修行part2
「ああ――と、そうだ。一つ注意しておく。俺はいま自分の夢にいるから、今やったように色々なものを創り出したり、もしくは消したりできるが、この『消去する』という行為、これができるのは自分が意図的に創った物だけだ。無意識から生み出されたこの世界だったり、今で言うならお前――他人という存在は、『消す』ということは絶対にできない」
「う、うん……」
琴音は、やや腑に落ちていない様子で頷く。蓮は、もう少し解りやすく説明することにして、
「例えば、だな……ここは俺の夢の中だが、お前という存在はもう既にお前自身だ。触れたり叩いたり、もしくは、これは俺だけが例外的に、この『箱』で喰って自分の中に取り込むということは可能だ。でも、ただ『消したい』と願うだけでお前を消し去るということはできない。なぜなら、お前はお前であって俺とは全く別の存在だからだ。だから――それ。さっき俺が創ったお前の振袖も、俺はその存在に干渉できないから、その全部を俺が創ったわけじゃない。よく見れば解るかもしれないが、俺はお前の創った物の上に被せてまた物を創っただけだ」
「へえ、そうなんだ……」
と振袖に目を落とす琴音に、蓮は頷く。
「ああ。だから、もしお前が不意に何かに襲われたりした時、『消えてくれ』って思っただけでそいつを消し去ったりすることはできないから気をつけておけ。要するに、『自分がその存在を操れるのは、あくまで自分が意図的に創ったものだけ』、『だが他人の夢の中にいる時は一切なにも操ることができない』。そのことだけは強く頭に刻み込んでおけ。他人の夢の中で唯一できる対抗の手段は、『破壊』のただ一つだ」
「え、ええ、解ったわ」
どうやらちゃんと理解してくれたらしく、琴音はやや戸惑ったふうながらも蓮を真っ直ぐに見ながら頷いた。蓮は、ああ、と頷き返して、
「じゃあ今日は――これで終わりにするか。急に色々とやらされてもお前も困るだけだろうし」
「えー」
と、琴音が冷ややかな目で蓮を見上げた。
「なに言ってるのよ。せっかくここからが面白くなるところなんじゃない。こっちを気遣ってくれるのはありがたいけれど、こうして夢の中に来たのに遊びもしないで帰るなんてつまらなすぎるわ。前からうすうす思っていたけど、あなたってなんだか遊び心に欠けているのよ、全体的に」
「ぜ、全体的……?」
「そう。っていうか、わたしの扇子はどこに行ったのよ? わたしが『トリガー』にしたいって言った扇子。まだ渡して貰ってないじゃない」
「あ、ああ、そうだったな。悪い」
蓮は思わずもたつきながら、その手に一本の扇子を発生させた。そしてそれを琴音に手渡し、
「え?」
と、目を疑った。琴音に渡した扇子が、琴音の手に触れた瞬間にその色を失った。一瞬して色が失せ、琴音の手には闇色をした扇子の形が握られていた。
「え……?」
と、琴音も蓮と同じように驚き、
「これ、は……何?」
怯えてすらいるように呟き蓮に尋ねてくる。蓮は、今まで一度も目にしたことのなかったその現象に驚いたが、しかしすぐにこれがなんなのかという推測は立てることができた。
「これはおそらく、お前の『能力』だ」
「能力……? 能力って……?」
「ああ。お前はたぶん、夢の中の視覚的なものと聴覚的なもの――つまり、ほとんど全てのものを、強制的に消して――いや、それは不可能だから、おそらくその肌に感じた物の上に無意識で闇を上塗りしているんだ」
そう言って、蓮は手に発生させた一つのサイコロを、一瞬、躊躇ってから、琴音の手を取りその手の平に載せた。
「俺という存在にまで干渉できないのは、俺が確かな意志を持っているからだろう。しかし、俺の意志から少し離れた物はこうしてお前に『上塗り』される」
蓮は琴音の手から黒一色に染まったサイコロをその指につまみ取り、
「お前の入院服にちゃんと色があるのは、それが半ばお前自身で、自分に色がないという認識はしたことがないから――か? そして、振り袖が色を失わないのは、お前の肌に直に触れていないから……」
困惑し、蓮は思わず独り言を呟きながら考え込む。
「れ、蓮……?」
と、琴音が不安げな目で蓮を見上げてくる。
「あ、ああ」
深刻に悩んだような顔をして琴音を不安にさせてはいけない。蓮は考察から頭を切り換えて、特に問題があるわけでもないということを知らせるためにあえて飄々と語った。
「『上塗りする』っていうのは――まあ俺の推論に過ぎないんだが、見えているものを闇で塗り潰してるってことだ。お前がいつもそれを感じているとおりにな」
「いつも感じているとおり……。確かにそうだけど……。でも、これってなんなの……?」
琴音が神妙にも見える顔で尋ねてくる。
「これは……だな。断言はできないが、つまり、この力を使いこなせるようになれば、お前は『この世の全ての夢』を支配できる可能性がある……ということ、だと思う」
全てを闇色の音で飲み込む。それはつまり、飲み込んだ対象の存在を消してしまうということにほぼ等しい。本来は干渉できないはずの他人の創造物までも、その物体をその人物の認識対象から無理やり外すこともできるということ――つまり世界からそれが消えたように操作ができるということではないのか。
ということは、琴音は自分にとって都合の悪いものは全て闇で塗り込めることができる、夢を支配できるということである。
しかもひょっとすると、全てをフラットな闇にするということは、その人物の全ての記憶への入り口を、その場に無理矢理こじ開けているということなのかもしれない。
しかしその能力は意図的に創られた言わば力の弱い物にしか発揮できていない。琴音がその素足で立つ草原に闇が広がらないことと、また前回、琴音の夢で琴音が触れた物にこのような現象が見られなかったのがその証拠だ。
しかし、これは訓練次第ではもしかして――
まだ不確定ではあるが、その可能性に蓮は内心呆然とする。
琴音はしばしキョトンとしたように目を丸くしてから、あはっ、と軽く笑った。
「『この世の全ての夢を支配できる』? いやよ、そんなの。別にそんなことなんてしたくないわ、わたし」
「どうしてだ?」
全ての夢を支配するということは、全ての人間の精神を支配するということ、つまりは全ての人間よりも確実に一段上の存在になれるということだ。それにも拘わらず笑って取り合わない琴音に蓮は驚く。
「どうしてって……。支配なんかしたってどうするのよ。わたしにはそれがどういうことかまだよく解らないけれど、とりあえず、わたしはそんな変態の王になんてなりたくないわ。『709号室の姫』でいいのよ、わたしは」
「……そうか」
琴音は自分とは違うのだ。琴音がそう思うのならそれでいい。蓮は、柔らかい琴音の微笑みに肩の力を抜かれたように、琴音には攻性の欲求がないのだとすぐに悟って見切りをつけた。
「まあいい。じゃあ、やっぱり今日はここで終わりだ。もう疲れただろ? ちなみに、夢の主が目を覚ましてここが消えたら、お前は自然とこの世界から放出される。帰り道は簡単だから心配するな」
「え? なに? もう終わ――」
と慌てる琴音を置いて、蓮は自らの夢を打ち切った。
「……今、何時?」
「四時、十三分だ」
まだ暗い明け方の病室の中で、蓮はそう答えた。




