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Marbling 現実と伝承が交わる、その先へ。  作者: 赤足
第二章 伝承編 野霧湖

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21 観測者

遊覧船の出航までは、まだ少し時間があった。


 船着き場の待合所には、野霧湖周辺の地図や昔の写真、古い新聞記事が展示されている。


 鼎は、その中の一枚の白黒写真の前で足を止めた。


 湖面の奥。


 そこには、細長い影のようなものが写っている。


「こういうの見るとさ。」


 鼎がぽつりと呟く。


「この写真を撮った人が立ってた場所に、自分も立ってる気がするんだよ。」


 美羽が首を傾げる。


「写真なのに?」


「写真だからだよ。」


 鼎は写真へ視線を落としたまま続けた。


「この人は、何十年も前にここへ立って、この景色を見た。」


「その瞬間が、今もこの一枚に残ってる。」


 美羽は写真と湖を見比べる。


「でさ。今、俺たちも同じ場所に立ってる。」


「時代は違うし、建物も変わってる。でも、山はある。湖もある。風も吹いてる。」


 鼎は窓の向こうへ目を向けた。


「そういう変わらないものを見てると、昔の人と少しだけ同じ時間を共有してるような気がするんだ。」


「……いや、そこまでは。」


「最後まで聞かんか。」


 鼎は軽く咳払いをした。


「ここからが重要なんだ。」


 美羽は苦笑する。


「はいはい。」


 鼎は照れくさそうに笑うと、もう一度写真へ目を向けた。


「だから、現地へ来るのが好きなんだよ。」


「本や写真だけじゃ分からない空気ってあるじゃん。匂いとか、風とか、音とか。」


「昔、この場所で何かを見た人も、同じものを感じてたのかもしれない。」


 少しだけ間を置く。


「伝承って、怪物がいるとかいないとか、それだけじゃないと思うんだ。」


「昔、本当にここで誰かが何かを見て、驚いて、怖がって、それを後の人へ残した。」


 鼎は静かに湖へ目を向ける。


「俺は、その人たちが何を見たのか知りたい。」


 水面を渡る風が頬を撫でた。


 目の前には、何十年も変わらずそこにあり続ける景色が広がっている。


 鼎はどこか嬉しそうに笑った。


「……そういうの、興奮するんだよなぁ。」


 美羽は思わず吹き出した。


「千曲って、ほんと変わってる。」


 鼎は肩をすくめる。


「褒め言葉として受け取っとく。」


 少し離れた場所で二人の様子を見ていた五和が、小さく息をついた。


「終わったか。」


 鼎は振り返る。


「終わりました。」


 凪が腕時計へ目を落とす。


「遊覧船の出航まで五分です。」


「行きましょう。」


 四人は船着き場へ向かって歩き出した。


 係員が桟橋のロープを外し、遊覧船へ乗客を案内している。


 湖面は穏やかで、風も弱い。


 観光客たちは笑顔で写真を撮り合い、船へ乗り込んでいく。


 鼎もゆっくりと湖を見渡した。


 本で何度も見た景色。


 父のノートに何度も描かれていた景色。


 そして今、自分はその場所に立っている。


 胸の奥が少しだけ高鳴る。


 五和は静かに湖を見つめた。


「……静かだな。」


 鼎は笑う。


「いい天気ですしね。」


 五和は短く答えた。


「静かすぎる。」


 その一言で、空気が少しだけ変わる。


 凪は湖面へ目を向けたまま、記録帳を開いた。


 風向。


 気温。


 天候。


 湖面の状態。


 一つひとつを書き留めていく。


 鼎はその様子を見て首を傾げた。


「そんなことまで記録するんですか?」


 凪は記録帳へ静かに書き込む。


「観測とは、異常を見ることではありません。」


「日常を知ることです。」


 その言葉に、鼎は静かに頷いた。


 その時だった。


 遊覧船の船長が笑顔で声を掛けてくる。


「お待たせしました。」


「まもなく出航します。」


 四人は静かに船へ乗り込んだ。


 船が岸を離れる。


 ゆっくりと、野霧湖の中央へ向かって進み始めた。

今回も読んでくださり、ありがとうございます。

次回更新は11日0時予定です。

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