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シュクルは厨房と売り場がガラスの壁で見えるようになっている。お客様の入りや、表情までしっかり確認できて、私たちにとっても嬉しい。時々、厨房で作業中にお客様の視線を感じることもあり、刺激になる。
可南子ちゃんは忙しいときでもニコニコ、楽しそうに嬉しそうに接客してくれるから、お客様も居心地がいいだろう。
男女のふたりが来店し、ガラスケースの前でなにやら悩んでいる。可南子ちゃんは「お決まりでしたら、お声かけください」と伝えた。
「どれにしようか、迷ってしまって」
「ありがとうございます。当店は初めてでしょうか?」
可南子ちゃんは人の顔もよく覚えている。人の顔をなかなか覚えられない私にとって、本当に天使に見えた。
「はい。美味しいとSNSで見て」
「ありがとうございます。でしたら、当店の看板はオペラケーキです。しっとりとしたチョコレートのケーキで、様々ペーストや生地が七層に重ねられています。コーヒーを使用しているので、苦味が甘さを引き立ててくれます」
女性が「これね」とオペラを指差した。
「いいんじゃない? コーヒー好きだったよね、お母さん」
「コーヒーがお好きな方でしたら、おすすめですよ」
「じゃあ、これと……これも」
私はお客様が指をさし示すケーキを取り出し、箱に詰める。
「本日はシュークリームもおすすめですよ。クッキー生地のザクザクとした食感と、中のクリームはカスタードと生クリームの二層になっていて、ふわふわとろとろです」
「美味しそう。じゃあ、それも二つお願いします」
ケーキ、シュークリームを計五つ購入してくださり、嬉しそうに店を出て行った。
「ありがとうございました」
入れ替わるように、また男女一組が来店する。ひとりの顔を見て「あ」となった。
「こんにちは。ずいぶん、賑わってるね」
彼は今野悟。私が二年通った製菓専門学校の講師で、有名パティシエだ。世界で最も力のあるパティシエコンテストで優勝をするほどの実力があり、学校の講師とパティシエの二足の草鞋を履いている。
「お久しぶりです、今野先生」
「僕より、佐藤さんの方がすっかり先生だよ」
今野先生はすらりと背が高く、一緒にいる女性がかなり小さく見えた。それに、とても若い。誰だろう。
「こちら、シュクルのオーナーシェフ、パティシエールの佐藤夏帆さん。彼女は、僕の生徒の中邑汐梨さん」
ああ、生徒か。通りで、若いはずだ。
中邑さんは、頬を少し赤くして小さな声で「はじめまして」と言った。
「じゃあ、店内で食べていこうかな。僕はね、おすすめ盛り合わせとカプチーノ、ホットで。中邑さんは?」
今野先生はメニューを見てささっと決めた。
「じゃあ……私も、先生と同じものでお願いします」
店内のケーキメニューはふたつ。ひとつはお客様が店頭に並ぶケーキからひとつ、お好きなものを選べるメニュー。もうひとつは、店の一押しを少しずつ楽しめる、おすすめ盛り合わせプレート。こっちは日によって内容が変わる。ドリンクメニューは紅茶かエスプレッソ。それぞれホット、アイス。紅茶はミルク、レモン、ストレート。エスプレッソはアメリカーノ、カフェラテ、カプチーノ。お子様にはリンゴジュース、オレンジジュースが選べる。店内は増築したとはいえ、四人席テーブルが三つあるだけでそこまで広くはない。
「ありがとうございます。すぐご用意いたしますね」
可南子ちゃんが席まで案内して、小走りで私のところへ戻って来ると「イケメンですね、先生」とこそっと言った。
「なんでパティシエって、モテるんだろう」
私なんてさっぱりだ。これから先も、たとえこの業界で有名になったとしてもモテそうにない。
「今野先生は既婚者だからね」
可南子ちゃんの丸くて柔らかそうな頬が膨らんだ。
「あー、残念」
コーヒーの香りが漂う。可南子ちゃんが小さな白いカップにエスプレッソを入れ、温めて泡立てたミルクをさらに注ぐ。きめ細かい泡がクリーミーで美味しい。
きょうのおすすめ盛り合わせは、レモンとホワイトチョコレートのマカロン、メロンのシャルロット・オ・フリュイ、パッションフルーツのババロア。爽やかな一皿になっている。
私と可南子ちゃんでカプチーノと盛り合わせた皿を運ぶ。
「わぁ、すごい。どれも美味しそう」
中邑さんが思わず口の前に手をやる。
「さすが、ダミアン・メルシエのところで働いた実力経験者だね」
「え? あの、ダミアン・メルシエですか?」
