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Marbling 現実と伝承が交わる、その先へ。  作者: 赤足
第二章 伝承編 野霧湖

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16 父のノート

祭りが終わって、数日が過ぎた。


夏の暑さは相変わらずだった。


原付のエンジンをかける。


軽い振動が足元へ伝わり、鼎はゆっくりとアクセルを回した。


住宅街を抜ける。


見慣れた道。


見慣れた橋。


信号待ちで止まると、道路脇に小さな道祖神が立っていた。


試験を受ける前なら、気にも留めなかった景色だった。


だが今は違う。


思わず目が向く。


――境界だと思う場所を記録してください。


凪の言葉が頭をよぎる。


青信号に変わる。


鼎は小さく息を吐き、原付を走らせた。


「……考えすぎか。」


誰に言うでもなく呟く。


それでも、以前とは違って見える景色があった。


⸻


家へ戻ると、部屋は静かだった。


扇風機だけが、ゆっくりと首を振っている。


鼎は机の引き出しを開けた。


一冊のノートを取り出す。


父が残したノートだった。


何度も開いた。


何度読んでも、途中で閉じてしまう。


意味が分からなかったからだ。


ゆっくりとページをめくる。


土地の名前。


昔話。


地図。


そして、小さな走り書き。


『橋』


ページをめくる。


『灯り』


『道祖神』


さらにめくる。


『霧』


鼎の指が止まった。


橋。


道祖神。


灯り。


どれも試験で歩いた町にあった。


あの時は何気なく通り過ぎた景色だった。


今は、その一つひとつに意味があるように思えてしまう。


「……。」


さらにページをめくる。


そこには見慣れた文字があった。


野霧湖


胸の奥が少しだけざわつく。


父と歩いた湖。


父が消えた湖。


そして。


五和と出会った湖。


その下には、父の字で短く書かれていた。


ページの余白には、小さな走り書きが残されていた。


『湖の主』


『人を喰らうという話あり』


『見た者は帰らなかったという伝承』


『守り神と語る者もいる』


『伝承に食い違い』


鼎は眉をひそめる。


「……食い違い?」


最後の一行だけ、滲んで読めない。


鼎はしばらく、そのページを見つめていた。


試験を受ける前なら。


きっと意味の分からない言葉として閉じていただろう。


でも今は違う。


全部は分からない。


それでも。


父が何を見ていたのか。


少しだけ、その先を覗ける気がした。


「……五和さん。」


自然と名前が口をついて出る。


一人で考えても答えは出ない。


鼎はノートを閉じた。


⸻


再び原付へ跨る。


アカライのある公民館までは、それほど遠くない。


町を走る。


橋を渡る。


神社の前を通る。


以前と変わらない町。


それなのに。


試験を終えてから、見える景色だけが少し変わっていた。


公民館へ着く。


玄関では見慣れた車が停まっている。


中からは誰かの話し声が聞こえた。


鼎はノートを抱え、静かに扉を開ける。


試験の日とは違う空気が流れていた。


古い資料を運ぶ人。


電話で誰かと話す人。


壁いっぱいに貼られた地図。


ここが、アカライの日常。


鼎は小さく笑う。


「……本当に入ったんだな。」


そのまま廊下を歩き、五和の部屋の前で立ち止まる。


軽くノックをした。


「入れ。」


聞き慣れた声だった。


鼎は扉を開ける。


「五和さん。」


「少し、見てもらいたいものがあります。」


ノートを机の上へ置く。


五和は何も言わず、それを手に取った。


ページをめくる。


一枚。


また一枚。


そして、野霧湖のページで手が止まる。


ほんのわずかに目を細める。


「……そこを開いたか。」


鼎は首をかしげた。


「え?」


五和はノートから目を離さない。


静かな部屋に、ページをめくる音だけが響いていた。

新章スタートです。

今回も読んでくださり、ありがとうございます。

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