警告
父の残した痕跡を追い、鼎は五和と共に山へ入ります。
そして、境界へ近づくにつれ、伝承は少しずつ現実へと姿を変え始める
父の残したノートを握りしめながら、俺は神原五和の後を歩いていた。
正直に言えば、まだ信用しているわけじゃない。
父を知っている。
境界を知っている。
そう言われても、疑問は消えない。
それでも。
この男だけが、父へ続く道を知っている。
だから俺は歩いていた。
⸻
「なあ」
鼎は前を歩く五和に声をかけた。
「父さんとは、どういう関係だったんだ?」
五和はしばらく黙って歩いた。
「調査仲間だ」
「調査仲間?」
「ああ」
「じゃあ、境界って何なんだ」
五和は湖へ目を向けた。
「境界は、特定の場所を指す言葉ではない。」
「人が、こちらと向こうを分けるためにつけた呼び名だ。」
「ただ、その境は場所によって薄くなる。」
鼎は湖を見る。
「……この湖も?」
「ああ。」
「君の父親は、そういう場所を調べていた。」
「父さんも、こういう場所を調べていたのか」
「そうだ」
相変わらず短い。
鼎はため息をつく。
「……アンタ、本当に必要最低限しか話さないな」
「必要なことは話している」
「いや、それを決めるのは俺じゃないのか?」
五和は少しだけ振り返る。
「違う」
「即答かよ」
鼎は苦笑した。
「そういうところ、父さんと似てるかもな」
その言葉に。
五和の足が一瞬だけ止まった。
「……彼もそうだった」
「何が?」
「知りたいことが多すぎる人間だった」
その言葉だけが、不思議と残った。
⸻
山を進むにつれて、周囲の空気が変わっていった。
最初は気のせいだと思った。
だが。
鳥の声が消えていく。
風の音が遠くなる。
自分の足音だけが、妙にはっきり聞こえる。
「……なあ」
鼎は周囲を見る。
「ここ、本当に普通の山道か?」
五和は答えなかった。
「境界に近づいている」
その言葉を聞いた瞬間。
肌が粟立った。
⸻
その時だった。
「……鼎」
足が止まる。
背後から声がした。
聞き間違えるはずがない。
「……父さん?」
振り返ろうとする。
その瞬間。
五和の手が鼎の肩を掴んだ。
「返事をするな」
低い声だった。
「……え?」
「返事をするな」
もう一度、五和は言った。
「今の声に」
鼎は背後を見る。
誰もいない。
だが。
確かに聞こえた。
父の声が。
「なんでだよ」
鼎は声を落とす。
「父さんかもしれないだろ」
五和は静かに答えた。
「違う」
「なぜ分かる」
「境界の中で、名前を呼ぶものに返事をしてはいけない」
⸻
五和は歩きながら言った。
「昔、この土地には話が残っている」
「山で名前を呼ばれても、決して返事をしてはいけない」
「返事をした者は、こちら側から消える」
鼎は息を飲む。
「……神隠し」
五和は頷いた。
「ああ」
「昔の人間は、それを神隠しと呼んだ」
「理解できない現象に、名前をつけたんだ」
その言葉は。
昔、父が言っていたものと同じだった。
『人間は理解できないものに名前をつける』
⸻
さらに進んだ先。
古い石が置かれていた。
鼎は足を止める。
そこには。
見覚えのある印が刻まれていた。
「……父さん」
五和が言う。
「彼が残したものだ」
鼎は近づく。
だが。
五和の表情は変わらなかった。
「これは道標じゃない」
「……え?」
「警告だ」
⸻
石の裏側。
古い文字が残されていた。
鼎は読む。
そして。
息が止まった。
『境界へ近づくな』
その下に。
父の字で続きがあった。
『もし鼎がここへ来たなら――』
そこから先は、消えていた。
「……父さんは」
鼎は呟く。
「俺が来ると思っていたのか」
五和は答えない。
⸻
しばらく沈黙が続いた。
やがて五和が口を開く。
「ここから先へ進めば」
「戻れなくなる可能性がある」
鼎は顔を上げる。
「死ぬってことか?」
「違う」
五和は境界の先を見る。
「今までのお前では、いられなくなるということだ」
⸻
父が残した警告。
目の前にある未知。
進むべきなのか。
戻るべきなのか。
鼎には、まだ答えが出せなかった。
五和は静かに言う。
「鼎」
「選べ」
「ここから先へ進むのか」
「それとも、戻るのか」
ついに鼎は、大きな選択を迫られることになります。
次回もよろしくお願いします。




