5
「新一さ、私の人生に僕は必要ないって言ったんだ」
「おー、言うねぇ」
葉瑠は弱々しく笑いながら言った。
「私の人生には、新一が必要だってなんでわからないんだろ。こんだけ長く付き合ったら、わかるでしょ普通」
「長すぎたね、ほんとに」
葉瑠はまた缶チューハイを一口飲んで「大丈夫?」と訊ねた。
「……え?」
私は大丈夫かどうか訊かれたことに、なぜか驚いた。
「私、大丈夫そうに見えない?」
ショックは当然大きかったけれど、そこまでに見えるのだろうか。
「いや、なんていうか……」
私の顔をまじまじと見つめて「まだ、意味がよくわかってない感じがする」と答える。
「まあ、突然の話だったから、まだ実感がないのかも」
十六年間新一と過ごした日々はあまりに大きすぎて、お酒も回ってきた今となっては、もしかして夢だったんじゃ……? とさえ思えてきた。
「なんで今さら急に、そんな話になったのかな」
「それ、私も思ったんだよね。危機的な瞬間は、今までたくさんあったのに。最近は喧嘩も全くなかったし、平和だったのに」
「あー、それだ」
葉瑠は私に向かって指を指す。
「なに?」
「女ができたんじゃない?」
「……え? 新一に?」
まさかー、と私は笑い飛ばす。でもすぐに、そうなの? と疑問に変わる。
「十六年間も付き合ったから、刺激がなくなって別の人に目移りした可能性はない?」
新一に限ってそんなこと、あるはずがない。
私は振られた今でも、新一が浮気をするような人間ではないと思っている。浮気をするチャンスだって、それこそこの十六年間の間にたくさんあったはずだ。
「だって、プロポーズも断ったじゃん?」
「断ってないって」
二十九歳のとき、つまり新一と同棲を始める一年ほど前の話だ。新一から結婚しようとプロポーズされた。私の答えはもちろん「イエス」だった。でも、来年店を出すことは決まっていたので、結婚するのは店を出して落ち着いてからにしたいと言った。新一も「そうだね、その方がいいよ」と言っていた。
「別に、結婚すればよかったのに。式挙げない人だっていっぱいいるんだから。籍入れるのなんて、紙一枚でできちゃうよ」
そんなこと、私だってよくわかっている。だけど、なんとなく自分の中でしっかりとしたけじめをつけたかった。
「ちゃんと店を持って、安定してから、結婚したかったの。ちゃんとできてますよって証明したくって」
「誰に?」
葉瑠はエビやイクラが乗った豪勢なサラダをぱくっと口に入れ、咀嚼しながら訊ねる。
「誰って、みんなだよ。友達とか、親とか」
私もエビをつまむ。ぷりぷりで、身が引き締まっていた。
「結婚って、ふたりで一組なんだから、力を合わせて乗り越えることだってできたと思うけどなぁ。新一くん、結構サポート力ありそうだし? そのつもりで、そのタイミングで言ったんじゃないの?」
プロポーズをしてくれた夜。新一は夜景が見える綺麗なイタリアンへ連れて行ってくれた。真っ赤なバラの花束をくれて、緊張した面持ちだった。私にとって同棲は、籍こそいれていなくても、結婚同然だった。二十九歳で結婚するのと、三十四歳の今結婚するのとでは、一体なにが違うというのだろう。今の方が、稼ぎは安定しているし、家を買うとか、家族設計も立てやすい。フランスでの修行や、日本に帰国してからの稼ぎはいいとは言えなかった。新一も、大学卒業後に家具の輸入会社に入ったが、二十八歳のときに今度は家具の販売営業の会社へ転職した。私たちはどちらも、二十九歳の頃は不安定だったはず。
「きょう、泊まっていい?」
「最初からそのつもりでしょ」
バレたか、と葉瑠は笑って、食べて飲んで、シュークリームも生チョコも全部平らげて、ソファの上で眠ってしまった。寝室から薄いかけ布団を持ってきて、葉瑠にかける。
時刻は、真夜中。深夜一時。
食べた後のごみをまとめて、キッチンのシンクに食器を置く。洗いながら、眠る葉瑠を見て「あれ?」と思う。
眠たくない。
今朝も早かった。大量のシュークリームだけでなく、ケーキも焼き菓子もたくさん作った。いつもは見た夢さえ覚えていないくらい、爆睡してしまう。それなのに、ちっとも眠たくない。
食器を洗い終わったあと、静かに電気を消して、寝室へ行った。
カーテンを開けて、ベッドに腰かけてから真夜中の街を観察する。まだ向かいのアパートの明かりがいくつもついている。少し離れた一軒家も、二階の部屋に電気がついていた。こんな時間でも、起きている人は案外いるんだなぁ、なんてのんきに考えた。




