56 交差点
昼過ぎ。
鼎は公民館の机に広げた資料を眺めていた。
「鼎」
顔を上げる。
五和が資料室の前に立っていた。
「少しいいか」
「はい」
*
資料室へ入ると、机の上には千永花の記録が置かれていた。
「まだ調べてるんですか?」
「確認したいことがある。座れ」
鼎が向かいへ座る。
五和は記録を開いた。
「写真を撮った時、本当に一輪だったんだな」
「はい」
「二輪目に気づいたのは?」
「帰る前です」
「写真を確認した時は?」
「もう写ってました」
「体調や周囲に変化は?」
「特には」
「確かか」
「……絶対とは言えないですけど」
「それでいい」
五和は記録へ目を落とした。
何度聞かれても、鼎が答えられることは同じだった。
撮影した時に見えていたのは一輪。
写真に残ったのは二輪。
その間に何があったのかは、自分にも分からない。
「これ、そんなに重要なんですか?」
「分からん」
「分からんのかい」
「だから調べてる」
「……ですよね」
五和は記録を閉じた。
「俺だけ違ったから?」
「ああ」
特別だとも。
異常だとも言わない。
ただ、他と違ったから確認する。
五和らしかった。
それが少しだけ、鼎にはありがたかった。
「じゃ、戻ります」
「ああ」
鼎が立ち上がる。
「鼎」
「はい?」
「……」
五和は何かを言おうとして、やめた。
「何です?」
「いや」
「言いかけてやめるの、やめません?」
「仕事しろ」
「はいはい」
鼎は資料室を出た。
扉が閉まる直前、一度だけ振り返る。
五和はもう、記録へ視線を戻していた。
*
廊下では、秋山が棚から資料を抜き出していた。
「秋山さんも調べものですか?」
「はい」
見ると、境界についての記録だけではない。
アカライそのものについての資料も混じっている。
「アカライのこと調べてるんですか?」
「知らないことが多いと思いまして」
「まあ、俺も知らないことばっかりですけどね」
秋山は少し考えた。
「千曲さんは、アカライをどう思いますか?」
「急ですね」
「申し訳ありません」
「いや、いいですけど」
鼎は腕を組んだ。
改めて聞かれると、すぐには言葉が出てこない。
試験を受けて。
境界へ入り。
分からないものを何度も見てきた。
五和に何度も「決めるな」と言われた。
「変なところですよね」
「変?」
「境界とか伝承とか調べてて、拠点が公民館で、変な人も多いし」
「最後は誰を指しているのでしょう」
「言いません」
秋山が僅かに笑った。
「でも」
鼎は続ける。
「悪いところだとは思ってないです」
「なぜです?」
「……分からないものを、分かったことにしないからですかね」
秋山が黙る。
鼎は棚に並んだ資料を見る。
「境界って、分からないことばっかりじゃないですか」
千永花もそうだった。
同じものを見ても、全員違った。
それでも、誰か一人の見たものを正解にはしなかった。
「勝手に怖いものにしたり、決めつけたりしない。見て、調べる。それでも分からなかったら、分からないって言う」
鼎は少し笑った。
「俺は、そういうところは好きですよ」
「……そうですか」
秋山は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
「なんで秋山さんがお礼言うんです?」
「聞いたのは私ですから」
「そういうもん?」
「そういうものです」
「朝日さんみたいなこと言うなあ」
「それは褒め言葉でしょうか」
「本人には言わないでください」
「承知しました」
鼎が歩き出す。
「千曲さん」
「はい?」
振り返る。
秋山は何かを言おうとして。
「……いえ」
「また?」
「また?」
「さっき五和さんにも同じことされたんですよ」
「そうでしたか」
「二人して何なんだよ……」
鼎は首を傾げながら戻っていった。
秋山はその背中をしばらく見ていた。
Eclipseから聞いた話。
今のアカライ。
そして、実際にその中にいる鼎の言葉。
どちらか一方だけで決めるつもりはない。
――分からないものを、分かったことにしない。
秋山は新しい資料を一冊、棚から抜き出した。
*
夕方。
片付けを終え、鼎たちは帰る準備をしていた。
扉へ向かう途中、鼎は資料室を見る。
五和が一人、机へ向かっている。
「五和さん」
「何だ」
「帰らないんですか?」
「もう少しいる」
また資料。
また一人。
数日前なら、それだけで気にも留めなかったかもしれない。
「……また勝手に消えないでくださいよ」
五和が顔を上げた。
「消えてない」
「何日もいなかったじゃないですか」
「調査だ」
「連絡なしで」
「……」
「ほら」
「しつこいな」
鼎は少し迷った。
それでも、口から出た。
「心配したんですよ」
言ってから。
鼎が止まった。
五和も何も言わない。
妙な沈黙が落ちる。
「……今のなしで」
「聞いた」
「忘れてください」
「無理だな」
「前に自分で忘れろって言ったくせに」
「知らん」
「都合いいなあ」
五和が僅かに笑った。
それを見て、鼎もようやく視線を逸らした。
「早く帰れ」
「はいはい」
鼎は扉へ向かう。
「じゃ、また明日」
「ああ」
扉が閉まった。
五和はしばらく、その扉を見ていた。




