62 父の顔
翌日。
鼎は、いつもより少し早く公民館へ来ていた。
鞄の中には、一枚の写真が入っている。
父親と五和。
二人が並んで写っている。
昨夜、何度も見た。
見れば見るほど、間違いなく五和だった。
*
資料室の扉は開いていた。
中には五和がいる。
「五和さん」
「何だ」
「ちょっといいです?」
「ああ」
鼎は向かいへ座る。
五和が資料を閉じた。
「今度は何だ」
「最近よく来るって言いたいんですか」
「実際そうだろ」
「用があるんだから仕方ないでしょ」
鼎は鞄を開いた。
「昨日」
一枚の写真を取り出す。
「父さんの部屋に入りました」
五和の目が僅かに動いた。
「そうか」
「……それだけ?」
「他に何を言えばいい」
「俺にとっては結構大変だったんですけどね」
「そうか」
「そうなんですよ」
鼎は苦笑する。
五和なら、たぶんこんな反応だろうとは思っていた。
それでも、誰かに言いたかった。
ずっと開けられなかったあの部屋へ、自分で入ったことを。
それから、写真を机へ置いた。
「これが出てきました」
五和が見る。
その目が止まった。
「……懐かしいな」
初めて、五和の側から過去を知っている言葉が出た。
「覚えてるんですね」
「ああ」
「何してた時です?」
五和は写真を手に取る。
「調査だ」
「境界の?」
「ああ」
「父さんと二人で?」
「他にもいた」
「アカライの人?」
「ああ」
鼎は少し間を置いた。
写真の中にいる父親を見る。
「父さんも、アカライだったんですか?」
五和は写真を見たまま答える。
「正式に所属していた時期はある」
「時期?」
「ずっとではない」
「辞めたんですか」
「少し違う」
五和が写真を机へ戻した。
「途中から、アカライと距離を置いていた」
「何で?」
「そこは」
一拍。
「本人にしか分からない部分もある」
「五和さんにも?」
「ああ」
鼎はそれ以上聞かなかった。
話せないのではなく、五和にも分からない。
なら、答えを求めても仕方がない。
以前なら、その二つの違いを気にしなかったかもしれない。
「じゃあ」
鼎は写真を指す。
「この頃の父さんって、どんな人でした?」
「お前の方が知ってるだろ」
「俺が知ってるのは」
鼎は写真を見る。
「父親としての父さんです」
五和も写真へ目を落とした。
少しの間があった。
「……面倒な男だった」
「いきなり悪口?」
「知りたがる。疑う。勝手に調べる。納得するまで止まらない」
「悪化してません?」
五和が僅かに笑う。
「ただ」
その声が少し変わった。
「人の話は聞く男だった。自分の考えを持っていたが、それが正しいとは決めなかった」
一拍。
「分からないものを、分からないまま見ていられる人間だった」
「……」
鼎は写真を見る。
自分の知らなかった父親の顔。
けれど、不思議と知らない人間の話を聞いている気はしなかった。
家で昔話をしていた父親。
知らない土地へ行けば、そこに残っている話を調べていた父親。
自分が知っている父親と、五和が知っている男が少しだけ重なった。
「……父さんらしいな」
「ああ」
*
鼎は写真を手に取った。
「五和さん」
「何だ」
「父さんって」
少し考える。
「何で、そんなに境界を調べてたんです?」
五和が黙る。
鼎は待った。
昨日までなら、この沈黙だけで「話せない」と判断していたかもしれない。
今は、五和自身が言葉を選ぶ時間なのだと思って待った。
やがて、五和が口を開く。
「お前の父親は、最初から何かを探していたわけじゃない」
鼎が顔を上げた。
「……え?」
「最初は、ただ知りたかっただけだ」
「何を?」
「境界が何なのか。なぜ伝承と重なるのか。人間が何を見て、何を残してきたのか」
鼎は黙って聞いていた。
石碑。
祠。
昔話。
子供の頃、父親と歩いた場所が浮かぶ。
――大事なのは、怪物がいるかどうかじゃない。
――なぜ、人はその話を残したのかだ。
昔聞いた言葉と、今の五和の言葉が重なる。
「……父さんらしいな」
「ああ」
「じゃあ」
鼎は五和を見る。
「ずっと、それを調べてたんですか?」
五和は答えなかった。
ほんの短い沈黙。
けれど。
今まで何度も五和の沈黙を見てきた鼎には、それだけで十分だった。
知らない時の沈黙とは違う。
「……途中で」
一拍。
「何か変わった?」
五和は、今度こそ答えなかった。
鼎も、それ以上は聞かなかった。
写真を見る。
父親。
五和。
アカライ。
境界。
今まで別々に知っていたものが、少しずつ同じ時間の中へ繋がっていく。
けれど。
繋がったことで、逆に見えなくなったものがある。
父親が境界を追っていた理由。
最初は、ただ知りたかった。
なら。
途中から父親は、何を探し始めたのか。
その先だけが、まだ見えなかった。




