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「こんばんは。予約してました田中です」
「田中様、いつもありがとうございます。お待ちしておりました」
受け取り時間ぴったりに現れたのは、奥様だった。ご来店されるのは少し久しぶりだ。
「主人がね、絶対ここのケーキで誕生日を祝いたいんだって言うんですよ」
もういい年のおじさんなのにね、と微笑む。その微笑みは、私にはあまりに眩しく見えた。
「心を込めて、作らせていただきました」
私は一度ケーキを見せた。その瞬間の奥様の表情は、宝石箱を開けた少女のようだった。これだから、私は誕生日ケーキを作るのが一番好きだ。いくつになっても、大きくて立派なケーキはわくわくする。
「うわぁ、すごい綺麗……! リボンがついてて、プレゼントみたい」
「ありがとうございます。梱包致しますね。持ち運びのお時間はどのくらいでしょうか?」
「すぐ帰るから、十分もかからないわ」
「かしこまりました」
田中様ご夫婦は、この近くに住んでいるらしい。お子様はいないが、二匹の猫と暮らしていると以前話してくれた。猫の写真も見せてくれた。たしか、毛が長くてふわふわで、青い目の猫だった。
「猫ちゃんたちはお元気ですか?」
「ええ、元気にしてますよ。今は抜け毛がすごくって、毛糸玉が作れるくらいなんです」
白い化粧箱に崩さないよう慎重に入れ、蓋を閉めてから、ちらりと奥様を見る。少し、お痩せになったかな? と笑ったときの頬を見て感じた。ふっくらしていた頬が、すっとスッキリしたような気がする。
「ご主人様にも、おめでとうございますとお伝えください」
「はい、ありがとうございます」
そっと大切そうに箱を持つ奥様を見送って、私は可南子ちゃんと薄暗くなっていく空を見た。梅雨入りしてから雨は少ない。もうすぐ夏が来るんだな、と夏の空を想いながら、また店の中に戻った。
今野先生がシュークリームを大量に購入してくれたのと、可南子ちゃんの宣伝のおかげで、シュークリームは五つ残った。私は二つ、櫻井も二つ、可南子ちゃんは一つおみやげとして持ち帰ることになった。
今夜は、久しぶりに小学生からの親友――葉瑠が遊びに来る予定だったので、あまりものではあるがちょうどいい手土産ができた。
ただいまーと、誰もいない家に帰る。新一の靴はない。リビングの電気をつけて、キッチンのシンクを覗き見る。朝食後の皿が残っていた。私が朝家を出たときのままだ。寝室の明かりをつける。ベッドも、今朝私が抜け出たときのまま、なんの変化もない。新一が帰ってきた様子はなかった。
「じゃーん、別れたって聞いたから、失恋には甘いものー」
玄関を開けると、泡立てた生クリームのようにふわふわした髪の毛の葉瑠が立っていた。この前会ったのは、三ヶ月前。ロングヘアだったが、今は肩につくくらいの短さだ。
「髪、切ったの?」
「そう、気分転換にね」
はい、と手渡されたのは駅近くに最近できたチョコレート専門店の紙袋だった。
「チョコレート?」
「そう、生チョコ。だって、新一くんと別れたんでしょ? いよいよ結婚かと思ってたのになー」
それは、私も同じだ。
付き合って十六年は長すぎる。
「付き合って何年だった? 十四?」
「十六」
「私の結婚生活よりはるかに長い。付き合った期間を入れても、熟年夫婦並みよねぇ」
そうだ。本当に、私たちの付き合いは長かった。
「というわけで、今夜は失恋パーティーだね」
葉瑠は、他にもデパ地下のお惣菜や缶チューハイを買って来てくれた。ソファの前のローテーブルに買って来たもの全部を並べて、ソファに座る。「飲も飲も」と葉瑠が勢いよく缶を開けて、ビールのCMのようにぐびぐび音を立てて飲んだ。
あ、お酒、と思った私の一瞬に、葉瑠はふぅーっと息を吐いて「ダメだった」と言葉も吐き出した。
私はなんて答えようかと悩んで、同じように缶を開け、ごくごく飲んでから「逆プロポーズ、するつもりだった」と誰にも言えなかった言葉を吐く。
「お互い、うまくいかないね」
葉瑠が言ったその一言が、私にはなにより寂しかった。どうしようもできないことが、人生にはある。どれだけ頑張って辛い不妊治療を続けても、子どもができるとは限らないし、どれほど誰かを想っていても、結末がハッピーエンドとは限らない。
「身体は大丈夫?」
不妊治療がどんなものかは、私にはよくわからない。だけど、葉瑠から聞く限りは楽じゃないことくらいよくわかる。ただただ、葉瑠の身体が心配だった。
「うん、まあまあかな」
葉瑠は膝を抱える。白い半袖シャツから伸びた細い腕で、強く抱えているように見えた。




