10 試験
体育館には静かな空気が流れていた。
老人は受験者たちをゆっくりと見回し、小さく頷く。
「では。」
「ここから先は、試験を担当する者へ任せます。」
そう言って、一人の青年へ視線を向けた。
「凪。」
青年は一歩前へ出る。
「はい。」
老人は穏やかに微笑んだ。
「説明は任せました。」
「よろしく。」
それだけ言うと、受験者たちへ軽く会釈をする。
「私は元の場所へ戻ります。」
「囲碁の勝負を途中にしていますので。」
体育館に小さな笑いが漏れた。
老人は笑みを浮かべたまま体育館を後にする。
扉が静かに閉まる。
やがて廊下の向こうから声が聞こえてきた。
「お、戻ってきた。」
「続きをやりましょう。」
「今度は負けませんぞ。」
穏やかな笑い声。
その音が遠ざかると、体育館は再び静寂に包まれた。
青年は受験者たちを見渡す。
感情の読めない目だった。
「改めて。」
「天草凪。」
「今回の入会試験を担当する。」
短い自己紹介だった。
凪は足元の箱を開け、一枚ずつ紙を配り始める。
鼎の手元にも一枚渡された。
広げると、この町の地図だった。
道と川。
神社。
橋。
古いトンネル。
道祖神。
住宅地。
最低限の情報だけが記されている。
全員へ行き渡るのを確認し、凪は口を開いた。
「試験は一つ。」
「この町を歩く。」
受験者たちは静かに耳を傾ける。
「境界だと思った場所を記録しろ。」
「日没までに戻れ。」
それだけだった。
誰も動かない。
一人の男性が手を挙げる。
「……以上ですか。」
「ああ。」
「境界って、何を基準に判断すればいいんですか。」
凪は男性を見る。
「どう思う。」
男性は戸惑う。
「……分からないから聞いてるんです。」
「だから試験だ。」
体育館が静まり返る。
別の受験者が口を開く。
「正解はあるんですか。」
凪は少しだけ間を置いた。
「答えるつもりはない。」
ざわめきが広がる。
鼎は地図へ目を落とした。
何を見ればいい。
何を書けばいい。
何を試されている。
何一つ分からない。
凪はもう一枚の紙を取り出す。
「報告書だ。」
受験者たちへ配られる。
そこには、
日時。
場所。
観測したこと。
備考。
それだけが並んでいた。
凪は受験者たちを見回した。
「一つだけ。」
全員の視線が集まる。
「異変を見つけようとするな。」
静かな声だった。
理由は語らない。
意味も説明しない。
その一言だけが体育館に残る。
誰も理解できない。
それでも、誰も口を開かなかった。
しばらく沈黙が流れる。
凪は短く告げた。
「以上だ。」
そう言って壇上を降りる。
受験者たちは互いに顔を見合わせた。
「……終わり?」
誰かが小さく呟く。
鼎は地図を握り締めた。
何を見ればいい。
何を信じればいい。
答えは、一つも与えられなかった。
体育館の扉を開ける。
外には蝉が鳴く夏の町が広がっていた。
子どもたちの笑い声が聞こえる。
風が木々を揺らしている。
どこからどう見ても、ごく普通の町だった。
――この町の、どこが境界なのか。
鼎には、まだ何一つ分からなかった。
夏風邪引いて更新が遅れました。皆様呉々も暑さ等にお気を付けください。今回も読んでいただきありがとうございます。




