転入生(2)
「で? どうなの万智。正直なところ!」
「わ、分かんないよっ! まだ見たこともないし、お話したこともないし……っ!」
「ってことは、乗り換える可能性アリかー……」
「だ、だから何で……っ!」
真っ赤な顔で困ったように周囲の女の子達を見回す。焦っているマッチの声はそこまで大きくはないはずだけど、私にまできちんと届くのは、教室内がさっきよりは幾分静かになってるからだ。
マッチ自身は多分気付いてないんだろう。――この教室にいる全員が、マッチの言動に注目していることなんて。
会話は確かにぽつりぽつりと交わされてる。けれどもそれにどこか勢いのようなものがないのは、話し手もマッチの出方を気にしてるからなんだろう。現に倉前くん達ですら……いや、倉前くん達だからこそ、会話を打ち切ってマッチをじっと見据えてる。
やっぱり最後に興味があるのは、みんなマッチに関すること。……でもまぁ、それは当然の流れだろう。
マッチはアイドルで、お姫様。あの断トツ人気な倉前くんも好意を公言するくらい、魅力的な女の子だ。マッチのことを好きな男の子達も、ユエくんのことが気になってる女の子達も……それから、マッチを好きな男の子のことを好きな女の子達も。マッチのこれからの気持ち一つで、大きく状況が変わってしまう。純粋な興味とは別に、そういう自分への利害も大きい話なんだ。
特に、今まで一番マッチの恋人になる可能性が高かった倉前くんには、すごく重要な問題のはず。せっかく二人はあそこまで良い雰囲気なのに、転入生であるユエくんのことをマッチが好きになっちゃったら、今までの努力が全部水の泡になるんだから。
ちらりと倉前くんを見る。
さっきもああは言っていたし、実際余裕そうにも見えるけど。
――……一瞬だけ、マッチに視線を向けていた。
どんな風に言ったところで、やっぱり気になるんだろう。倉前くんがマッチのことを好きなのは中学時代から明白だった。あそこまで親しくなったのに、突然現れた転入生に横から奪われるかもしれない。……なんて、予想外にも程がある事態のはずだ。その相手が自分よりも秀でている可能性があるなら尚更。気にせずにはいられないだろう。
……まあ、私が何かできる問題でもないか。
いくら中学時代から知っていても、二人の恋愛事情に口を挟めるような立場じゃない。特に倉前くんはそう。私はそんな間柄じゃあないんだから。
なるようになるだろう、なんてぼんやりとした頭で判断しながらついと顔を前方に向ければ、丁度前の席の女の子がぐるりと私を振り返った。
「ねね、質問なんだけどさ!」
「うん?」
生憎と、私はそこまで彼女と親しいわけでもない。珍しく声をかけてきた彼女に対して疑問符を浮かべながらも返答すれば、彼女は小さく手招きをした。どうやら大きな声では言えない話題らしいことを察して静かに前方へ耳を寄せれば、彼女は一際気遣っているらしい小声で「念の為に聞いとくけど、」と切り出して。
「さっきはああ言ってたけど、転入生くんってさ……
……白井さんの彼氏だったりしないよね?」
かなりの真剣みを帯びた声音。それが私の耳朶を打ってから十秒間。私は動きの止まった脳味噌で、ただ数回の瞬きをした。
「…………うん?」
彼女は一体私に何を言ったのか。想定外の単語が登場した為に頭が上手く動かないまま、私は彼女に目を向けた。彼女を正面から見つめたまま固まって言葉を返さない私に、彼女の方が焦れたらしい。僅かに眉根を寄せながらやや強い目つきで私を見据え、今度は向かい合う形で再びその唇を開く。
「だから、彼氏だったりするの?」
"彼氏"。
それはつまり、恋人のこと。
……ユエくんが?
誰の?
――私の?
「……いやいやいや、違うよ!」
行き過ぎた不安に慌てて私が否定をすれば、彼女は何故かほっとしたように大きく息を吐き出した。
「そっかー、良かった良かった!」
思い切り頬を緩ませたのは、きっと彼女が安堵したからなんだろう。誰が見ても喜んでいると表現するだろう笑顔を浮かべている彼女に、私は少しだけ不思議に思いながらも彼女に視線を当て続ける。
「嬉しそうだね」
「そりゃあね!」
当然のことのように胸を張って、彼女はリラックスした様子で足を組む。椅子に横座りするような形で私の机に片腕をついた彼女は、丸で夢を見るかのようにどこかうっとりとしながらも生き生きとした顔をしていて。
「だってイケメンなんでしょ? 万智が倉前くんから乗り換えなきゃ、私にもチャンスあるかなーってさ!」
「……でも、フランスに恋人とかいるかも……」
しれないし。
そう続ける前に、私は唇を閉じていた。水を差すような発言だと思ったこともあるけれど、どうしてか口にして良いことじゃない気がする。
別に、私に何か関係のある話じゃないし、可能性としては十分有り得る話のはずなのに、何故だか言葉が続けられない。
……いるのかな、彼女。
一瞬浮かんできた疑問に、私はすぐさま頭を降って脳内からそれを追いやった。関係のない話だ。ユエくんに恋人がいるかどうかなんてことは。
……それなのに、どこか引っ掛かって気になるのは、もしかしたら朔ちゃんの占いの結果が未だに忘れられないせいなのかもしれないけれど。
