同行者
昔から語り継がれる伝承や怪異。
それらは本当に、ただの昔話なのか。
消えた父の残した手掛かりを追い、鼎は境界の向こう側へ足を踏み入れる。
父の残したノートを握る手に、自然と力が入っていた。
最後のページ。
そこに書かれていた名前。
神原五和。
そして今。
その名前を持つ男が、目の前にいる。
男は静かに湖を見つめていた。
風が吹く。
水面に小さな波紋が広がる。
「……あんた」
俺はゆっくり口を開いた。
「神原五和……だよな」
男は少しだけ視線を動かした。
「ああ」
「俺の父親のノートに、あんたの名前があった」
五和は驚かなかった。
まるで、そう言われることを知っていたようだった。
「そうか」
「それだけか?」
思わず声が強くなる。
「親父のノートに、あんたの名前だけが残されてたんだぞ」
「何の説明もない」
「何であんたの名前が書かれている?」
五和は湖を見る。
「君の父親は、最後まで調べていた」
「境界について」
その言葉に、胸がざわついた。
「知ってるのか」
「ああ」
「なら話せよ」
一歩近づく。
「親父が何を見たのか」
「どこへ行ったのか」
「全部知ってるなら――」
五和は静かに俺を見る。
「知らない」
予想外の答えだった。
「……は?」
「君の父親が最後に何を見たのか」
「私は知らない」
「ただ」
少し間を置く。
「彼が何を追っていたのかは知っている」
その言葉に、怒りより疑問が勝った。
「だったら教えろ」
五和は首を横に振る。
「今は無理だ」
「またそれかよ」
「話せない」
「理由は?」
五和は少しだけ笑った。
「君は今、答えを求めている」
「でも、答えだけを渡せばいいわけじゃない」
「知らないものに触れるには、覚悟がいる」
その言葉が妙に引っかかった。
「……親父も同じことを言われたのか」
五和は一瞬だけ黙る。
その間が答えに見えた。
「親父は」
「自分の意思で消えたのか?」
五和は湖を見る。
「違う」
「彼は逃げたんじゃない」
「向かったんだ」
「何に」
沈黙。
しばらくして、五和は答えた。
「境界の向こう側にあるものへ」
背筋が冷える。
普通なら笑い飛ばす話だ。
でも。
父のノート。
湖。
この男。
全部が繋がっている。
「……信用しろって言うのか」
五和は首を振った。
「いや」
「信用しなくていい」
「疑うことは悪いことじゃない」
「むしろ必要だ」
その返答に少し戸惑う。
「なら、なんで俺に話す」
五和は歩き出した。
「君が来ると思っていたからだ」
「……何?」
「君の父親なら、きっと息子に何かを残している」
足を止める。
「来い」
「どこへ」
五和は振り返る。
「君の父親が最後に追っていた場所へ」
「信用できると思うか?」
五和は少し笑った。
「信用しなくていい」
「だが」
「一人で暗闇を歩くより、灯りを持つ者と歩いた方がいい」
その言葉だけが残った。
俺はノートを見る。
父が残した最後の手掛かり。
神原五和。
この男を信用する理由はない。
でも。
父へ続く道が、この男しか持っていないことも事実だった。
「……分かった」
五和は静かに歩き出す。
「そうか」
「なら行こう」
こうして俺は。
父を探すための同行者を得た。
ただし。……
この時の俺はまだ知らなかった。
神原五和自身もまた。
境界に関わる過去を抱えていたことを。
読んでいただきありがとうございます。
これから鼎と五和の旅を、見守っていただけたら幸いです。




