34 残る景色
五和は何も言わず、鳥居をくぐった。
朝日が続く。
辰野は鳥居を見上げたまま一歩踏み出し、鼎も静かに後を追った。
鳥居をくぐった瞬間。
山の風が止んだ。
「……」
鼎は思わず振り返る。
鳥居はすぐそこにある。
その向こうには、さっきまで歩いていた村も見えていた。
戻ろうと思えば、すぐに戻れる距離。
なのに。
さっきまで遠くに聞こえていた笛の音だけが、不思議なほど近くなっている。
細く。
ゆっくりと。
誰かを導くように。
五和は歩みを止めない。
辰野だけが一度振り返った。
村はそこにある。
それなのに、なぜかひどく遠く感じた。
*
山道は緩やかに続いていた。
木漏れ日が地面へ落ち、土を踏みしめる音だけが耳に残る。
その途中。
道端に、小さな草履が片方だけ落ちていた。
古びた表面は泥に埋もれ、長い間そこに放置されていたように見える。
鼎は足を止めた。
「……子どものか?」
屈んで手に取る。
軽い。
その瞬間だった。
――走る足音。
何人もの子どもが、笑いながらそばを駆け抜けていく。
鼎は反射的に顔を上げた。
誰もいない。
手の中には、古びた草履だけが残っていた。
「……今」
「聞こえた?」
朝日が鼎を見る。
鼎が頷くと、朝日は草履を受け取り、元あった場所へ戻した。
「置いていくの?」
「勝手に動かさない方がいいわ」
それだけ言って歩き出す。
辰野は、戻された草履をしばらく見ていた。
今の笑い声。
公民館で聞いたものと似ていた。
同じだったのかもしれない。
けれど、今は確かめようがない。
*
少し進んだところで、辰野が立ち止まった。
古い石垣を見つめている。
「ここ……」
誰に言うでもなく呟く。
鼎も足を止めた。
「どうした?」
「俺、ここで遊んだ気がする」
「気がする?」
「……思い出せない」
辰野は石垣から目を離さない。
「遊んだ。たぶん」
少しして首を振る。
「いや……遊んでない」
「どっちだよ」
「分からないんだよ」
いつもより強い声だった。
鼎は口を閉じた。
辰野自身も、自分の言葉に戸惑っているようだった。
「知らない場所のはずなんだ」
小さく呟く。
「なのに……」
その先は続かなかった。
記憶にはない。
それでも石垣を見ていると、何かを知っているような感覚だけが残る。
懐かしいとも、怖いとも違う。
辰野自身、それが何なのか分からないようだった。
その時。
――コン。
二人が顔を上げる。
山の奥から、乾いた音が響いていた。
コン。
少し間を置いて。
コン。
木を打つような音だった。
五和が立ち止まり、しばらく耳を澄ませる。
やがて。
「行くぞ」
それだけ言って、再び歩き始めた。
*
しばらくして、木々が途切れた。
目の前に、小さな広場が現れる。
朽ちた石碑。
崩れた井戸。
草に埋もれた石段。
人の姿はない。
静まり返っている。
その時。
笑い声がした。
「……え?」
鼎が顔を上げる。
広場に、人がいた。
子どもたちが走っている。
井戸のそばでは何人かが話し、石段を人が上っていく。
話し声。
足音。
人々の息づかい。
さっきまで朽ちていたはずの場所に、人の暮らしがあった。
鼎は動けなかった。
瞬きをする。
消えた。
人の姿も。
声も。
足音も。
目の前には、元の静かな広場だけが残っている。
「……」
隣を見る。
辰野も広場を見つめていた。
何も言わない。
ただ、その表情は、初めて見る景色に驚いているだけには見えなかった。
少し離れたところでは、五和も広場を見ている。
やがて、小さく息を吐いた。
鼎には、その表情から何を考えているのか読み取れなかった。
今回も読んでくださり、ありがとうございました。




