52 引っ掛かり
資料を並べ直してから、しばらく経った。
場所。
年代。
季節。
伝承。
違いはいくらでも見つかる。
けれど、五和が何を見ていたのか。
それだけは分からなかった。
「一旦、こっちは終わり」
朝日が資料を閉じた。
「いいんですか?」
鼎が尋ねる。
「眺めてても中身は変わらないでしょ」
「じゃあ、どうするんです?」
「本人を探す」
朝日は凪を見る。
「天草。昨夜、神原を見た人がいないか確認して」
「分かりました」
*
しばらくして。
「二件、確認できました」
凪が地図を広げた。
一つ目は、公民館から少し離れた場所。
二つ目は、さらに町の外れ。
「時間は?」
「午後十時半頃と、その少し後です」
「その先は?」
「確認できていません」
朝日が地図を見る。
「車は?」
「使用記録があります。ただ、現在はありません」
「じゃあ、どこかへ行ったのは確かか」
鼎が呟く。
「その可能性は高いです」
凪が答えた。
「ですが、行き先までは分かりません」
連絡もない。
行き先も分からない。
五和なら、一人で調査へ行くことはある。
それでも、鼎の中に残った引っ掛かりは消えなかった。
「……五和さん」
何を見つけたんだ。
*
「千曲さん」
声を掛けられ、鼎は顔を上げた。
秋山が立っていた。
手には古い観測記録がある。
「少しよろしいでしょうか」
「はい」
秋山は机の上へ記録を置いた。
「これを見ていただけますか」
古びた紙だった。
現在使われている様式とは違う。
鼎は最初の頁を見る。
場所。
日時。
観測者。
簡単な現象の記録。
「これが?」
「神原さんが確認していた資料の中にありました」
鼎は読み進める。
一人目の記録。
次に、同じ場所にいた別の人間の記録。
「……違う」
「ええ」
同じ時間。
同じ場所。
それでも二人が残した内容は一致していない。
「千永花みたいだ」
鼎が呟く。
「千永花?」
「この前の調査で、同じものを見たのに全員違って見えたんです」
「なるほど」
秋山は記録を見る。
「では、神原さんがこれを確認していた理由も、その辺りに?」
「分かりません」
鼎は首を振った。
「似てるからって、同じとは限らないし」
秋山が僅かに笑った。
「その通りですね」
「五和さんに散々言われたんで」
「神原さんに?」
「場所を信じるな。時間を信じるな。記憶も信じるなって」
「……記憶を信じるな」
秋山は少し考えた。
「信じないのではなく、疑う余地を残しておく。そういう意味でしょうか」
鼎が秋山を見る。
言い方までどこか似ている。
答えを決めず、少しだけ余白を残すところも。
「やっぱ似てるな」
「誰とです?」
「五和さん」
「そうでしょうか」
「今の言い方とか」
秋山は少しだけ笑った。
「それは、光栄なのでしょうか」
「多分」
「多分ですか」
「本人に聞かないと」
「では、戻られたら聞いてみましょう」
「絶対嫌がると思います」
二人の間に、小さな笑いが落ちた。
五和がいないことを話しているのに。
こうしている間だけは、少しだけいつもの空気に戻った気がした。
鼎は再び記録を見る。
「これ、かなり古いですね」
「ええ」
「秋山さん、昨日これ見て止まってませんでした?」
秋山の目が僅かに動いた。
「見ていましたか」
「たまたま」
「そうですか」
「何か気になるんです?」
秋山は、すぐには答えなかった。
「記録そのものではありません」
「じゃあ?」
「年代です」
鼎も記された年を見る。
自分には、ただ古いということしか分からない。
「この頃に何かあったんですか?」
「……分かりません」
「分からない?」
「はい」
秋山は記録へ視線を落とした。
「ただ、知っているような気がするのです」
鼎が秋山を見る。
「気がする?」
「それ以上は、まだ」
秋山自身も、その感覚を持て余しているように見えた。
知らないはずなのに。
何かだけが引っ掛かっている。
「だから、昔の記録を調べてるんですか」
「はい」
「何を探してるんです?」
秋山は少し考えた。
「それを確かめているところです」
「……なるほど」
鼎は記録を閉じた。
「なんか、秋山さんも引っ掛かるんだよな」
「私が?」
「何がって言われると分かんないんですけど」
「それは困りましたね」
「ですよね」
秋山は少し考えた。
「ですが」
鼎を見る。
「分からないことと、何も感じていないことは同じではありません」
鼎は黙った。
言葉にできない。
理由も分からない。
それでも、何かが引っ掛かっている。
鼎は苦笑する。
「……そういうこと言うからですよ」
「何がでしょう」
「引っ掛かるんです」
「そうですか」
「はい」
秋山は、ほんの数秒。
鼎を見た。
何かを確かめるように。
「では」
静かに言う。
「分かった時に、教えてください」
「そうします」
*
夕方になっても、五和から連絡はなかった。
「今日はここまでにする」
朝日が言った。
「何か分かったら連絡回すから」
「はい」
鼎は鞄を持った。
帰ろうとして、資料室を見る。
いつもなら五和がいる場所。
今日は暗い。
たった一人いないだけなのに、妙に広く見えた。
「鼎」
辰野に呼ばれる。
「今行く」
鼎は資料室から目を離した。
*
少し遅れて、秋山も公民館を出た。
夜の町。
店先の明かり。
手元の画面を見ながら歩く人々。
触れる前に開く扉。
夜なのに明るい店。
交差点の向こうでは、大きな電子広告が切り替わった。
秋山は一瞬だけ足を止める。
知らない光。
知らない景色。
それでも人々は何も気にすることなく、その中を歩いている。
秋山も歩く。
同じ町を。
同じ道を。
同じ人の流れの中を。
それなのに、自分だけが少し遅れて歩いているような感覚があった。
交差点へ差しかかる。
信号が変わった。
人々が一斉に歩き出す。
秋山だけが、その場に残る。
やがて、人の流れが途切れた。
秋山は遅れて、一人、交差点へ足を踏み出した。
「秋山清次郎さんですね」
足が止まった。
確かに、自分の名前だった。
秋山はゆっくりと、声のした方へ顔を向けた。




