15 祭囃子
鼎が部屋を出ると、受験者たちは静かに待っていた。
誰もが通路を歩いてきたばかりで、どこか言葉少なめだった。
凪は全員の顔をゆっくりと見渡す。
「これで、試験は終了です」
その一言で、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
凪は静かに続ける。
「今回の試験では、皆さんにこの町を歩いていただきました」
「橋や神社、道祖神、トンネル……それぞれが境界だと思う場所を記録していただきました」
受験者たちは静かに耳を傾ける。
「私たちが見ていたのは、境界を見つける力ではありません」
凪は一瞬、間を置いた。
「境界を前にして、迷い、考え、それでも向き合おうとした、その姿勢です。」
「私たちは、それを見ていました。」
それだけを告げる。
「以上です」
それ以上の説明はなかった。
受験者たちも、誰一人として質問をしない。
凪は一枚の紙を手に取る。
「それでは、結果を通達します」
静かな体育館に、一人ずつ名前が読み上げられていく。
鼎は自分の鼓動だけが大きく聞こえた。
「──千曲 鼎」
「……はい」
短く返事をする。
胸の奥で張りつめていたものが、少しだけほどけた。思わず息を吐く。
辰野、美羽、葵、秋山の他にも、何人かの名前が続いて呼ばれた。
そして、すべての名前が読み上げられた。
「以上、呼ばれた皆さんをアカライ試験合格とします」
小さな拍手が体育館に広がる。
辰野は胸をなで下ろした。
「……よかった」
「やったぁ……!」
美羽が思わず笑顔になる。
葵は静かに頷いた。
凪は受験者たちへ微笑みかけた。
「最後に、一つだけ」
「外で開かれている祭りは、皆さんへの労いの場として、地域の方々のご協力をいただき用意したものです」
「どうか今は、試験のことを忘れ、日常を楽しんでください」
その言葉が終わると同時に──
ドォン……。
夜空へ大きな花火が打ち上がった。
「始まったみたいだな」
辰野が空を見上げて笑う。
町の人たちは、提灯に明かりを灯し始めていた。
子どもたちは楽しそうに走り回り、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。
試験が終わった緊張も、祭囃子に包まれながら少しずつほどけていった。
「なんか、お腹空いた」
美羽が屋台を見つめる。
葵が笑う。
「試験中はそんなこと言わなかったのに」
「だって必死だったもん」
その言葉に辰野も笑い、鼎も思わず笑みをこぼした。
ほんの少し前まで初対面だった四人は、いつの間にか同じ時間を乗り越えた仲間になっていた。
ただ一人。
秋山だけは少し離れた場所から、静かに祭りを眺めていた。
花火の光が、その横顔を照らす。
その表情は、どこか寂しそうだった。
その後、皆で屋台を回った。
射的では、辰野が景品を射抜く。
「うそっ! また!?」
美羽が悔しそうな声を上げた。
「運も実力のうちだ」
辰野が景品を掲げると、葵は呆れたように笑う。
鼎も思わず笑ってしまった。
試験の緊張はいつしか笑顔へと変わり、祭囃子と笑い声が夏の夜へ溶けていく。
「俺、少し夜風にあたってくるよ」
鼎は皆にそう告げ、その場を離れた。
建物の階段脇へ腰を下ろす。
心地よい夜風が、火照った身体をゆっくりと冷ましていく。
夜空では花火が咲き、祭囃子が町中へ響いていた。
けれど、自分だけが少し変わった気がした。
「……ふぅうう、疲れたなぁ」
「そうだろうな」
聞き慣れた声だった。
五和が隣へ歩いてくる。
その手には、缶コーヒーが二本あった。
鼎の前へ一本差し出す。
「……ほら」
「あ、ありがとうございます」
鼎は缶を見つめる。
「ブラックですか……」
「嫌いか?」
「いや、飲めますけど」
プシュッ。
二人は、ほぼ同時に缶を開ける。
一口飲んだ鼎は、少し顔をしかめた。
それを見た五和が小さく笑う。
「無理するな」
「いや、大丈夫です」
そう言いながら、もう一口飲む。
五和は何も言わず、缶コーヒーを口に運ぶ。
祭囃子と花火の音だけが、静かに二人の間を流れていた。
「正直、何回帰ろうと思ったか分かりません」
鼎が苦笑すると、五和は小さく笑う。
「俺もだ」
「え?」
「初めて境界に入った日は、二度と行くもんかと思った」
鼎は思わず五和を見た。
「五和さんでも、そんなこと思うんですね」
「俺は怖がりだからな」
さらりと言う五和に、鼎は吹き出した。
「全然そうは見えません」
「見せないようにしてるだけだ」
五和も少しだけ笑う。
その笑顔は、境界では見せなかった穏やかな表情だった。
建物の中から声が響く。
「五和さん」
「ああ」
五和は静かに立ち上がる。
「じゃあ、またな。鼎」
「はい」
五和はそのまま建物へ向かって歩き出した。
数歩進み、不意に足を止める。
ゆっくりと振り返った。
祭囃子が夜風に溶け、夜空には大輪の花火が咲いていた。
ドォン――。
夜空に咲いた花火が、二人の間を一瞬だけ照らした。
五和は、ほんの少しだけ口元を緩める。
「──ようこそ、アカライへ」
今回も読んでいただき、ありがとうございます。
次回から新章「伝承編」に突入します。




