59 待たない
翌日。
公民館へ着いてからも、昨夜浮かんだ疑問は鼎の頭に残っていた。
――父さんは、何を探してたんだ?
考えても答えは出ない。
父親が境界を調べていたことは分かっている。
五和と一緒に調査していたことも。
なら、知っている人間に聞けばいい。
「……なんだけどなあ」
「何が?」
隣にいた美羽が顔を上げた。
「いや、こっちの話」
「最近それ多いよね」
「何が?」
「一人で考えて、一人で喋るやつ」
「まだ独り言の範囲だから大丈夫」
「何が大丈夫なの?」
「俺にも分からん」
美羽が呆れたように笑う。
鼎も笑った。
それから、視線を上げる。
資料室。
扉は開いている。
中には五和がいる。
父親を知っている男。
鼎はこれまで、五和が話すのを待っていた。
聞いても答えない。
今は話せない。
なら、話せる時が来るまで仕方がない。
どこかで、そう思っていた。
けれど。
待っているだけでは、何も変わらない。
父親がいなくなった時と同じように、知らないまま残されるだけだ。
もう、それは嫌だった。
*
昼過ぎ。
鼎は資料室の前で足を止めた。
五和が顔を上げる。
「何だ」
「まだ何も言ってないんですけど」
「用があるから立ってるんだろ」
「まあ、そうですけど」
「入れ」
「はい」
鼎は資料室へ入り、向かいの椅子へ座った。
五和が読んでいた資料を閉じる。
「それで?」
「父さんのことです」
五和の表情は変わらない。
「前に、父さんとは調査仲間だったって言いましたよね」
「ああ」
「一緒に境界を調べてた」
「ああ」
「俺も、それで納得してました」
五和の目が僅かに動く。
「父さんは境界を調べてた。だから、探してたものも境界だったんだって」
鼎は五和を見る。
「でも、それって同じじゃないですよね」
五和は何も言わない。
「境界を調べてたからって、探してたものまで境界だったとは限らない」
「そう思ったのか」
「はい」
否定しない。
肯定もしない。
それでも、今の鼎には十分だった。
少なくとも、見当違いだと切り捨てられたわけではない。
「五和さん」
「何だ」
「父さんは、何を探してたんですか」
初めて、そこまで聞いた。
資料室が静かになる。
外から誰かの話し声が微かに聞こえていた。
日常の音だけが、扉の向こうにある。
やがて、五和が口を開いた。
「それは、まだ話せない」
「……やっぱりそう来るか」
鼎は小さく息を吐いた。
予想していた。
それでも、実際に言われれば腹は立つ。
「何でです?」
「今のお前に話すべきことじゃない」
その言葉に、鼎は少しだけ黙った。
話せない理由を聞いたはずだった。
けれど返ってきたのは、理由ではない。
自分に話すべきかどうかという、五和の判断だった。
「それ、五和さんが決めるんですよね」
「ああ」
「俺じゃなくて」
「ああ」
「そこなんだよなあ……」
腹が立たないわけではない。
知っているなら、話してほしい。
父親のことなら、なおさら。
でも。
五和が面白がって隠しているわけではない。
何か理由があって黙っている。
それも分かっている。
だからこそ、全部を無理に聞き出したいわけでもなかった。
「じゃあ、聞き方変えます」
「何だ」
「父さんが何を探してたのかは、今は話せない」
「ああ」
「でも、父さんのこと全部が話せないわけじゃないですよね」
五和が黙った。
「調査仲間だったんでしょ?」
「ああ」
「だったら」
鼎は一度、言葉を選ぶ。
「俺が知らない父さんのこと、五和さんは知ってますよね」
「……知っている」
「じゃあ、教えてください」
「何を」
「俺が知ってもいいことからでいいです」
五和が鼎を見る。
「全部話せとは言いません」
「……」
「話せない理由があるなら、それも今は聞きません」
一拍。
「でも」
鼎の声から、少しだけ軽さが消えた。
「何も知らないまま待つのは、もう嫌です」
五和は黙っている。
「父さんがいなくなった時、俺は何も知らなかった」
何をしていたのか。
どこへ行ったのか。
なぜ、帰ってこなかったのか。
あの時は、知ろうともしなかった。
いつか帰ってくると思っていた。
何かあるなら、そのうち話してくれると思っていた。
でも。
その「いつか」は来なかった。
「だからって、五和さんに全部教えてもらえばいいとは思ってません」
鼎は五和を見る。
「俺も、自分で調べます」
沈黙。
鼎は急かさなかった。
聞くことはできる。
けれど、答えることまで強制はできない。
今はそれでいい。
ただ、もう何もせずに待つつもりはなかった。
やがて、五和が口を開く。
「分かった」
「……本当に?」
「全部は話せない」
「はい」
「だが、お前が知っていいことまで黙っているつもりはない」
「約束できます?」
「しつこい」
「大事なところなんで」
「分かったと言っただろ」
「五和さん、言葉少ないから確認が必要なんですよ」
「お前が多いんだ」
「足して二で割ったら丁度いいですね」
「嫌だ」
「即答かよ」
少しだけ、空気が緩んだ。
答えを聞けたわけではない。
それでも、来た時とは何かが違っていた。
鼎は立ち上がる。
「じゃあ、今日はこれで」
「ああ」
扉へ向かい、足を止める。
「五和さん」
「何だ」
「俺も調べますから」
振り返る。
「父さんのこと」
「……そうか」
「止めないんですね」
「止めてもやるだろ」
「よく分かってきましたね」
「最初から分かってる」
「それはそれで腹立つな」
鼎は苦笑して、資料室を出た。
*
扉が閉まる。
五和は一人になった。
――俺も、自分で調べます。
その言葉だけが、しばらく耳に残っていた。
やがて、机の引き出しへ手を掛ける。
鍵を開けた。
一冊の古い記録。
五和はそれを取り出し、机へ置いた。
「……」
今まで、開かなかった記録。
五和は椅子へ座り直した。
そして静かに、最初のページを開いた。




