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Marbling 現実と伝承が交わる、その先へ。  作者: 赤足
第二章 伝承編 野霧湖

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18 調査

資料室を出ると、廊下には穏やかな空気が流れていた。


 窓の外では蝉が鳴き続けている。


 ほんの数分前まで父のノートを見ていたせいか、同じ景色なのに少しだけ違って見えた。


 五和は歩きながら言う。


「今回の件は、まだ境界と決まったわけじゃない。」


 鼎は頷く。


「大型生物を見たっていう話だけなんだよな。」


「ああ。」


「だから調べる。」


「決めつけない。」


 その一言に、父の姿が重なった。


 昔話だから信じるのではない。


 嘘だから否定するのでもない。


 まず見に行く。


 それがアカライだった。


⸻


 二人が廊下を歩いていると、公民館の玄関から聞き覚えのある声が聞こえた。


「こんにちはー。」


 振り向く。


 そこに立っていたのは、美羽だった。


「あ。」


 美羽も鼎に気付く。


「千曲じゃん。」


「美羽。」


「お、ちゃんと名前で呼んだ。」


 美羽は嬉しそうに笑う。


「どうした?」


「私も呼ばれた。」


 そう言ってスマートフォンを見せる。


『時間があるなら来てください。』


 送信者は凪だった。


「試験終わったばっかりなのにね。」


 美羽は肩をすくめる。


 そこへ五和が静かに口を開く。


「来たか。」


「来ました。」


「今回は道に迷わなかったようだな。」


「迷ってません。」


 美羽は胸を張る。


 五和は少し間を置いて言った。


「……五分だけ。」


「それは迷ってないです!」


 美羽が頬を膨らませる。


 思わず鼎は吹き出した。


「十分迷ってるだろ。」


「千曲まで!」


 三人の間に、小さな笑いが広がる。


 その時だった。


「来ましたか。」


 凪が奥の廊下から姿を現した。


 試験の時の張り詰めた空気はなく、どこか穏やかな雰囲気だった。


「二人とも、お疲れさまでした。」


「改めて、合格おめでとうございます。」


「ありがとうございます。」


 鼎と美羽は軽く頭を下げる。


 凪は美羽へ目を向ける。


「安曇さん。」


「はい。」


「今日は試験ではありません。」


「肩の力を抜いてください。」


 美羽は苦笑する。


「そう言われると、逆に緊張します。」


 凪も小さく笑った。


「普段通りで構いません。」


「準備ができています。」


「会議室へお願いします。」


⸻


 会議室には長机が並び、壁いっぱいに大きな地図が貼られていた。


 机の上には地域ごとにまとめられた資料。


 航空写真。


 古い新聞記事。


 何冊ものファイルが静かに並べられている。


 五和は窓際の席へ腰を下ろした。


 凪は机の中央へ一枚の地図を広げる。


 鼎と美羽も向かい合うように席へ着いた。


 自然と部屋が静かになった。


「今回、お二人に同行していただく調査地点はこちらです。」


 凪の指が地図の一点を示す。


 野霧湖。


 鼎の胸が静かに高鳴る。


 父が最後まで追い続けた場所。


 そして、自分と五和が出会った場所。


 隣では、美羽も地図を見つめていた。


 ほんの一瞬だけ。


 その表情が曇る。


 だが、すぐにいつもの笑顔へ戻った。


 鼎はその変化に気付いたが、何も聞かなかった。


⸻


 凪は一枚の資料を手に取る。


「地域住民から、大型生物らしき影の目撃情報が寄せられました。」


「現時点では、正体は不明です。」


「境界との関連も確認されていません。」


 静かな声だけが部屋に響く。


「皆さんにお願いするのは、見つけることではありません。」


「観ることです。」


 その言葉に、鼎は試験の日を思い出した。


 ――異変を探そうとするな。


 あの言葉の意味が、少しずつ繋がっていく。


「調査は明日の朝から行います。」


「今日は資料を確認し、準備だけ済ませてください。」


 凪はそう言って資料を二人へ渡した。


⸻


 鼎は野霧湖周辺の資料へ目を通した。


 古い新聞記事。


 郷土史の抜粋。


 観光案内。


 その中には、昔から語り継がれてきた伝承もまとめられていた。


『湖の主を見た者は帰らなかった。』


『霧の日は湖へ近付くな。』


『人を水底へ引き込む。』


 ページをめくる。


 その隣には、小さく注釈が添えられていた。


『一方で、別の伝承も残る。』


『内容は一致していない。』



 鼎は思わず眉をひそめる。


「……また食い違ってる。」


 凪は静かに頷いた。


「伝承は、一つではありません。」


「だから私たちは観測します。」


「結論を決めるためではなく。」


「何が語り継がれてきたのかを知るためです。」


 鼎は静かに資料へ視線を戻した。


 父のノート。


 そして今、目の前の資料。


 そこには同じ違和感が残されていた。


⸻


 一方、美羽は一枚の白黒写真を見つめていた。


 湖面へ薄く立ち込める霧。


 その写真から、なかなか目を離そうとしない。


「美羽。」


 鼎が声を掛ける。


 美羽は我に返ったように顔を上げる。


「あ、ごめん。」


「何でもない。」


 そう笑う。


 だが、その笑顔はどこか無理をしているようにも見えた。


 鼎はそれ以上聞かなかった。


⸻


 会議室の窓から見える山々は、夕日に照らされ始めていた。


 その稜線には、白く細い霧が静かに流れている。


 五和はその景色を見つめ、小さく呟いた。


「……晴れる前に着ければいいが。」


 鼎は窓の外へ目を向けた。


 山を包む霧。


 父のノート。


 食い違う伝承。


 そして、野霧湖。


 それらが一本の線で繋がり始めている気がした。


 まだ、その意味は分からない。


 ただ一つだけ確かなことがあった。


 伝承は、まだ物語の入り口に過ぎなかった。

今回も読んでくださり、ありがとうございます。

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