37 残された時間
老人と若者の姿が消えたあとも、四人はしばらくその場に立っていた。
風が木々を揺らしている。
もう、誰の姿もない。
やがて五和が歩き始め、三人も黙ってその後を追った。
辰野は一度だけ振り返った。
老人も。
若者も。
もう、どこにもいなかった。
*
山道を抜けると、視界が開けた。
山あいのわずかな平地に田んぼが広がり、風を受けた稲が波のように揺れている。
その向こうには山の斜面が迫っていた。
辰野が足を止める。
「……ここ」
鼎が振り向いた。
「知ってるのか?」
「ああ」
辰野は田んぼ道を見つめたまま頷く。
「子どもの頃、何度も通った」
今度は迷わなかった。
確かに知っている場所だった。
昨日までなら、何でもない景色だったはずだ。
けれど今は、辰野も何かを探すように辺りを見ている。
何も起きない。
田んぼを風が抜けていくだけだった。
――ドン。
山の奥から、太鼓が鳴った。
辰野が顔を上げる。
続いて、細く長い笛の音。
風へ溶け込むように音が流れた瞬間。
目の前の景色が、ゆっくりと揺らいだ。
*
田んぼ道を、花嫁行列が歩いてくる。
白無垢姿の花嫁。
その隣を歩く花婿。
村人たちは二人を囲み、笑いながら祝福の声を掛けている。
太鼓が鳴る。
笛の音が山あいへ響く。
穏やかな祝いの日だった。
辰野は黙って、その光景を見つめている。
この道は知っている。
何度も通った。
けれど、ここにいる人々のことは誰一人知らない。
同じ場所に。
自分の知らない時間があった。
その時。
辰野の視線が止まった。
田んぼ脇に立つ、大きな木。
その木陰に、一人の青年がいた。
先ほど見た若者だった。
「……」
青年は花嫁行列を見つめている。
声を掛けることもない。
一歩も動かない。
祝いの列が、青年の前を通り過ぎていく。
村人たちは笑っている。
花嫁も。
花婿も。
誰一人、青年へ視線を向けない。
青年もまた、何も言わない。
ただ静かに、花嫁行列を見送っている。
それが、この場所では当たり前であるかのように。
「……なんで」
辰野が呟いた。
鼎は何も言わなかった。
「なんで……」
辰野の声が僅かに震える。
怒っているわけでもない。
悲しんでいるわけでもない。
目の前の光景を、どう受け止めればいいのか分からない。
「……どうして」
青年は答えない。
祝いの列を見送っている。
太鼓が鳴る。
笛の音が流れる。
村人たちの声が山あいへ響く。
そのすべてから少し離れた木陰に。
青年だけが立っていた。
*
やがて、景色が揺らいだ。
花嫁が薄れる。
花婿が消える。
村人たちの姿も、少しずつ風景の向こうへ溶けていく。
祝いの声が遠ざかった。
太鼓が止む。
笛も聞こえなくなる。
それでも。
青年だけは、まだ木陰に立っていた。
誰もいなくなった田んぼ道を見つめている。
やがて、その姿も薄れていった。
最後に残ったのは、大きな木だけだった。
*
風が稲を揺らしている。
誰も口を開かなかった。
辰野は、青年が立っていた木を見つめ続けている。
鼎も同じ場所を見た。
花嫁の顔は、もう思い出せない。
花婿も。
周りにいた村人たちも。
それなのに。
一人だけ木陰に立っていた青年の姿が、妙に頭に残っていた。
辰野が一歩、木へ近づいた。
何かを思い出したわけではない。
青年が誰なのかも分からない。
それでも。
さっきまで誰かが立っていたその場所を、確かめるように見つめていた。
風が吹く。
木の葉が擦れ、小さな音を立てた。




