修行。part1
どこまでも広がる草原。なだらかな緑の丘陵。ちらほらと小さな雲の浮ぶ青い空から注ぐ陽射しは穏やかで、草を撫でるように吹く風はふわりと柔らかく暖かい。
目の前で草の上に女の子座りをしている、風景とはそぐわない入院服姿の琴音が、突然、驚いたように目を丸くさせて周囲を忙しく見回した。
「上手く行ったみたいだな」
蓮が言うと、琴音は呆然としたような顔をこちらへ向けて、
「ここ……あなたの夢の中?」
「ああ、そうだ。な? やろうと思えば意外とすんなりとできるもんだろ」
「え……? え、ええ、そうね、自分でもびっくりしたわ……。なんか本当に、こう……ふわって体が天井まで浮いて――そうしたらあなたに言われたとおり、あの箱に吸い込まれるような感じがして、気付いたら……」
琴音は丁寧にジェスチャーつきで、意識体を体から幽離させられた時のことを説明してくれる。しかし、楽しそうに喋り立てているところに申し訳なかったが、いかんせん時間は限られている。
蓮は琴音の説明を区切りのいいところで切って、琴音に手を差し伸べた。
「じゃあ、まずはユニフォームでも決めたいんだが――立てるか?」
「あ、う、うん……」
琴音は蓮の手を掴んで立ち上がると、意識してみるとなんとなく変な感じがするのか、芝生を確かに踏みしめている自分の足をしばし見つめた。そしてやがて顔を上げ、
「あはっ」
と嬉しそうにその表情を綻ばせた。それから、思い出したようにその目を高く空へと向けて、
「わぁ……綺麗……。なんだか目が透明になったみたい……」
地平まで遮るもの何一つない平原を見渡し、独特な表現の言葉を口にした。
「この前は一杯一杯で風景まで見てる余裕がなかったみたいだったしな。でもそう感じられるってことは、今はちゃんと落ち着いて意識体をコントロールできてるってことだ。――っていうわけで、やっぱり何も問題なさそうだから早速はじめるぞ」
「訓練を?」
「ああ。っていうか、まあここでこうしてる時点でもう訓練は始まってるんだけどな。でも――そうだな。まず始めにユニフォームを決めるか」
「ユニフォーム? さっきもそう言っていたけれど、どうして? 何かスポーツでもするの?」
「いや、そうじゃなくて……要は『スイッチ』みたいなものだ。気分を仕事用にしたり、『俺はいま夢の中にいるんだ』っていうことを自分に再認識させるために、俺はこっちの世界にいるときは必ずいつも同じ服を着るようにしてるんだ。ちなみに、それがこの黒いシャツと黒いズボンだ。お前も、こっちに来てまでそんな入院服で過ごす必要もないだろ。何がいい? 俺が創ってやる」
「え? あなたが創るの?」
「ああ。その程度のことならできる。『城に住みたいからデカい城を作れ』なんて頼みはいくらここが俺の夢でも叶えてやれないが、服くらいなら可能だ」
「そう……。よく解らないけれど……んー……じゃあ、振袖がいいわ」
「振袖? 動きにくくないか……? まあお前がいいって言うならいいけどな。入院服と構造も似てるし」
「うん、いいのいいの。だって、わたしは姫だから」
琴音はなぜか誇らしげに言う。そんな琴音に蓮は苦笑しながら、
「そうか。じゃあ創ってやるけど――言っておくが、お前の夢の中じゃ俺は創ってやれないからな。その時は自分でやれよ」
「わたしの夢じゃできない? どうして?」
「ああ。まあそれはもう少し後に説明するから待ってろ。それよりまず、物の創り方だ。物を創る時は、絶対に迷いや疑いを持ってはいけない。その不安や疑いは、確実に形となって現れてしまうからな。ある意味すべてを無意識に任せてしまうのが手っ取り早いんだが、それは正直言って俺にも不可能だ。だから、徹底的に自分が最高だと思う物を繰り返し創って、それと同時に自分には最高の物が絶対に創れるっていう自信をも作り上げていくというのが、物を創るための最良の手段だ。ゆえに、まあこれも初めのうちは上手く行かないのは当然だ――ってうのは、そうだな。今は実感できないからいいとして、振袖、これでどうだ」
