66 ボール
翌日。
鼎が公民館へ入ると、朝日が机の上に書類を広げていた。
「鼎、これお願い」
「おはようございますより先に仕事ですか」
「おはよう。これお願い」
「順番直しただけじゃないですか」
「何か問題ある?」
「ないです」
「よろしい」
差し出された書類を受け取ると、近くにいた辰野が笑った。
「朝から元気だな」
「俺は普通に挨拶したかっただけなんだけど」
「できたじゃん」
「何か違うんだよなあ」
いつもの朝だった。
美羽と葵は少し離れた机で記録を確認し、凪は朝日と今日の予定について話している。
秋山も自分の席で資料を読んでいた。
鼎が席へ向かおうとした時、資料室から五和が出てきた。
「あ」
「何だ」
「いや」
一拍。
「おはようございます」
「ああ」
五和はそのまま横を通っていく。
鼎も振り返らなかった。
気まずくないと言えば嘘になる。
あれだけぶつかったのだから、すぐに何事もなかったようには戻れない。
だからといって、避けたいわけでもなかった。
「鼎」
「ん?」
美羽が向かいへ座る。
「聞かないの?」
何を、とは聞かなかった。
「……聞きたいよ」
「じゃあ、聞けば?」
「今はいいかな」
美羽は少しだけ鼎を見る。
「そっか」
「うん」
それ以上は聞かなかった。
鼎も、それ以上は話さなかった。
聞きたい気持ちがなくなったわけではない。
五和が話さないことに納得したわけでもない。
ただ、昨日までとは少し違う。
自分が何を知りたいのかは、もう伝えた。
「よし」
鼎は書類を持ち上げる。
「仕事するか」
「最初からして」
「今から本気出す」
「朝日さんに言おうかな」
「やめて。仕事増えるから」
*
昼を過ぎる頃には、朝の気まずさも少し薄れていた。
五和とも何度か顔を合わせた。
必要なことを話す分には、いつもと変わらない。
無理に元へ戻そうとしなくても、仕事はできる。
話すこともできる。
少なくとも、今日はそれでよかった。
*
夕方。
皆が帰り支度を始めた頃、鼎は確認の終わった書類を抱えて資料室へ向かった。
「五和さん」
「何だ」
「朝日さんから。確認終わったやつです」
「ああ」
五和が受け取る。
「じゃ、お願いします」
鼎が扉へ向かう。
「鼎」
「はい?」
振り返る。
五和がこちらを見ていた。
「今日は何も聞かないんだな」
一瞬、間が空いた。
まさか五和の方から、その話を出すとは思わなかった。
「……父さんのこと?」
「ああ」
「聞いてほしいんですか?」
「そうは言ってない」
「じゃあ聞きません」
五和が黙る。
「何ですか」
「いや」
「五和さんから振ったんでしょう」
「ああ」
「相変わらず面倒くさいなあ」
「お前に言われたくない」
「それは否定できない」
少しだけ、空気が緩んだ。
鼎は五和を見る。
「聞きたいですよ」
「ああ」
「そこは変わってないです」
五和は何も言わない。
昨日までなら、ここからまた問いを重ねていたかもしれない。
答えてくれるまで。
何か一つでも引き出せるまで。
けれど、もう自分の問いは五和へ届いている。
「でも」
鼎は一度、言葉を止めた。
「今度は五和さんが決めてください」
「何を」
「話すかどうか」
五和の表情は変わらない。
「俺が知りたいことは」
鼎は続ける。
「もう伝えたから」
それ以上は言わなかった。
聞きたい気持ちを捨てたわけではない。
諦めたわけでもない。
ただ。
今度は、五和の番だった。
「じゃ」
鼎は扉へ向かう。
「お疲れさまです」
「ああ」
*
「遅い」
外では美羽たちが待っていた。
「ごめんごめん」
「何してたの?」
「書類渡してただけ」
歩き出す。
美羽が隣へ来た。
「聞いた?」
「聞いてない」
「そっか」
「うん」
それだけで美羽には通じたようだった。
公民館から少し離れたところで、鼎は一度だけ振り返った。
まだ窓には灯りがついている。
「鼎?」
「何でもない」
「またそれ?」
「今日は本当に何でもない」
「怪しい」
「信用ねえなあ」
美羽が笑う。
鼎も笑って、皆の後を追った。
*
資料室。
五和は一人、机に向かっていた。
――今度は五和さんが決めてください。
その言葉だけが残っていた。
問いは、もう渡されている。
答えるのか。
まだ黙るのか。
今度は。
五和が決める番だった。




