26 視線
遊覧船は静かに霧の中を進み続けていた。
湖面は穏やかだった。
それなのに。
鼎の胸の鼓動だけが、少しずつ速くなっていく。
さっき見た黒い影が頭から離れない。
本当に見たのか。
見間違いだったのか。
その答えは、もう自分でも分からなかった。
「……。」
鼎はもう一度、船の縁から湖面を覗き込む。
何もない。
白い霧と、静かな水面だけ。
「鼎。」
五和の声が飛ぶ。
「覗き込むな。」
鼎は振り返る。
「でも……。」
「観測と近付くことは違う。」
短い言葉だった。
鼎は黙って手すりから離れる。
その時。
美羽が小さく肩を震わせた。
「また……。」
鼎はすぐに駆け寄る。
「思い出したのか?」
美羽は首を横へ振る。
「違う。」
「……見られてる。」
その一言で、空気が張り詰める。
鼎は思わず周囲を見渡した。
観光客たちは相変わらず景色を楽しんでいる。
船長も前だけを見て船を操縦している。
誰も異変に気付いていない。
それなのに。
確かに。
何かの視線だけが、この船へ向けられていた。
凪は静かに記録帳を開く。
『被観測感、発生。』
『美羽、反応。』
『鼎、反応。』
ペン先が止まる。
そして、一行だけ書き加える。
『観測対象、不明。』
鼎はその文字を見つめた。
「観測対象……。」
五和は霧の奥を見据えたまま、小さく呟く。
「忘れるな。」
「観測しているのは、俺たちだけじゃない。」
その言葉に、鼎は息を呑む。
次の瞬間。
船底のさらに深い場所から。
ゆっくりと。
何かが浮かび上がる気配がした。
だが。
霧は、その姿を最後まで見せなかった。
遊覧船は静かに、さらに境界の奥へと進んでいく。
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次回更新は15日0時予定です。




