60 開かれた扉
家に帰り、玄関を開ける。
「ただいま」
返事を期待したわけではない。
昔からの癖だった。
靴を脱ぎ、廊下を進む。
そして、足が止まった。
父親の部屋。
「……」
閉じた扉。
昨日、ここまで来た。
その向こうに何があるのかを、知りたいと思った。
そして今日。
五和に言った。
――俺も、自分で調べます。
「……」
鼎は扉の前に立つ。
父親がいなくなってから、一度も開けていない。
中に怖いものがあるわけではない。
机がある。
椅子がある。
本がある。
父親が使っていたものが、そのまま残っている。
そこに、父親だけがいない。
それを見るのが、ずっと怖かった。
「……父さん」
返事はない。
分かっている。
鼎はドアノブへ手を伸ばした。
冷たい。
握る。
胸の奥が重くなる。
境界へ入った時とは違う。
あそこでは、何が起こるか分からなかった。
この扉の向こうは、何があるのか大体分かっている。
だから。
怖い。
「……参ったな」
小さく息を吐く。
「境界より、こっちの方が入りづらいじゃん」
冗談のつもりだった。
笑えなかった。
手に力を入れる。
それでも、まだ回せない。
「……格好悪いな」
口にすると、少しだけ楽になった。
怖い。
だったら。
怖いままでいい。
別に。
平気になるまで待つ必要はない。
「……よし」
鼎は息を吐いた。
そして、ドアノブを回した。
小さな音。
扉が開く。
「……」
何も起きなかった。
時間が狂うこともない。
知らない場所へ繋がることもない。
ただ、父親の部屋があった。
カーテンの隙間から差し込む夕方の光。
机。
椅子。
本棚。
積まれた本。
壁に掛かったままの上着。
覚えている。
全部。
そして、覚えている通りだった。
「……そっか」
胸の奥が痛んだ。
父親はいない。
そんなことは、扉を閉じていたって変わらない。
知っていた。
ずっと。
ただ、見ないようにしていただけだった。
鼎は入口に立ったまま、しばらく部屋を見る。
それから。
一歩、中へ入った。
床が小さく鳴る。
境界でもない。
怪異でもない。
誰かに言われたわけでもない。
自分で決めて。
自分で入った。
「……お邪魔します」
言ってから、鼎は眉を寄せた。
「いや、俺ん家だろ」
少しだけ笑った。
振り返る。
扉は、開いたままだった。