思ったよりも深くは心配していないのか、目の前の彼女は懸念を明るく笑い飛ばした。
「だーいじょうぶ! 遠距離って難しいっぽいし? アタックしまくってればいつかはきっと落ちるって!!」
「ふふ……そうだね」
自信に満ちた表情でそう断言する彼女に、同意を口にして笑ってから、私は少しだけ目を細めて彼女を見つめた。
眩しいと思う。凄いとも感じるし、羨ましいとすら思うことだってある。彼女に限らず、このクラスの女の子は比較的みんな行動力に満ちた子ばっかりだ。
恋愛に対して積極的で、一生懸命に相手に向けて自分のことをアピールできる。そこに迷いが見えることはほとんどない。もちろん、生きた人間が相手の問題だ、時には不安に陥ることだって決してないわけじゃないだろう。その程度は、初恋もまだの私でも想像がつく。
けれどそう。そんな中でも、彼女達の大半は、真っ直ぐに主張していける。
――私にはできないな。
即座に浮かんだ考えに、こっそりと苦笑いした、瞬間。
教室のドアが、高めの音を立てて開かれた。
ざわついていた教室が一気に静寂に満たされる。打って変わった状況に反射的に入り口へと顔を向けて、私も思わず目を留めた。
視界に映ったのは綺麗な銀髪──プラチナブロンドの男の子。
──……ユエくんだ。
先に入ってきた担任の先生と比較するまでもなく高いと分かる身長に、柔らかくも隙の感じられない物腰、細身でもしっかりとした体格。静かな足取りで微かな音も立てることなく入ってくる姿は気品に満ちていて、ただ歩いているだけでも人を惹き付ける何かがある。そんな、完璧な美少年だった。
ついさっきまでクラス内にいる他の男の子達を見ていたせいもあるんだろう、今はその特別さが一層際立って見える。
誰よりも大人びていて、誰よりも落ち着いている、気品のある男の子。
長い睫に白い肌。新品のブレザーも、鞄も、まるで彼の為に特別に誂えた物であるかのように映り、相変わらずのどこか冷めたような雰囲気すらも、彼の堂々とした様子を際立たせる道具の一つになる。
教卓の横に立ち、生徒へと向き直った彼が伏せがちにしていた目を開く。灰色がかった薄青の双眸が真っ直ぐに前方を見据えれば、無表情も威厳の象徴であるかの如く空気を粛然としたものへと変えた。
――やっぱり、凄いなあ……
別の世界から来たかのように特別な雰囲気を纏う人。例えばテレビに出てる芸能人だって、ここまで『違う』と感じる人は今まで見たことがない。その証拠に、さっきまで興味と期待に胸を膨らませてたクラスメイトも、誰一人として発言できずに黙ってる。
しばらくの静寂。
それを終了させたのは、誰かの黄色い声だった。
一人だけのものじゃない、重なり合った複数の大きな悲鳴をきっかけに、全員の時間が動き出す。
「え、何何何!?」
「芸能人!?」
「ウソ……!」
「超カッコ良いんですけどーっ!」
教室中、あちこちから聞こえてくる女の子達の興奮しきった大きな声。いつもならぼんやりと耳にしているだけのそれも、今日ばかりは同意するしかない。これが他の男の子に対する評価だったら大袈裟だと感じることもあるんだろうけど、ユエくんに関しては全く別だ。これだけ女の子達がはしゃいでいても、過剰な反応とは思えない。
それくらい、ユエくんは特別な人で。
「……おいおいおい……」
「ヤベーんじゃねーの……?」
小さな声が耳に入って、ちらりとそっちの方を見る。きっと呟くようなそれは彼らのものだったんだろう、二人の男の子が見つめている方向に、私も視線をそっちに移す。
そうして視界に入ったのは、ユエくんを真っ直ぐに見つめる倉前くんの顔だった。
「…………マジかよ……」
乾いたような声音で紡がれた独り言には、驚愕の色が見て取れる。
きっと、倉前くんはさっきまでの噂話を過大評価だと……男の子達の大半がそう判断していたように、倉前くんの立場を危うくする程の相手じゃないと思っていたんだろう。僅かに目を見開いて、瞬きもせずに視線を動かさない倉前くんには、さっきまでの余裕はどこにも見当たらない。その変化した様子だけで、彼がユエくんに対してどういう評価を下したのかは容易に想像ができる。
しばらくの間ユエくんに視線を奪われていた倉前くんは、唇を強く引き結び、強い眼差しで改めてユエくんのことを見据えた。
そこにあるのは、焦りと……もしかしたら、微かな嫉妬なのかもしれない。
……そんな風に、思えた。
「ヤバい! ヤバいよ!!」
「えーっ!? ウソウソ超ヤバい!」
「彼女持ちかなあ!?」
「ちょ、アンタ早過ぎだから!」
「いやムリでしょ! 落ちるでしょこれは!!」
「しっ! さすがに聞こえるってば!!」
そんな会話を交わしていく女の子達。きっと本人達にとっては潜めているつもりなんだろうその声も、興奮から上擦ったようなものになっていれば大して効果は得られない。聞こえてきた内容の展開の速さにこっそりと苦笑していれば、不意に声が蘇る。
『好きになったら、押していけ、ってこと』
今朝方聞いた、朔ちゃんの言葉。それが何だかとんでもなく気恥ずかしくて、段々と頬に熱が集まっていくのを感じた私は慌てて笑みを消しながら隠れるように俯いた。




