたしはあなたを信じる気になれたし、だから結果的にはあなたのやり方で正解だったみたい。よかったわね」

「そ、そうか……」

「さあ、そういうことだから、訊きたいことがあるのなら構わずわたしに訊いて? あなた、わたしのこの目を見えるようにさせられるとかいうようなことを言っていた気がしたけれど」

「あ、ああ……」


人が変わったように、まさに『姫』のように悠然とした笑みをこちらへ向けてくる琴音に蓮は戸惑う。が、琴音から戸惑いが消えると今度はこちらが戸惑うなどというのは全く不毛だ。蓮は気持ちを取り直して、


「な、なら、まずとにかく聞かせてほしい。お前が今のようになった経緯を、なるべく詳しくだ。その内容次第では、俺はお前の力になれるかもしれない」

「……そう。よく解らないけれど、夢の中になんて入れるあなたがそう言うのなら、本当にそうなのかもしれないわね。――ええ、いいわ、憶えている限りだけど、話してあげる」


 気負いもない様子で琴音はそう言った。そして、その長い睫毛をまるで瞑想をするように静かに下ろすと、ゆっくりと話し始めた。

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