「え? あら」
琴音は、おそらく気付かないうちに自分が袖を通していた振袖に目を落として驚きの声をもらす。赤い布地に、鶯色の葉を付けた桜がその花を風に舞わせているデザイン。琴音の長い黒髪によく映える至高の逸品だ――と蓮が自画自賛してしまうデザインだ。
琴音は見とれるようにそれにしばし見入ってから、丸くした目を上げて、
「うん、悪くない……というか、すごく、感動するくらいに綺麗だわ。ありがとう、蓮」
「べ、別に礼なんていい。じゃあ、次だ。お前、トリガーを考えておけ」
「トリガー? トリガーって……銃の?」
「いや、違う。例えるなら、現実では絶対に使えないような異能を使いたい時にやる、『こうすれば自分にもあんなことができるんだ』と自分に思い込ませる儀式みたいなもののことだ」
説明はしたが、これで解るはずもない。案の定、微妙な笑みを浮かべながらこちらを見上げて首を微かに捻る琴音に、実演して見せてやる。
「例えば、俺はもうトリガーなんて使わなくても、こう――」
と、右手に一本の赤いバラを持って、
「――すぐに出すことができるが、お前はまだこっちの世界に順応できてないだろうから、その儀式っていうのをやったほうが、より速く、より正確に異能を使うことができるはずだ。俺は初めの頃は、こうやって――」
蓮はバラを宙へ軽く放り投げた。そして、パチン、と指を鳴らして空中でそれを消し去り、
「指を鳴らすのをトリガーにしていた」
「へえ、なるほどね……。うん、それはなんだか解った気がするわ。じゃあ、わたしは、うーん……この格好に合う、扇子にしようかしら。扇子を振るのをトリガーにしたいわ」
「扇子か……。解った。じゃあ今日は俺が創ってやるが、明日には扇子をお前に買ってきてやる。と、ああ――説明し忘れてたが、夢の中には感触を頼りに物を持ち込むことができるんだ」
「物を、持ち込む……?」
「そうだ。この俺の左手の『箱』と短刀は特別な持ち込まれ方をしてるから例外だが、この銃二丁、これは俺が現実から持ち込んだ物だ」
そう言って、蓮は背中から抜いた小刀を芝へ突き刺してから、その両手に銀の拳銃を握った。
「そ、それって本物……じゃあ、ないわよね?」
「ああ、銃はな」
「『銃は』?」
「ああ」
と蓮は両手の銃を腰裏のケースへ戻し、背中からまた新たな小刀を抜いて、
「現実の俺が身に付けている銃はモデルガンだが、小刀は本物だ。『箱』と同じで霊性を帯びさせられている、特殊なものだ」
「へ、へえ、そうなんだ……」
「まあ、ともかく、身に付けているその感触を元に、夢の中にその道具を確実に持ち込むわけだ。お前のその服だって同じだ。お前は入院服の感触を身体に感じていたから、その姿でここへ現れることができた。だから、扇子を持ち込みたいなら扇子を握ったまま眠ればいい。これはそれだけのことだから、深く考える必要もない」
「そう、なの……? で、でも、あなた、さっきバラを創ったじゃない。あれはどういうことなの? あなた、現実でバラを持っていたわけじゃないでしょう?」
「ああ。あれはまあトレーニングの賜物だ。訓練すれば、ある程度自分の夢を自由に操れるようになる。だが、何もかもできるわけじゃない。むしろできないことのほうが多いだろう。この今の景色もある程度俺が望んだものだが、何から何までも俺が決めたわけじゃない。あくまで俺は微力で無意識の舵を取ったに過ぎない。無意識の大波に呑み込まれれば、俺も間違いなくこの前のお前と同じようなことになる」
「そう。なるほどね……」
なんとなく『夢の世界』というものをどう捉えればよいのか解ってきたのだろうか。琴音は以前までのように、こちらの正気を疑っているような表情をすることもなくすんなりと頷く。




