48 受け取るもの
地図にない道は、思っていたよりも長く続いていた。
細く、人が歩いた跡にも見える。
けれど、いつ作られた道なのか。
本当に道なのかさえ分からない。
五和を先頭に、葵、鼎、凪の順で四人は奥へ進んでいた。
鳥の声は聞こえない。
風もない。
ただ、時折、声だけが聞こえる。
――残したい。
――ここを。
――この景色を。
葵は祖母の地図を握ったまま、前を見ている。
「まだ聞こえる?」
「聞こえる」
「俺も」
「なら聞かなくていいでしょ」
葵が少しだけ笑った。
「……変なの」
「何が?」
「この道。おばあちゃんの地図にはない」
「じゃあ、ここから先は来てないのかな」
「分からない。何も書いてないから」
後ろから凪の声がした。
「前を見てください」
「……はい」
*
やがて、道の脇に小さな石が現れた。
「待って」
葵がしゃがむ。
半分ほど土に埋まっていて、自然石にも見える。
だが、表面には何かが刻まれていた。
「文字?」
鼎もしゃがむ。
凪が目を凝らす。
「……『後』」
「後?」
「その下は……『人』でしょうか」
「後の人?」
「断定はできません」
誰が、いつ、何のために刻んだのか。
それ以上は分からなかった。
*
少し進むと、声が変わった。
――忘れないで。
鼎が顔を上げる。
――ここにいたことを。
――この場所を。
――次へ。
葵が祖母のファイルを開いた。
「……あった」
一枚の紙。
祖母の筆跡。
地図の端に、小さく一言だけ書かれている。
――残す。
「これだけ?」
「うん」
「何を残すんだろうな」
「分からない」
葵は紙を見つめた。
「私、おばあちゃんが何を調べてたのか、ちゃんと聞いたことなかった」
鼎は黙って聞く。
「千永花を探してるって。それくらい」
葵は祖母の文字へ視線を戻した。
――残す。
たった二文字なのに。
今までより、その意味が気になった。
*
道はさらに奥へ続いていた。
声も途切れない。
――残したい。
――忘れないで。
――ここにいた。
――次へ。
鼎は歩きながら、昨日見たものを思い出していた。
石碑。
崩れた集落。
葵の祖母が残した資料。
「……なあ」
「何?」
「昨日の石碑を作った人って、俺たちが読むなんて知らなかっただろうな」
「そりゃそうでしょ」
「お前のおばあちゃんだって、その紙を今日お前が持ってくるなんて分かってなかったかもしれない」
葵は手元を見る。
「……そうだと思う」
「でも、残した」
「うん」
鼎は少し考えた。
誰かが残したものを。
別の時代の誰かが見つける。
その繰り返しなのかもしれない。
「……受け取る、か」
葵は何も言わなかった。
ただ、祖母が残した紙を握り直した。
*
やがて五和が足を止め、三人も続いて止まった。
その先で、木々が開けていた。
*
山の中に、そこだけぽっかりと空いた小さな空間があった。
中央には何もない。
「……行き止まり?」
鼎が周囲を見る。
凪が位置を確認し、葵も祖母の地図を開く。
やはり、この場所は載っていない。
「何なの、ここ」
その時。
声がした。
――どうか。
四人が動きを止める。
今までより近い。
――この先も。
――残りますように。
一人ではない。
男。
女。
老人。
子供。
時代さえ違うような、いくつもの声が重なっていく。
――忘れないで。
――次へ。
――この場所を。
――この景色を。
――どうか。
――どうか。
声は重なる。
それでも、一つにはならない。
願っているものも、声も違う。
ただ、何かを次へ残したい。
その想いだけが、そこにあった。
「……これ」
葵が呟く。
幼い頃、祖母から聞いた言葉が浮かぶ。
――人々の希望が集うとき、千永花は咲く。
「希望……」
「おばあちゃんが言ってた」
葵は声のする空間を見る。
「人々の希望が集うとき、千永花は咲くって」
鼎は、ここへ来るまでに聞いた声を思い出す。
雨を願った声。
雨を止めてほしいと願った声。
助けを求めた声。
「でも」
鼎が言った。
「希望だけじゃないよな」
葵が見る。
「怖かった人もいた」
「うん」
「失った人も」
「……うん」
凪が静かに周囲を見る。
「願いだけではないのかもしれませんね」
誰も、それ以上は言わなかった。
重なった声だけが、静かな空間に残っていた。
*
葵は祖母の紙を見ていた。
――残す。
たった二文字。
何を残したかったのか。
誰に残したかったのか。
分からない。
それでも今、自分が持っている。
祖母が見つけられなかったものを、自分が代わりに見つける。
ずっと、そう思っていた。
でも。
違うのかもしれない。
祖母が追っていたものを。
自分は、受け取ったのかもしれない。
「松本」
鼎の声。
「何?」
「ここ」
鼎が地面を指していた。
中央だけ、草が生えていない。
円を描くように、ほんの少し地面が開いている。
凪と五和も近づく。
「掘りますか?」
「触るな」
「まだ何もしてないですよ」
「顔に書いてある」
「顔ってそんな便利なんですか」
葵が小さく笑った。
その時。
風が吹いた。
境界へ入ってから、ほとんど止まっていた風だった。
一枚の枯れ葉が地面を転がり、中央で止まる。
その下。
土の隙間から、小さなものが覗いていた。
「……これ」
葵が息を止める。
緑。
ほんの僅か。
小さな芽だった。
花ではない。
まだ何の植物なのかさえ分からない。
ただ、そこに一つだけ芽が出ていた。
誰も触れなかった。
誰も、千永花だとは言わなかった。
葵は祖母が残した紙を握ったまま、その小さな芽を見つめていた。




