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Marbling 現実と伝承が交わる、その先へ。  作者: 赤足
第三章 伝承編 忘レ乃里

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34 残る景色

五和は何も言わず、鳥居をくぐった。


 朝日が続く。


 辰野は鳥居を見上げたまま一歩踏み出し、鼎も静かに後を追った。


 鳥居をくぐった瞬間。


 山の風が止んだ。


「……」


 鼎は思わず振り返る。


 鳥居はすぐそこにある。


 その向こうには、さっきまで歩いていた村も見えていた。


 戻ろうと思えば、すぐに戻れる距離。


 なのに。


 さっきまで遠くに聞こえていた笛の音だけが、不思議なほど近くなっている。


 細く。


 ゆっくりと。


 誰かを導くように。


 五和は歩みを止めない。


 辰野だけが一度振り返った。


 村はそこにある。


 それなのに、なぜかひどく遠く感じた。


     *


 山道は緩やかに続いていた。


 木漏れ日が地面へ落ち、土を踏みしめる音だけが耳に残る。


 その途中。


 道端に、小さな草履が片方だけ落ちていた。


 古びた表面は泥に埋もれ、長い間そこに放置されていたように見える。


 鼎は足を止めた。


「……子どものか?」


 屈んで手に取る。


 軽い。


 その瞬間だった。


 ――走る足音。


 何人もの子どもが、笑いながらそばを駆け抜けていく。


 鼎は反射的に顔を上げた。


 誰もいない。


 手の中には、古びた草履だけが残っていた。


「……今」


「聞こえた?」


 朝日が鼎を見る。


 鼎が頷くと、朝日は草履を受け取り、元あった場所へ戻した。


「置いていくの?」


「勝手に動かさない方がいいわ」


 それだけ言って歩き出す。


 辰野は、戻された草履をしばらく見ていた。


 今の笑い声。


 公民館で聞いたものと似ていた。


 同じだったのかもしれない。


 けれど、今は確かめようがない。


     *


 少し進んだところで、辰野が立ち止まった。


 古い石垣を見つめている。


「ここ……」


 誰に言うでもなく呟く。


 鼎も足を止めた。


「どうした?」


「俺、ここで遊んだ気がする」


「気がする?」


「……思い出せない」


 辰野は石垣から目を離さない。


「遊んだ。たぶん」


 少しして首を振る。


「いや……遊んでない」


「どっちだよ」


「分からないんだよ」


 いつもより強い声だった。


 鼎は口を閉じた。


 辰野自身も、自分の言葉に戸惑っているようだった。


「知らない場所のはずなんだ」


 小さく呟く。


「なのに……」


 その先は続かなかった。


 記憶にはない。


 それでも石垣を見ていると、何かを知っているような感覚だけが残る。


 懐かしいとも、怖いとも違う。


 辰野自身、それが何なのか分からないようだった。


 その時。


 ――コン。


 二人が顔を上げる。


 山の奥から、乾いた音が響いていた。


 コン。


 少し間を置いて。


 コン。


 木を打つような音だった。


 五和が立ち止まり、しばらく耳を澄ませる。


 やがて。


「行くぞ」


 それだけ言って、再び歩き始めた。


     *


 しばらくして、木々が途切れた。


 目の前に、小さな広場が現れる。


 朽ちた石碑。


 崩れた井戸。


 草に埋もれた石段。


 人の姿はない。


 静まり返っている。


 その時。


 笑い声がした。


「……え?」


 鼎が顔を上げる。


 広場に、人がいた。


 子どもたちが走っている。


 井戸のそばでは何人かが話し、石段を人が上っていく。


 話し声。


 足音。


 人々の息づかい。


 さっきまで朽ちていたはずの場所に、人の暮らしがあった。


 鼎は動けなかった。


 瞬きをする。


 消えた。


 人の姿も。


 声も。


 足音も。


 目の前には、元の静かな広場だけが残っている。


「……」


 隣を見る。


 辰野も広場を見つめていた。


 何も言わない。


 ただ、その表情は、初めて見る景色に驚いているだけには見えなかった。


 少し離れたところでは、五和も広場を見ている。


 やがて、小さく息を吐いた。


 鼎には、その表情から何を考えているのか読み取れなかった。

今回も読んでくださり、ありがとうございました。

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