55 帰還
翌朝。
公民館へ入った鼎は、いつものように資料室へ目を向けた。
扉が開いている。
「……?」
足を止め、中を覗く。
机の前に、一人の男が座っていた。
黒いコーヒー。
広げられた資料。
そして、見慣れた背中。
「……」
鼎はしばらく動かなかった。
「おはよう」
五和が言った。
「……おはようございます」
反射的に返す。
そして。
「いや」
鼎は五和を指差した。
「何してるんですか」
「見れば分かるだろ」
「そこじゃない!」
声が響いた。
奥から朝日が顔を出す。
「朝からうるさい」
「五和さんいるんですけど!」
「いるね」
「なんで普通なんですか!」
「さっき戻ってきたから」
「聞いてない!」
「今知ったでしょ」
「そういう問題じゃない!」
五和は何事もなかったようにコーヒーを飲む。
「元気そうだな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「知らん」
「この人……」
足音が聞こえた。
「何?」
美羽。
その後ろから、辰野と葵も入ってくる。
三人とも五和を見た。
「……あ」
美羽が止まる。
「五和さん」
「おはよう」
「普通にいる」
「普通にいるな」
辰野も言う。
葵は五和を見るなり尋ねた。
「何してたんですか?」
「それ!」
鼎が葵を指す。
「俺が聞きたかったやつ!」
「じゃあ聞けばいいでしょ」
「今から聞くところだったんだよ!」
「うるさい」
「なんで俺が怒られるんだよ」
「朝からうるさいから」
「理不尽!」
「二人とも」
朝日が遮った。
「朝から始めない」
二人が黙る。
五和はその様子を見ながら、煙草へ手を伸ばした。
「神原さん」
朝日が言う。
「ここ禁煙」
五和の手が止まる。
「……そうだったな」
「数日いなかったくらいで忘れないで」
五和は煙草を戻した。
鼎は改めて五和を見る。
「で」
「何だ」
「何してたんですか」
「調査」
「何の?」
「いくつか」
「どこで?」
「何ヶ所か」
「答える気あります?」
「答えてる」
「雑すぎるだろ……」
美羽が笑った。
「いつもの五和さんじゃん」
「笑い事じゃないって」
そう言いながら、鼎は自分の肩から少し力が抜けていることに気づいた。
戻ってきた。
何をしていたのかは分からない。
それでも今は、そこにいる。
ひとまず、それでよかった。
*
「神原さん」
凪が資料を持って入ってきた。
五和を見る。
「戻られたんですね」
「ああ」
「連絡くらいしてください」
「悪かった」
鼎が五和を見る。
「凪さんには謝るんですね」
「お前にも謝ればいいのか?」
「いや……」
鼎は少し考える。
「なんか違います」
「面倒くさいな」
「自分でも思いました」
朝日が机を指で叩いた。
「神原さん」
「何だ」
「こっちでも探した」
「ああ」
「連絡なし。行き先もなし。車だけなくなってる」
「悪かった」
「私に謝ってる?」
「全員にだ」
「ならいい」
鼎は五和を見る。
「結局、何を調べてたんです?」
「確認したいことがあった」
「何を?」
五和は少しだけ間を置いた。
「今は話せない」
「……またそれですか」
「悪いな」
「いや」
鼎は息を吐いた。
「五和さんだなと思って」
「どういう意味だ」
「そのままです」
それ以上は聞かなかった。
聞いても、今は答えない。
それくらいは分かるようになった。
ただ。
聞きたいことまで、なくなったわけではない。
*
昼を過ぎる頃には、公民館もいつもの空気へ戻っていた。
五和がいる。
凪が資料を整理し、朝日が別室から何度か声を飛ばす。
美羽と葵が何かを言い合えば、辰野が間に入る。
昨日までと同じ。
少なくとも、鼎にはそう見えた。
*
夕方。
一人になった資料室で、五和は鞄を開いた。
数冊の資料を取り出す。
年代も。
場所も。
扱われている伝承も違う。
その中から一冊を抜き出した。
千永花。
ページを開く。
過去に残された観測記録。
一枚の花の絵。
次のページには、別の花。
さらに次。
色も形も違う。
同じ千永花について残された記録とは思えないほどに。
それでも。
一輪。
ページをめくる。
一輪。
次も、一輪。
「……」
五和の手が止まった。
今回の記録を開く。
鼎。
葵。
凪。
そして、自分。
同じ場所。
同じ時間。
同じ一輪。
四人が見た姿は違った。
ここまでは、過去の記録にも似た例がある。
五和は一枚の写真を取り出した。
鼎が撮影したもの。
黄色い花。
その隣に、もう一輪。
だが鼎自身は、撮影した時にそれを見ていない。
「……」
五和は写真を置いた。
別の資料を開く。
同じものを、違う人間が別の姿で観測した記録。
肉眼と写真で結果が一致しなかった記録。
一つだったものが、記録の中で複数になった例。
年代も、場所も、現象も違う。
それでも。
観測されたものと、残されたものの間に違いがある。
五和はしばらく資料を見ていた。
やがて、すべてを閉じる。
その中から、一冊だけを抜き出した。
古い記録。
表紙を見る。
だが、開かない。
五和はその一冊を机の引き出しへ入れた。
静かに鍵を掛ける。
「……」
閉じた引き出しへ、しばらく目を向けていた。