私はその名前に思わず苦笑する。なぜか口の中まで苦くなった。
「んー、美味しいね。このシャルロットは絶品だ」
「今野先生、褒めてもなにも出ませんよ」
「いや本当だよ。自分の生徒がここまで立派になっているなんて、本当に誇らしい」
中邑さんは、一口ずつ丁寧に口に運び、うんうんと何度も頷きながら食べている。そして、今野先生を見て、大きくうんと頷いた。今野先生も頷く。
「あの、こちらでアルバイトの募集などされていませんか?」
「……え? アルバイト、ですか?」
「週二日、土日だけでも、どうかお願いできないでしょうか?」
「ええと……」
私が困っていると、今野先生は優雅にカプチーノを飲みながら「将来、彼女もきっと素晴らしいパティシエールになると思うんだよねぇ」とささやくように言う。
「学生向けのコンクールで、中邑さんは金賞を取ったんだ。だからこそ、佐藤さんのこのお店で、少しでもいい経験ができないかなと思って。もちろん、無理にとは言わないよ」
あー、そういうことか、と私も納得して頷いた。おそらく中邑さんは、今野先生のお気に入りなんだ。それでここへ連れて来たわけか。
学生のコンテストはいろいろある。私もかつて今野先生からの助言もあって応募した。惜しくも銀賞だったが、そうか、この子は金賞を。
私はまじまじと中邑さんを見る。
「金賞、それはすごいですね。それならなおさら、今野先生のお店で経験を積ませてあげた方がいいんじゃないですか?」
「いや、佐藤さん以外、適任はいないよ」
ええ? と私は動揺して、言葉に詰まる。
そこまで言い切るなんて。
「とりあえず、きょうはおみやげがたくさん必要だから、なにか買っていこうかな」
ぺろりと平らげると、今野先生はガラスケースの前でうーんも首を捻り、一度私の方を見て「このシュークリームって、いくつある?」と訊ねた。
「本日はシュークリームもおすすめなので、たくさんご用意できますよ」
困った私を見て、可南子ちゃんが代わりに笑顔で答えてくれた。
「二十個とか、注文しても大丈夫かな?」
「二十個……! はい、大丈夫ですよ、ご用意できます」
さては、私への賄賂だな。
声には出さなかったが、私はそういう目で今野先生を見る。でも、今野先生の方が上手だった。怪しく笑って「そういえば、佐藤さんは昔から悩み事があると必ずシュークリームを作ってたよね?」と言った。
「そうでしたっけ?」
なんでみんな、それを知っているんだろう。シュークリームを配り歩いた記憶はないのに。昔はシュークリームの生地がうまくできなくて、何度も何度も失敗しながら焼いた。だからか、考え事をしているときは無意識で作ってしまう。
「シュークリームも美味しそうですね。ケーキもどれもキラキラしてます」
「中邑さんも食べる?」
「いいんですか?」
「じゃあ、二十一個お願いします」
今野先生は、二十一個のシュークリームが入った紙袋を両手にぶら下げて、帰り際に「返事はまた今度でいいから、考えてみて」と言った。
「ありがとうございました」
可南子ちゃんとふたりで並んで挨拶したが、心の中では「厄介な頼み事をしていったな、しかも断りにくい」と文句を言う。考えるとは、一体……なにを?
「バイト募集、してみます?」
可南子ちゃんが訊ねた。可南子ちゃんは今は正社員で働いてもらっている。そうでなければ、シュクルは回っていかない。だけど近頃、ありがたいことにまた少しずつ忙しくなってきた。可南子ちゃんの負担を考えると、バイトがひとりいる方がいいのかもしれない。
「バイトかぁ」
週末なら間違いなく忙しい。週末だけのバイトなら、確かに都合はいい。
ガラスケースの中に並ぶケーキをぼんやりと見つめながら、私はまた昨晩を思い出した。製菓専門学校を卒業してフランスへ行くと覚悟を決めたのは、正直今野先生の後押しもあった。「佐藤さんには才能があるよ。フランスのパティスリーを見れば、刺激もたくさんもらえるだろうし。なにせまだまだ若いんだから、やりたいことはとことんやるべきだよ」なんて言っていたっけ。さっきの子にも、同じように背中を押しているんだろうな。
今野先生はパティシエとして有名なのに、店より学校の先生業の方を熱心に行っている。フランスへ渡る前にその理由を聞いて――。
「いらっしゃいませ」
可南子ちゃんの声に、現実へ引き戻された。
私たちはバタバタとケーキを出し、箱に詰め、会計をし、ケーキをまた補充してを繰り返し、あっという間に日が暮れた。バイトのことは、一旦頭の片隅へとやった。




