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結晶の結界  作者: 茅原
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椿と雪彦。

「こちらはこちらで事を進めて構わないとのことでしたので、私はきょう琴音の家へ行ってまいります」


 翌朝、朝食を食べていると、椿がそう切り出した。どうやら夢の中で話したということどころか、話したその内容もしっかり記憶し、かつあれは蓮が夢の中へ入ってきたものだとしっかり認識しているらしい椿に蓮は内心で驚きつつ、


「……そうか」

「そちらは、いつ決着をつけに行かれますか。今晩にでも行かれますか」


「ああ。だから、こっちが上手く解決するまで事を荒立てないでほしい。琴音を取り巻く事実が変化すれば、琴音の中の真実もまた大きく変わる。行動はあくまでも様子見ていどに済ませておいてくれ」


「承知いたしました」


 椿は歯切れよく返事をする。そうして食卓に静けさが戻る。


 しかし、椿は何か言いたいことでもあるのかこちらを見つめ続ける。なので、蓮が居心地の悪さに料理から目を上げて椿を見ると、


「っ……」


 椿は逃げるように目を伏せて蓮から視線を背け、頬を朱に染めながら味噌汁を口へ運んだ。


『弟を弟としてだけではなく、一人の男としても愛おしくて仕方のない女なのです』という、夢の中で椿が口にした言葉が蓮の脳裏に蘇る。もしかして、あれは本当の本気で言っていたのだろうか。


「蓮さん、その……」


 椿が目を泳がせながら口を開いた。


「ん?」

「その……蓮さんがいくら私の顔などをご覧になられようが構わないのですが、もうあまりのんびりとなされていてよい時間では……」

「あ、ああ」


 時計へ目をやり、確かにもう家を出なければならない時間が迫っているのを確認して、蓮は残っていた朝食を掻き込むように食べる。昨晩の夢以来、何かといろいろ調子が狂う。


  ○  ○  ○


 住宅街の中にある目的の場所へと着き、椿はバイクを停車させた。


 そこにあった景色にふと戸惑うが、ここが目的地であることは間違いないはずである。バイクから降りて、ライダースジャケットのポケットから一枚のメモを出す。


メモに書いておいた住所と電柱に記されているここの住所が一致していることを確認し、『黒瀬』の文字を探して周囲の家の表札を見る。しかし、どこにも見つけられない。


――やはり……。と、すると……。

 

椿は思わずやや驚きながら、自分が立っている前に寂然と空いている空き地を眺めた。


 住宅街の中にここだけ穴の空いたように雑草が茂っているその空き地をしばし見つめていると、主婦らしき一人の女性が路を通りかかった。その女性に訊くと、ここにあった家はもう何年も前に取り壊されたという。


 それからここを通りかかった数人にも話を聞いてから、椿は第二の目的地へと向かった。


 同じ町内にある『大槻総合病院』へと着き、今度は単なる外来患者として受付を済ませ、そして建物廊下のおそらく最奥にある精神科の診療室の戸をくぐった。


すると、受付表で確認していたのだろう。白衣の雪彦は驚いた様子もなく、数年ぶりに顔を合わせる椿を出迎えた。


「やあ、呼倉さん。久し振りだね。会うのはもう何年ぶりだろう」


「五年ぶりでしょう。私が二年になった時にあなたが卒業し、それから二年で私も卒業、そして卒業からもう三年が経ちましたから。私ももう二十六です。すっかり年を取っておばさんになってしまいました」


「いやいや、君は今でも入学してきた時のままだよ。あ、いや、もちろんいい意味でね。むしろおじさんになったのは僕さ。まあもう三十二だからね、日々実感する老いを貫禄として受け入れる気持ちさえ出てきてしまったよ」


「それは年齢のせいと言うよりも、院長という立場のせいなのでは?」

「あはは。まあ院長って言っても偉いのはほとんど名前だけだからね。今こうしてるのを見ても解るとおり、僕もこの病院にいる単なる医者の一人さ」


 柔らかな笑みを浮かべたまま雪彦はそう言った。が、ここでふと調子を変えて、


「と、懐かしい学友との再会を喜ぶのはここまでにして――今日はどうしたんだい、呼倉さん?見た限り、何か思い詰めていることがあるようにも見えないけれど」


「ええ。実は最近、私の弟がこの病院を患者として訪れさせていただきまして、その弟から、あなたがここで院長をしていると聞いたのです。ですので、弟を看てくださったことへの挨拶を一つと、そしてできればどこかで食事でもしながら、久し振りにあなたとゆっくりお話ができないかとお誘いに来たのです」


「それはそれは。わざわざ礼なんてしに来てくれただけで嬉しいのに、さらに君から食事に誘ってもらえるなんて光栄の限りだよ。うん、無論オーケーさ。じゃあ――あ、ちょっと待ってくれたまえ」


 雪彦はそう言うと、机の上に置かれていた小棚の引き出しを開け、そこから一枚の名刺らしきものを取り出してそれを椿に渡した。名刺にはイタリア料理店、ガット・ネーロという文字が記されている。名刺の隅には黒猫が座っている。


「そこは、僕の知り合いがやってるイタリア料理店なんだ。料理が凄く美味しくて君にも紹介したいから、場所はそこにしよう。少し街外れになるがそのぶん静かだし、いい所だよ」


「ええ、構いません。ここだと私は徒でなくバイクで行くことになるかと思いますが――まあ今でも変わらずお酒は一滴もダメですので、問題ないでしょう」


「はは。そういえばそうだったね。うん。じゃあ、待ち合わせの時間だが――実は今晩は会議があって自由になれる時間が少しだけ遅いんだ。おそらくそれが終わるのは八時頃だろうから、そうだな……九時、で、どうだろうか。なんなら明日でも構わないが」


「いえ、今日で構いません」


 椿は即答した。すると雪彦は頷き、


「そう。じゃあ、そういうことで」


 そう微笑むと、間髪入れずに、


「ところで、君はいま何をしているんだい?」


 そう尋ねてきた。


 その質問に、いったい何を読み取ろうとしているのかと椿は一瞬、緊張を高めたが、特に深い意味のある問いではなかったらしい。


「言っちゃ悪いが、主婦になったわけでもないようなのに、みんなが働いてるこんな昼間の時間にここへ来るなんて、仕事は何を? 君ほどの頭脳の持ち主だから、どこかの大学で助教授の椅子でも手に入れたのかい? 今は講義と講義の間の休み時間なのかな」


「いいえ、わたしがしているのはアルバイトで、今日はそれが休みなのです」

「アルバイト?」

「ええ、スーパーのアルバイトです」


 言うと、雪彦は驚いたように目を丸くして、


「き、君がそんな所で働いているのか。これは驚いた……。ふむ……これは今晩が楽しみだね。色々と互いに積もる話がありそうだ」

「そうですね」


 と椅子から腰を上げて、椿は病室を後にした。ひと気のない暗い廊下を歩きつつ、その口の端を密かに吊り上げた。


  ○  ○  ○

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