第2話 外の気配
森を出て、ほんの少し歩いただけなのに、空気ははっきりと変わっていた。
木々の密度がゆるやかにほどけ、頭上を覆っていた葉の天井が少しずつ薄くなる。差し込む光は強くなり、影の輪郭もくっきりとしている。
足元の土も違っていた。
森の中のようなやわらかさはなく、少し乾いていて、踏みしめるたびに細かな音が返ってくる。
ルティは何度か立ち止まりながら、ゆっくりと周囲を見回した。
知らない。
すべてが、知らないものだった。
それでも、不思議と怖くはなかった。
胸の奥にあるのは、不安よりも、もっと静かな感覚。
確かめたい、という気持ちだった。
ルティはもう一歩だけ前に進む。
振り返らない。
振り返れば戻ってしまいそうな気がしたから。
そのまま、少しずつ歩く。
やがて、足元に変化が現れた。
「……」
ルティはしゃがみ込む。
地面に、うっすらと残る形。
土の上に刻まれた、規則的な跡。
指でそっと触れる。
くぼみ。
丸み。
並び方。
「……あし」
小さくつぶやく。
人の足跡だった。
森の中には、あまりなかったもの。
ここには、それがある。
ひとつではない。
いくつも。
行き交うように、重なっている。
ルティは、その跡をたどるように顔を上げた。
視線の先に、細く踏みならされた道が続いている。
誰かが、何度も通った跡。
「……」
ゆっくりと立ち上がる。
少しだけ迷ってから、その道の上に足を乗せた。
自分の足と、残された足跡が重なる。
その感覚が、ほんの少しだけ不思議だった。
ルティはそのまま、道に沿って歩き出す。
森の外の空気は、広い。
風の流れが違う。
音も、違う。
遠くから、かすかに何かが響いてくる。
規則的な音。
硬いものがぶつかるような、乾いた音。
ルティは足を止めて、耳を澄ます。
「……」
音は、消えない。
風に流されながらも、確かに続いている。
少しだけ近づいている気もした。
ルティは、慎重に歩き出す。
さっきよりも、少しだけゆっくりと。
やがて、木々の切れ目に出た。
そこには、開けた場所があった。
草が短く刈られ、地面が平らに整えられている。
その中央に、いくつかの荷が置かれていた。
布で覆われた大きな袋。
木箱。
そして——
人。
「……」
ルティの足が、ぴたりと止まる。
初めて見る、“外の人”。
3人いた。
背の高い男達と、少し小柄なもう一人。
どちらも森の中では見たことのない服を着ている。
腰には、道具。
金属の光が、わずかにきらめく。
男たちは、何かを話していた。
低い声で。
聞き取れない言葉も混ざっている。
ルティは、その場から動けなかった。
逃げるべきかどうか、わからない。
でも——
目が離せない。
知らないものを、初めて見た。
そのとき。
「……ん?」
片方の男が、ふと顔を上げた。
視線が、まっすぐこちらへ向く。
「……誰だ?」
低い声。
もう一人も、すぐに振り向く。
3人の視線が、ルティに重なる。
「……子ども?」
驚きと、わずかな警戒。
ルティは、動かない。
逃げない。
でも、近づきもしない。
ただ、その場でじっと立っている。
「おい、こんなところに……?」
男の一人が、小さくつぶやく。
視線が、じっとルティを観察する。
服。
立ち方。
目。
その空気。
「……おかしいな」
もう一人が、低く言う。
「近くに村はないはずだ」
「……」
ルティは、その言葉の意味を全部は理解できない。
でも、空気の変化はわかる。
さっきまでとは違う。
少しだけ、張り詰めている。
「……おい」
男の一人が、ゆっくりと一歩踏み出す。
距離を詰めようとする動き。
「……」
ルティの体が、ほんのわずかにこわばる。
でも——逃げない。
そのとき。
風が、ふっと揺れた。
ほんの一瞬。
やわらかく。
背中をなぞるように。
「……」
ルティの目が、少しだけやわらぐ。
そして。
小さく、息を吐く。
「……だいじょうぶ」
誰にともなく、そうつぶやいた。
その声は小さかったけれど。
はっきりと、届いた。
男たちの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
そのわずかな間。
ルティは、一歩だけ前に出た。
自分から。
外の世界へ、もう一歩。
その行動に。
男たちは、はっきりと戸惑いを見せる。
「……待て」
声が、少し強くなる。
警戒が混ざる。
それでも。
ルティは止まらない。
ゆっくりと。
確かめるように。
近づいていく。
距離が、縮まる。
互いの表情が、見える距離まで。
「……おまえ、どこから来た?」
低く、問われる。
ルティは、少しだけ考える。
言葉を探す。
そして。
「……もり」
短く、答えた。
「森?」
男たちが顔を見合わせる。
その瞬間。
わずかな緊張の隙間。
ルティは、そのまま、もう一歩近づいた。
もう、完全に“外側”にいる。
知らない世界の中に、立っている。
それでも。
ルティの足は、止まらなかった。
その目には、恐れよりも強いものがあった。
知ろうとする意志。
そして——
誰かと、繋がろうとする意思が。




